この1年を振り返ってみて、尊敬できる人が現れましたか。それとも、尊敬される立場になることはできましたか。普段、ある人を尊敬するとか、できないとか言いますけれど、考えてみますと、人を尊敬するっていったいどういうことなのでしょう。
人を尊敬するきっかけというのがあります。それまでこれと言って何も感じていない人を、何かのきっかけで見直すときがあります。そういう時とは、その人のある特徴に気が付いたり、その人の行動で、よい印象を受けたり、感動をした時のようです。そしてその人の特徴は、自分では持っていなかったり、できなかったりするときです。自分をその人の立場に置いたとき、自分ではその人のようにはできないだろうと思うと、それは尊敬に価する特徴で、よってその人をそれだけ尊敬するようになります。
それでは、自分に対する尊敬、つまり自尊心やセルフエスティームというものはどうでしょう。これもまた、人を尊敬するのと同じように、自分の特徴をある程度客観的に人と比べながら、自分なりに良しとし、自尊心が生まれてきます。セルフエスティームのある定義が、Value as much as I think others value me「他の人が自分を大切にしてくれると思われるレベルの自分の大切さ」とあるように、自分の尊敬できる特徴は、客観的に人を通して伝えられ、その上自分からも良しとした部分であります。
こうしてみますと、人を尊敬したり、自分を尊敬したりするのには、難しそうな条件があるように感じられますが、必ずしもそうではありません。それは人は各々全て違う人々であるからです。相手は自分と違うので、その中に自分から貴重と思われるものを発見できます。同じく相手も自分に対して同じことをしてくれることでしょう。そしてお互いに違いを認め合いながら、お互いに尊敬できるようになります(mutual respect)。
ところが、自分自身を尊敬できない人もいます。心の根底に劣等感や極端な恥を感じ、それが問題となっている人です。そのような感情にはまってしまっては、自己破壊になってしまいますから、それと戦いながら生きていきます。自分を尊敬に価する人間として信じたいですから、人に頼って自分を認めてもらうことに夢中になります。そのために、自分と人との違いを見つけなければなりません。そして、その違いを見せびらかせ、自慢をして、相手から賞賛を引き出さなければなりません。
この方法が上手な人の周りには、いつも決まった少数の人たちが、何かと言うと長所と思えることを拾い出して、賞賛する役割を果たします。賞賛する側も、実は劣等感や恥の問題を抱え、その解決法として、賞賛することによって、自ら救われることを願っています。
上記の極端な例を、自己愛性人格障害といいますが、そこまでいかなくても、日常このような人に巡り会うこともありますし、よく自分を見つめたら、自分もそんなことをしていたということがあるかもしれません。
子供が成長する過程で、大人のようにいろいろできないことが多いですから、必然的に劣等感や恥の経験が起こります。それを誰にでもあることであると理解し、それを克服していくのが成長においてのチャレンジであります。自分が他の人と違うことを認識し受け入れ、客観的に自分を見たときに、きっと自分にとってよい特徴を見つけることができるでしょう。また、そのような特徴を良しとして認めてくれる人がいるでしょう。そのようにして自尊心を見出していく過程で、問題の劣等感や恥は謙虚さとして変化をしていくことでしょう。