2007年1月アーカイブ

山はやはり山

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新年あけましておめでとうございます。

昔も今もそうですが、新年を無事にあけることができない時ってあるんでしょうね。昔だったら、食べ物がないことだとか、経済的問題などで、新年があけられなかったのかもしれません。現代でしたら、やはり寂しさや悲しさでしょうか。年末のクリスマスシーズンに、家族や人間関係の問題で、新年があけても、おめでたくないという人がいることでしょう。

毎年、10月のハロウィーンから始まって、11月のサンクスギビング、12月のクリスマス、そして1月のお正月と、結構コマーシャルに騒ぎ立てられながら、皆がするからせずにはいられないこれらのお祝いにも、忙しさが付きまとうだけで、疲れてくることもあります。カレンダーにそう示してありますから、条件反射的に動いて、従来のしきたりを続けていってしまいます。もうすでに、これらの行事の本来の意味っていうのは、忘れらているかもしれません。

自分の気持ちに正直な人の中には、これらの行事に自分の心が付いていってないのに気が付き、興味が薄れていってしまう人がいると思います。他に何かもっとやりたいこと、自分にとってはもっと意味があることがあるのだけれど、行事ですから、仕方なくやらなければならないと感じる人があるかもしれません。だからと言って、その人が人生のニヒリズムにおちいってしまったわけではないと思います。

ひょっとしたら、これはある意味、よい疑いであるということができるでしょう。私たちは小さい時、何でもかんでも与えられたものを、身に付けていきます。知識も経験も少ないですから、それに疑問を投げかけるよりは、どっちかというと、うのみにしていってしまいます。

でも、十分習得した上で、それまでやってきたことに関して、疑問を抱くことは、ある意味大切だと思います。なぜなら、それが自分を成長させるきっかけとなるからです。すなわち、経験を与えられる代わりに、自分のユニークな経験や自分が作り出す新しい経験を通して、以前とは違った自分の存在感を発見していくことが、自分の成長に役立つからです。

たとえば、アメリカでは大げさに行われるクリスマスのテーマ、ショッピング、クリスマスデコレーション、そしてプレゼントをやめて、その時間とお金を違うところに使ってみたらどうでしょう。なんでもかまいません。自分のやりたいことでいいのですから。

私はある年、ロサンゼルスに住みながら、ロサンゼルスバケーションと言って、クリスマスから新年にかけて、町めぐりをしてみました。長く住んでいても、行けなかった所、知らなかった所、過去面白かった所、お休み気分で旅をしてみました。ホリデーシーズンは、従来のホリデーシーズンである必要がなくなったのです。

一年後また同じシーズンがやってきました。しかし今度は、従来のホリデーシーズンをするかどうかは、選択になっていたのです。したければすればよいし、したくなければ自分のすきでよし。結局、いつもながらのホリデーシーズンをすることになったのですが、自分の選択でホリデーシーズンを過ごすことになり、そのありがたみと味わいを楽しむことができました。新年はやはり新年。でも、今度の新年もちょっと違います。

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