無意識の自叙伝

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サイコセラピーでは患者さんがこれまでに起こったことをいろいろと述べることがあります。自分を振り返って、してきたこと、あった事なかった事をセラピストに語ります。また、セラピーに限らず、自分の歴史を誰かに語ることはあります。私たちには自分と言うものが存在するものの、それとは別に、私達は語って述べて、描く自分と言うものも存在します。

 この語られる自分とは、実際に自分が生きながらやってきた自分とは違うみたいです。自分の身にいろいろと起こった中から、良かれ悪かれ自分に意味があるものが記憶に残って、それが材料となって自分が語られます。実際に起こったことでも自分にあまり意味がなく、忘れられているものもあるでしょうし、虐待の経験のように、自分に対する意味は重大ですが、その記憶に痛みも伴うため、抑圧されて忘れられ、語られる自分に含まれていない事柄も少なくないでしょう。

 語られる自分の歴史内容を見てみますと、成功したことが誇りを持って描かれていることもありますし、失敗や嫌な経験が恥を含めて描かれている部分もあります。嫌な過去の内容が多いと思う人は、それを挽回するかのように、自分にとって良い経験を求めて、自分の歴史の展開などを試みます。また、よい経験が沢山入った自分の話を見られる人は、それを満足しながら振り返ることでしょう。

 このようにして見ますと、語られる自分とは、単に自分に起こった歴史を綴ったものではありません。それだけでなく、語られる自分を振り返りながら、この先どのような話の展開がよいか、積極的に描いていく作用もあるようです。子供の時に虐待を受けた人が、自分の子供には虐待をしまいと一生懸命頑張ることは、語られる自分が良い話として終われるように、精一杯頑張っているかのようです。

 それと同時に、語られる自分もこれからの生き方に作用をしていきます。語られる自分は、自分に起こった事柄の記憶であり記録であるのですが、それ自体自分の将来に影響を及ばす力があるということです。良い成績を挙げた学生が、自分は出来るんだと信じて、それまでの自分の歴史を守ろうとします。また、過去に失敗や拒絶を経験した人が、自分は敗者だと言い張って、次々の起こる挑戦に自分から負けていきます。ちょうど、それまでの自分の歴史を守るかのようです。

 私達は知らない間に語られる自分を描き続け、それを自分であるかのように大切にし、その展開に参加して影響を及ぼし、影響されて生きています。ところで、セラピーでセラピストに向かって語りながら描かれる自分は、自分を理解してもらおうとしているわけですが、人前で、語られる自分を理解してもらえるように細かく語る、おそらく初めての経験ではないでしょうか。その上、それまで自分の歴史内で意味のつけられないような出来事や理解できなかったことが明らかになっていくと言うことは、それ自体語られた自分を書き直す機会が出来るといってよいでしょう。ある大切な事項の語り方が変わることによって、それに関連する事柄の意味や語り方が変わっていきます。それまで自分の過去としか見られなかった歴史が変わっていきます。そしてそのような変化は、これから語っていく自分に影響を及ぼしていくことでしょう。

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