原因の話

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小さい子供にとって、周りの出来事は勝手に発生し、それに理由がある、すなわち、何かが起こる時にはそれに原因があるなんて知らないでしょう。原因があって事が起きるという概念は、精神発達上の達成であります。そしてこれは社会で生きていくうえで、かなり大切な概念であると思います。なぜなら、この原因の概念が人の責任というものに繋がっていくからです。誰かさんの意思によって事が起きる。そしてその事が他の人に影響を及ぼすとき、責任を問われることになります。原因の概念が人間関係の中では責任の概念になります。こう考えてみますと、原因の概念は物理的であると同時に、文化的社会的でもあるわけです。

しかしながら、原因の概念を見直してみますと随分いいかげんで不正確な考えです。といいますと、ある原因、例えば、木が倒れる原因は強い風が吹いたからだと考えましょう。でも、その強い風は何が原因だったんでしょう。強い風は近くに竜巻が起こったからだとしましょう。では、竜巻は何が原因で起こったのでしょう。近くで温度差の激しい空気の接触があったのでしょう。というようにきりなく原因をさかのぼることになり、いったい何が原因なのか解らなくなってしまいます。

それだけではありません。木が倒れるには、風だけでなく他の原因もあるでしょう。例えば、木が立っていた土が軟らかかったとか、虫が木の内部を食べてしまったとか、いろいろありそうです。こうして考えてみますと、何かが起こるには複数の原因があることが解ります。この多重原因の概念は、最初に述べた一次元的な原因の概念よりもっと洗練された考えです。もう少し正確な見方と考えることもできるでしょう。科学では、現象の説明をするのに多重原因の概念をよく使いますし、心理学では、人の行動をある一つの原因から起こるというより、さまざまの原因が関連してある行動が起こるという見方が当たり前のようです。

でも、もう少し原因と結果の行程を見直して見ますと、たとえある行動がさまざまな原因で起こったとしても、人の行動は起こって終わってしまうだけではありません。人が誰かさんを押したら、押された人は飛んでしまいますが、そこでその人は我慢をしておらず、押し返すこともあるでしょう。そうすると、最初に押した人が飛ばされてしまいます。今度はその人が2倍の力で再度押してきます。そもそも最初に押したのが原因だとしますと、その結果が原因の人に戻ってきて、原因に変化が起こりました。つまり2倍になりました。面白いことに結果が原因を変えてしまったのです。

このような循環的な原因の概念は人間関係のやり取りを心理学的に観察するのに便利です。例えば、Aさんが仕事でストレスを感じ、Bさんに怒りを出して八つ当たりをしました。BさんはAさんの怒りの態度を見て、Aさんの無謀さを非難しました。すると、AさんはBさんの理解のなさを取って、再びBさんに怒りを出しました。と言うように、原因が結果を起こし、結果が原因となって最初の原因を変化させ、それが結果となりました。その結果は再び原因となって次を起こします。ぐるぐる回って、そのうちに誰が何をしたの解らなくなってしまいます。

本当に原因と結果というものはあるのでしょうか。確かに、物事の現象を理解するのに便利ではあります。そしてその理解はいろいろな問題の解決に至るので、原因の概念は大切なものでしょう。でも、ここでも見ましたように、原因の種類がいくつもあるということは、原因の概念はいい道具ではあるものの、物事に本質的に存在するものではなさそうです。

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