2008年1月アーカイブ

1) 他の人とのやりとりで、相手が自分とどう違うかに着目しましょう。

2) 他の人の反対意見や違った意見を、自然であると思えるようにしましょう。
結婚の初期には、お互いに賛成することが多いです。というか、相違点を作らないように努めます。それは二人の人間関係を発達させるために必要なことなのでしょう。相手の興味がある事柄に、自分からも興味を持つようにします。そのため、お互いのやりとりで、よいムードを作るのが簡単です。

結婚も何年か続きますと、礼儀や相手に合わせることが減ってきて、相手と自分の違いがはっきりしてきます。そのために争いをしたり、がっかりしたり、自分の本音を隠したりします。相手との相違点はどちらかというと、厄介なものになります。

結婚関係を一つの例としてあげましたが、ある程度継続する人間関係では似たようなことが起こります。職場の関係、近所付き合い、友情関係、不倫関係、そして、いろいろな場面での上下関係でも、最初は明らかでないのですが、時が経つにつれて、相違点が明るみになり、問題につながるようなことが起こります。

どっちかというと、私達は相手が同じような考えや気持ちでいると思い込みがちです。というか、同じようであることを願っているようです。確かに、こちらと相手が同じ考えや欲求を持っていたら、やりやすいでしょう。人々の葛藤が減るでしょうし、意見調整などという面倒がはぶけて都合がよいです。

「よく説明すればきっと解ってくれる。」「愛しているんだから、きっと気持ちは伝わるだろう。」と信じることは、多分にありますが、その根底には、「人は皆、同じように感じて考え、同じようなことを大切にするでしょう」という仮定が潜んでいるわけです。

でも、この仮定は本当に合っているのでしょうか。私達の日ごろの人間関係を観察してみますと、同じであると見せかけている方が多いように思えます。礼儀は気持ちを隠します。私達が人と会うたびに礼儀なしで本当の気持ちを出していたら、もっと肝心なやり取りができなくなってしまいます。また、私達は人に嫌われないために、人から反対を得ないために、本音を言わずに相手に合わせることをよくします。

根本的なところで、人は自分の観点から離れることはできません。例え、相手の立場をとったとしても、本当は自分からみた相手の立場の想像でしかありません。そして、自分の立場はこの世に唯一つだけ存在します。それは、まさにユニークで、他の人と共有ができません。そして、私達が相手のユニークな立場に割り込むことも決してできません。その個々のユニークな立場から物を見、経験をしてきたのですから、自分の世界の理解は、他の人のそれと同じはずがないのです。

と言うことは、「人は皆、同じように感じて考え、同じようなことを大切にするでしょう」という仮定よりも、「人は個々、違うことを感じて考え、違うことを大切にするでしょう」仮定したほうが、より正確かもしれません。そうであるならば、自分が相手と違う意見を表現するのがあたりまえになりますし、相手と違うことが基本ですから、お互いの相違を尊重することを習うことができるでしょう。

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