2009年3月アーカイブ

puppet.gif少し前にサイバーワールドに入って買い物をするのをテレビで見たことがあります。ネットショッピングのように、ただ品を選んで買うだけでありません。そこでは、アバターという自分を代表する人のイメージを作り上げ、それが、コンピューター内の世界を歩きながらいろいろな店を訪れ買い物をします。その上アバターは他のアバターと出会ったり、自分の家を決めてそこに住んだりもします。

 ここからは私の空想になるのですが、自分のアバターを好きなように、作り上げてみます。性別を選んだり、人種や国籍まで選択して、ある町に住み始めます。ある時間が経過するとお腹がすいて、食事をしなければなりません。睡眠もとらなければなりません。そうしないと体が弱くなって、倒れてしまったり病気にもなりえます。ですから、アバターを操るあなた自身がコンピューターに常に臨んで、面倒をみなければならなくなります。簡単に言えば、「タマゴッチ」の原理です。その上、他のアバターと出会ったりやりとりをすることもできます。 

このゲームの中では、アバターは食べ物を買いに行かなければなりません。そして、それにはお金が必要です。お金を得るには、アバターが仕事をしなければなりません。例えば、他のアバターがやってくるお店で、品物を売ったりします。 

その上、あなたのアバターは年もとりますから、あるところで寿命が切れて、死んでしまいます。ゲームを続けたいのであれば、早いうちに子供を生んで次の世代に乗り移らなければなりません。不注意にもあなたのアバターが死んで途切れてしまったら、ゲームオーバーです。このゲームはリセットできません。アバターが死んでしまうと、2度とこのゲームには、参加できないというルールがあります。 

それまでこのゲームを熱心にやっていたあなたは随分がっかりするでしょう。他の人がこのゲームをやっている様子を聞いて、その世の中がどうなっているか想像はしますが、あなたはそこにはもう戻れません。 

このゲームは、現実によくそって作られたものと言えますが、私達の現実の日常の世界はどうでしょう。その中では、あなた自身がアバターに匹敵します。ゲームの中でのアバターは、コンピューターを扱うあなたによってコントロールされていますが、現実では、あなたは自分で自分のことをコントロールしていると思っています。でも、本当ににそうなのでしょうか。ゲームの中のアバターも自分で生きてコントロールしていると信じ込んでいたかもしれません。あなたも自分でやっていると信じ込んでいるだけかもしれません。あなたの行動一つ一つを誰かが、または何かが操っていたらどうでしょう。ゲームの中のアバターがあなたを知らなかったように、あなたも自分をコントロールしている何者かを知ることができません。 

これは空想だと言ってしまえばそれまでですけれど、そうでないという可能性はあるでしょうか。心理学のさまざまなところに、あなた以外のなにかが、あなたを操っているという説があります。あなたの意志というものを、あなたが作り出しているというより、それが幻想であり、あなたに与えられたかのように発生し、それを自分でやっていると信じ込んでいる状態を想像できます。 

例えば、「お茶でも」と思ってそれをキチンまで取りに行くとしましょう。「お茶」という考えはあなたが考えようとして考えたのでしょうか。それとも、考えが自然と浮かんできたのでしょうか。浮かんできたのなら、何がそれを浮かばせたのでしょう。よく観察してみますと「お茶」という発想は自分から起こさせていないことが解ります。また、キチンへ歩きながら、たまたま「お知らせ」を書いた紙を見つけたとしましょう。それを読むために立ち止まるでしょうか、それともお茶の後にするでしょうか。その選択をするのに立ち止まって考える人もいるでしょうが、大抵とっさのうちに、どちらかをしてしまいます。誰が選択をしたのでしょうか。これらの例を考えたとき、何か自分より違ったものが作用して、自分が動いていると感じます。 

私達は、実際には自分の意志のないアバターのようなものなのでしょうか。アバターという言葉自体、化身という意味で、私達は何かの表現または代りということなのかもしれません。

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