本当の自分、仮の自分

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 私達は、人前で自分が本当に思っていることと違うことを言うことがあります。「このケーキ、私が一生懸命作ったんです。美味しいですか。」「ええ、とても美味しいです。」本当は美味しいとは思っていなくても「いえ、まずいです。」とは言いません。まずいと言って、相手を傷つけるのはいやですし、また、そう言って相手に嫌われるのも怖いです。

 私達は人間関係の中で拒絶されることなく、安全性を保ちたいですし、自尊心も同じく保ちたいものです。この種の安全性や自尊心を保つ動機は人間として本性的なもので、幼児のころから母親との関係で身につけます。母親に拒絶されたり、無視されるのは、子供にとって生死にかかることですから、母親に気に入られること自体が、生きていくための基本的機能と言うわけです。

 母親に認められて、人間関係の安全性を図るのは大切ですが、それ自体自分の欲求と一致しないことは多分にあります。子供がお菓子を欲しい時に、母親は後で食べなさいと言い、それを待てない子は、叱られてしまいます。母親に対してよい子で入るには自分の欲求を抑えて、我慢しなければなりません。すなわち、母に好かれるために自分の本当の気持ちを言えないときが出てくるわけです。

 このようにして身に付き、自分の思っていることと違うことを言う自分を仮の自分と言います。簡単に言えば、自分の気持ちに嘘をつく自分のことです。人間関係の中で生きていく上で、ある程度の「仮の自分」の存在は必要でしょう。なぜなら、どこで誰とでも、自分の本心を言っていたら、とんでもないことになってしまうからです。「こんにちは。あなたは今日は醜いですね。」と言った結果を想像してみてください。

 仮の自分の必要性は認められるものの、その一方、使いすぎは問題になります。多分、過去の人間関係で拒絶の経験がひどかった人に起こるのでしょうけれど、他人に嫌われたくないという気持ちが強く、自分の言うことが全て相手を満足させることにだけになってしまいます。その代わり、自分の気持ちはこれっぽっちも出てきません。それどころか、自分の気持ちを使うことがあまりにも少ないため、自分の気持ちが何なのか、判らなくなってしまいます。つまり、人前では完全に仮の自分だけになってしまうのです。

 その仮の自分の対象である自分の本当の気持ちを「本当の自分」と言います。本当の自分も幼児の時に、母親との関係の中で作られ、母親から否定されたり、嫌われたりしていない時の自分の姿や態度がイメージとして脳に記憶されたものです。そして、そのような初期の本当の自分が、成長の過程で広がったり、ある程度の変化を経験したりして、大人の本当の自分と言うものが出来上がります。

 人間関係において、仮の自分の使いすぎは、欲求不満になります。また、本当の自分の使いすぎは、自分勝手に見えて、人から嫌われます。本当の自分を見失わずに、仮の自分を適度に使うことによって、バランスのとれた自分のあり方を、人間関係の中で作り発見していくことで、心の安定と満足が得られるようになります。不思議なことに、人間関係を除いた、本当の自分や仮の自分は存在しません。人間関係から抜け出したときに、人は疎外感、孤独感、そして不安を感じますが、自分の存在が時とともにますます消えてってしまうことを経験するでしょう。

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