これはいい言葉です。相手を責めるのでなく、自分を責めるわけでもなく、お互いに合ってないという意味です。また、性格不一致で離婚になってしまうこともありますから、悪い響きを持つ言葉でもあります。
2001年の12月に「結婚の10条+1」を書きましたが、その1条に「結婚相手の今嫌いな部分は、結婚前には気に入るところであった。」とあります。自分の性格と違う部分は、それで相手が自分を補ってくれると言う意味で、最初は大切にしていたものです。しかし、結婚してしばらく経ちますと、相手を自分と同じくなるように、変えようとしたりします。そんなに違うことが問題なのでしょうか。
先月の記事で、自分を表現していくことが、大切であると述べました。それは大切なだけでなく、自分の価値を誰かに認めてもらいたいという精神発達の段階から、一歩成長した自分の位置でもあります。でも、自分の表現や主張をしていくと、誰かと、そして結婚相手とぶつかってしまいます。すなわち不一致が起こってしまいます。成長が結婚の問題に発展しては困ります。
結婚は、夫婦二人各々を部分とした組織systemと考えることができます。子供ができたら、これが部分として組織に加わります。結婚の目的は、その部員、夫婦や子供の幸福の追求であると見ることができます。そのために、各々が仕事、結婚関係、娯楽などの活動をしていきます。ただ複数の人が参加するだけでなく、一人一人が違った貢献をしていくので組織の生存価値が上がります。違う性格の男女や子供が違う貢献をしながら、共通の目的の達成に向かって活動していくものが、結婚や家族であると考えることができます。
このような組織で、性格の違い自体は問題ではありません。むしろ違いがなければ、組織を作る、すなわち、結婚をする理由もありません。自分と相手との違いを尊重し、楽しんでいくことの方が、相手との違いを嘆くことより大切なことでしょう。
それでは、いったい性格不一致とは、どのような問題なのでしょう。やはり、結婚という組織の活動を妨げるような動きや力が働いているときに、組織は負担を感じます。組織の部員が貢献をするのではなく、目的を達するのを妨害したりすることでしょうか。例えば、何かの理由で貯金をしようとしているときに、誰かが沢山お金を浪費してしまうと、組織としては困ります。たまたま、その人はお金を使うのが楽しい性格であるかもしれません。でも、その人は組織全体の目的を見ることができません。その人が組織を考えながら、お金を使えるようになるためにチャレンジをしていかなければなりません。
また、よくある話ですが、夫婦の片方がセックスをするのを好みません。組織としては、セックスは娯楽や生存のために必要な活動なのですが。それが起こらないとなると、組織としては、何かの工夫をする動きが出てくると思います。
夫婦は組織を保つための工夫をいろいろとしていくと思いますが、それができなくなると諦めていくでしょう。貯金ができなくて、セックスができなくなると、組織としては生存価値が下がります。いろいろな負担が重なり、生存価値が著しく下がってしまった場合、その結婚を保つ理由がなくなってしまいます。そのようなときに、性格不一致で離婚をするというわけなのでしょう。けれど、実際には性格不一致そのものより、組織全体の目的に貢献できない「無秩序」の存在が、誰かにあるときに問題であるわけです。
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