母親からこのような言葉が、子供に対して出ても、そんなに珍しい事だとは思わないでしょう。でも、母親の中には、この言葉の裏に、もっと秘密が隠れている時もあります。それは、子供がよい学校に入ると言う希望であるかのように表現されたりしますが、実は、それが子供のためと言うより、自分のためだったりすることがあります。子供のためなのか、自分のためなのか、紙一重くらいの場合もありますから、よく自分を振り返って見ないと解らないかもしれません。自分のためだけなのなら、実は自分がよい学校へ入ることが夢だったのでしょうけれど、それは、かなわなかった。そして今度は、自分の子供にその夢をたくして、子供を自分のエージェントであるかのように操りながら、子供に勉強させます。簡単に心理学的に言えば、自己愛を満足させるために子供をコントロールしているかのようです。子供がよい学校に入るかどうかは別にして、この場合、子供の心にとって良いはずがありません。子供は誤解されたかのように思ったり、気持ちを理解されてないまま、母親を満足させるためにがんばります。こうしながら、子供の心は破壊されていきます。
表面的には愛情を表しているかのようですが、それが自己中心的な愛のために、本当の意味で相手のためにならず、かえって傷つけてしまう関係を負の愛といいます。負の愛は、見かけは明らかに愛情表現で、それをする本人もそう思っています。でも、それによって隠されているものが真実で、それが力を持って結果に導きます。その隠されているものとは何か。それは攻撃で破壊を求める心です。それが気持ちとなった時に、憎しみとなります。これらの本当の心を表したらいけない状態を理解しているのでしょう。その時に、負の愛情を使うのです。または、自らこの心に気が付いていない状態、そして気が付いてはいけない状態がある時に、負の愛情が出てきます。前例のように、母親が子供を攻撃、破壊するなんて、いけないことですし、考えてもいけないことだと通常は思います。この心に気が付かず、子供と接して表面的には世話をしているのですが、実は、隠れた攻撃がものを言っていると理解できます。子供に対する虐待が日ごろ報道されているのを聞くと、明らかな虐待とは違ったところで起こる負の愛が少ないとは言えません。
もう一つの負の関係について考えて見ましょう。「お前、そんなことでこの役務まるとでも思っているのか。これじゃあ、明日は休みないぞ。なに、明日はだめだと。そんなのこっちの問題じゃない。」
これは明らかに攻撃的な発言です。仕事場でこき使われているかのようです。実際にそういう時もありますが、場合によっては、その表面下に本人のためを思って、厳しくしなければならないと言う心が隠れているかもしれません。実は、本人に対して、愛情を持って接していると言うことになるでしょう。このように、表面的には攻撃が見えますが、その後ろに愛情が隠れている関係を負の攻撃と言います。何年か前に、アメリカでtough love という言葉が聴かれました。これは、不良になりそうなティーンエイジャーに向かって、厳しくタフでなければならない。本当にその子を愛しているのなら、タフな接し方が適切でしょう、というやり方でした。これも、丁度負の攻撃に匹敵するものだと思います。
ちなみに、SMという関係が性的関係に存在しますが、これこそ、負の攻撃を使い、それをファンタジー化させたものにあたります。