自分っていますよね。自分が存在します。なぜ自分が存在するのですか。デカルトDescartesが、「I think, so I exist.」すなわち「考えるから自分が存在するんだ。」と言ったのを思い出します。私もそうは思います。でも、心理学的にはどのように理解したらいいんでしょうか。
その前に、自己、自分が何であるか解らないとそれが存在しているのかどうか解りません。ですから自分が何であるか考えてみましょう。先ず、自分て他の人がいるから、自分の存在を感じる部分があります。相手を意識するので自分がいます。その相手が、その上、自分がどうだこうだと特徴を言ってくれます。それで自分がはっきりしてきます。これを対人関係の自分Interpersonal selfと言いますが、この自分は生まれてから今までの対人関係の歴史から成り立っています。いろいろな人がいろいろな反応を自分に対してしてきて、それによって自分が何であるか解ってきたわけです。解ってきたということは、自分について考えができたというわけで、自分が考えという形で存在していると言うことです。
その他に、相手がいなくても自分の存在が解ります。退屈の時に何か面白いことをしようと思ったりする自分がいます。コンピューターをよく使えるようにトレーニングしようとする自分がいます。英語を上達しようと頑張る自分がいます。このような自分を個人的な自分Personal selfと言って、人前でないところで、自分が自分の経験をして自分について考えができた結果存在します。他にも細かく見ると、いろいろな自分が存在するのですが、今回ここでは自分の種類の勉強ではないので、対人的と個人的な自分が出たところでよしとしましょう。
これらの自分が考えとして存在するわけですが、自分と言うのは概念Conceptの領域に入り、まさに考えを除くと存在が消えてしまうものなのです。これもふと考えると不思議なもんで、人前でひょっとした時に自意識が消えている時があります。何かに夢中でいて、自分のことも相手のことも忘れている時の感じです。そして次の瞬間自意識が起こり、同時に相手のことも意識をし始めます。でも、振り返ってみると、ちょっと前自分の存在自体を忘れていたことに気が付きます。自分も相手もいない存在の仕方ってあるんだなと知ることができます。
自分という物の存在なしの存在とは、追求してみますと結構面白いものです。どのようにして自分のいない存在の状態を経験できるでしょうか。日常の簡単な例は、寝付くことです。睡眠に入ることって、自分ですることではありません。ベッドに横になって「寝ようか」と言うまでは自分がすることなのですが、睡眠に陥る瞬間は自分でできません。何か自分以外のものがしてくれます。逆に、自分で寝付こうとすると、かえって寝ることはできません。自分が存在するうちは、寝付けないのです。この矛盾にはまってしまうと不眠症になることもあります。不眠症の人は寝よう、寝ようと頑張るので寝られなくなります。自分で寝ることを止めた時に寝られるようになります。このような時は自分が邪魔になります。
自分の存在しない存在の仕方を追及していきますと、案外私たちはそれにお世話になっていることに気付きます。例えば、寝るのがそうでしたら、目覚めることもそうです。目覚める瞬間は自分の意志でできません。いろいろな学習も私達は知らない間にしています。あるところへ行って、何かを覚えようとはしていませんが、その経験は知らない間に脳に記録されているではないですか。そういえば、忘れることも、自分でそう思ってできませんね。
ふと思うことは(これも自分がやっていません)、もし、そんなに肝心なことが自分なしで行われているのであれば、自分の存在って必要なのかな、ということです。案外自分なしの方が健全に生きられるかもしれません。例えば、私たちの経験するノイローゼ、精神病、人格障害は皆、自分が存在するために起こる自分の問題なのです。もし、自分の存在が必要でなければ、そして自分を無くしてしまえば、私たちの心の悩みはほとんど消えてしまうことでしょう。自分って結構、邪魔者かも知れません。
Kill yourself, and you will live better!
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