一般的に、私達が誰かに何かよいことをしてあげますと、感謝やお礼が返ってきます。逆に何かをしてもらったら、それなりのお返しをしようという気持ちがあります。同じく、誰かに悪いことを故意にしたら、それなりの見返りがあるのではないかと心配をするでしょう。
このようなやり取りは、小さな子どもの時から少しずつ習いきます。小さい子が大人におもちゃを手渡し、そして大人がそれをすぐ手渡して戻しますと、喜んだりします。このようなやり取りが先立って、いずれ子どもが友達同士で、やったりやり返したりできるようになります。でも、それは簡単なことではないのもよく解ります。自分のおもちゃを友達に貸せるようになるには、結構大変な試練が付き添います。
私達は日常のやり取りで期待をしていたお返しが戻ってこなくて困惑したりすることがあります。特にそのやり取りの内容が約束事ですとか、してやったことが沢山あったりしますと、たいへんいやな気分になります。小さい時に習ったはずのルールなのにこれはいったいどうしたことでしょう。
たいていお返しのルールは誰でも理解できると思いますが、それを守らなくなる、すなわちしなくなることは、大人にしてもありえます。例えば、それまで互恵主義にのっとって行動してきた人が、立て続けにそうでない人のやり方にさらされた時、自分からがっかりして、自己防衛的にもうお返しをしなくなってしまいます。
他人には何をしてあげても戻ってこないから、それは止め、もらえるものはもらっておくが、それに対してお返しもしないといったような自己中心的な立場を取る人がいます。ある意味でサバイバルに適した人生の原理ではあります。「自分の勝ちは人の負け、人の勝ちは自分の負け。」といった具合です。
いつか天国と地獄の違いを明確にしていた漫画を見たことがあります。天国でも地獄でも器に食べ物が入っていて、食べるのは自由なのです。そして両方とも食べるためのスプーンもついています。でも、そのスプーンが6フィートもあるのです。そんなに長いスプーンを使って自分の目の前にある器から食べ物をすくって食べるのはたいへんです。地獄では人々が皆自分勝手なので、他の人にかまわず、一人でその長いスプーンで四苦八苦しながら食べています。一方、天国では、皆協力しあって、一人の人が、6フィート離れた隣の人に、スプーンを使って食べ物を口に入れてあげています。隣の人も、スプーンを使って食べ物をこちらの口に入れてくれます。お互いに助け合うので食事が簡単にできます。
先ほど述べました自己中心的な原理で生きることは可能なのでしょうが、地獄のイラストのように、苦労と限度がでてきそうです。自己中心の人は、人との協力がないので、結局、自分でできる範囲内のことで止まってしまいます。その自己中心の人が、相手に何かをしてあげることによって、その結果お返しをいただくことができ、それが自分のできる範囲内を超して自分の満足に達することなのだと解った時、相手との協力が大切になることでしょう。
「私が勝つにはあなたを勝たせ、あなたを勝たせると自分が勝つ。」このような人生の原理が生まれてきます。言い換えますと、自分は勝ちたいのですが、相手をどのように勝たせたら、自分の勝ちにもつながるのでしょう。この答えを生活のいろいろな場面で見つけていったら、自分の世界が天国になるのでしょうか。試してみる価値(勝ち?)くらいはありそうです。
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