精神的問題の治し方

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image.jpg私の「生活の心理学」を読んだ人からたまに聞かれることは、「心理的問題を説明することがあるが、それについての解決策や方法が伝えられていない」ということです。まあ、記事を書くときの主な目的として、情報提供や心理現象、問題の説明が多いですから、確かに解決法が書かれていないときがあります。多くの場合、解決をするのに、専門家の援助が必要なときもありますから、解決法をただ説明しただけでは、足りないこともあるわけです。にもかかわらず今回は、精神的問題の解決法の一つを紹介してみようと思います。しかしながら、その解決法を習うまでに、ちょっとの訓練が必要ですから、それをどうしようかと言いますと、ただ勉強と努力をする以外あまり考えられません。

解決法を説く前に、その方法が解く問題について説明をしようと思います。多くの精神的問題は、感情の問題として認知されます。簡単に言いますと、嫌な気持ちを経験するということでしょう。それが怒りであろうが、フラストであろうが、悲しみ、嫉妬、落ち込み、不安、みな感じとして襲ってきます。それでそのような経験をしないでいたら、平穏な気持ちや、幸せな気持ちが漂うようになるかもしれません。

ちょっと付け足しになりますが、嫌な感じが起こっているとき、それを経験しないでいると、すなわち、それを認知しないでいると、気持ちのエネルギーが体に溜まり、それが体の臓器を襲うことになります。その結果、胃が痛くなったり、心臓が悪くなったり、頭痛や筋肉痛、そして皮膚病などにも発展することがあります。つまり、感情的問題は最終的には、体の病気として現れることもあるわけです。

また、嫌な気持ちが起こったときに、それを避けようとするのが私達の最初の反応です。そのために、誰かを責めたり(人格問題)、現実を変えたり(分裂症)、原因と見られるものを避けたり(ノイローゼ)、自分を責めたり(うつ病)するなど、いろいろな精神問題につながるときもあります。

ですから、嫌な気持ちを避ける代わりに、経験することが問題解決の方向に向かうことになるのです。でも、この経験の仕方に秘訣が含まれています。ただ単に、嫌な気持ちを嫌だと思いながら、経験してもあまり変化は期待できません。それは自分が嫌な気持ちと葛藤していて、嫌な気持ちを何とか取り除こうとしているからです。「自分に嫌な気持ちが起こったのだから、それを何かの方法で取り除けばよい」と思っているのです。実は嫌な気持ちは「自分」と相対的に発生するもので、自分を方程式の中から除外して、嫌な気持ちだけ片付けるわけにはいかないのです。

その代わりもう一つの観点を作らなければなりません。それは、「自分」と「嫌な気持ち」をいっぺんに見ようとする観点です。それをもう一つの観察する自分といってもよいですし、客観的にものを見る意識のあり方といってもよいでしょう。

そのような意識のあり方は、普段知らずのうちに経験しているときがあります。例えば、我を忘れて工作にふけっているときとか、おいしい食べ物を口に入れた瞬間、その感触、味、風味に気をとられて、無心に楽しんでいるときなどの、我を意識していない意識です。

その意識を使って、嫌な気持ちを経験し、嫌な気持ちと戦っている自分を観察してください。それができたときに、嫌な気持ちに変化がおきます。それが消化されたかのようです。嫌な気持ちの経験が去り、平穏な自分が残ります。

セラピストにとって、嫌な気持ちを経験している当事者ではありませんから、この客観的な意識を保つことがより簡単です。もちろん、訓練と慣れがあることも無視はできませんが。それで、心が病んでいる人が自分の嫌な気持ちのお話をすると、それをこの特有な意識で聞くことができます。病んでいる人が、自分で客観的意識を作ることは可能でしょうが、セラピー中はセラピストの意識を借りる形になっています。嫌な気持ちの話をすると、セラピストが客観的な意識で嫌な気持ちを経験します。その上経験した結果を、セラピストの反応として、患者さんに伝えます。その結果病んでいる嫌な気持ちに変化が起こり、その後、「話してすっきりした」という感じになるのです。

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