今回はIQのことについて考えてみようと思います。IQとは、日本語で知能指数と言っています。知能指数とは知能全体を表す数値のことです。一般的には、知能指数が高いと頭がよいですとか、勉強がよくできるとか言います。確かに知能指数と学校の成績は関係があります。そして知能指数が高いほど、学校での成功率が高くなるのも確かです。また、学歴が上がれば上がるほど、知能指数もおおざっぱに上がっていきます。
ここで考えてしまうことは、いったい知能指数と学歴とどう違うのでしょうね。両方とも比例して、同じように上がり下がりしてしまうのでしたら、同じものの違った側面を見ているだけなのでしょうか。もしそうだとしたら、知能指数とあえて言うだけの価値がありません。知能指数と言うからには、単に学校で何かを習っただけで変化をするようなものだけでなく、もっと本質的な根本的な人の能力を指したいものであります。
人の本質的な能力とは、いったい何を指したらよいのでしょう。そのような能力は、日常いろいろな場面で発揮されなければなりません。日常生活、仕事、勉強、人間関係、いろいろなところでそれが表現されていくのでしょうね。いわゆる毎日生活していく上で必要で、さまざまな場面においての問題理解と解決をしていくための能力であるような気がします。
そのためには、ただ学校で習ったものの知識だけでは足りません。それより新しい問題を解決していかなければなりません。知識を使うのはもちろんのこと、それを使いながら新しい問題に対して、新しい構成をし、新しい解決策を生み出すことが、知能の本質であるかのように思えます。
学校へ行きますと知識が増えます。その知識の殆どが脳の後頭部に記憶として保管されていきます。その保管された知識をどのように使うかは、前頭葉の方にプログラムされます。どのようなプログラムがそこに構築されるのかは未知ですが、多分いろいろな応用知識のパターンが入っているのでしょう。だからといって、その応用パターンを使うだけが前頭葉かというとそうではなく、完全に新しい問題解決パターンも生み出すわけですから、それ自体どんなプログラムなのかは、不思議なことです。学校が知識を単に増やすだけでなく、前頭葉のプログラミングもよくできましたら、本当の意味でよい教育と言うことがでォます。
さて、現実的な話、現存のIQテストでは、どちらかといいますと、脳の後頭部の力、すなわち保存された知識の測定に力を入れています。といいますか、前頭葉に構築された応用力は、測定が難しくてよくできません。その結果、IQと学歴が比例してしまい、本当の意味での知能と言うものを測定していないと思われます。そのために、たとえIQが高いと言われている人で、学力がありそうなのですが、ある場面で問題解決をできなかったり、おっちょこちょいやばかげた行動をとることがよくあります。その反面、学校へもろくに行かなかった人、すなわちIQが低い人でも、実社会で結構うまくやっている人も少なくありません。IQの不正確さというものがこのようなところに現れているのでしょう。
このIQの不正確なところに目を付けて、それを補いながらもより正確な予言をしようと試みたのが、もう日常語になりつつあるEQです。Emotional Quotientの略で、主に人間関係内で起こりうる、さまざまな問題の解決能力指数を指しています。そのためにテストのフォーカスは、自己管理や感情の調整、対人関係のマネージメントやスキルなどになっており、まさにIQテストが見逃した、でも、日常生活上大切な問題解決能力を測定するようになっています。本当は、IQテストが最初から、EQテストの内容を含んでいたら、後々ややっこしいことにはならなかったでしょうけれど、IQテストを最初に考え付いたころには、IQに関してそれほど知識がなかったわけです。今となっては、IQテストとEQテストを両方含んだテストを作らなければならないでしょう。そんなテストができましたら、どう呼んだらいいでしょうね。GQ=Global Quotientでも呼びましょうか。
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