2009年9月アーカイブ

心の下痢

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akuma.gif5月に「おなら」のことを話題にしましたが、今回は下痢のお話です。「心のおなら」に匹敵することは、心のストレスの健康な発散の仕方であると述べましたが、心の下痢は言葉からもお解りのように、ストレスの病的な処理方法です。身体的な下痢とは、悪い食べ物を体に取り入れたとき、それを急いで体外に出すことです。同じように、心の下痢も対処できないストレスを速く心外に出す心の防衛機制なのです。

それでは、心の下痢とはどのような心理プロセスでしょう。と思って適当な例を探していたところに、偶然現れたのがこの患者さん。あまりにも今回の話題に的中でしたので、許可を得てここでお話をさせていただきました。

彼女はショッピングバッグを持ってセションに入って来ました。ちょっと何かためらっているようなそぶりをしますが、とりあえず着席。すると、ショッピングバッグを逆さにし、中身を放り出しました。いったい何が出てくるのだろう。床に落ちた物は、頭の部分が首からちぎれそうになったぬいぐるみ。それを追うかのように落ちたのがくだものナイフ。その周りには、ぬいぐるみの中身であったスポンジが散らばりました。私が、「これ、かたずけるのたいへんだよ。」と反応すると、それが嫌味にでも聞こえたのでしょうか、いきなり壊れたぬいぐるみの頭を果物ナイフで刺しだしました。1回、2回、3回、「お前なんかこうしてやる」と私に言わんばかりに、頭をめったさし、今度はぬいぐるみをなげました。中身がさらに散らばって、部屋がまくら戦争をしてまくらの中身が飛び散ったかのようにめちゃくちゃになりました。

いったい何が起こったのでしょう。彼女が自分でもこらえられないストレスを抱えて、セションへ来たのは確かです。そのストレスの内容は、ここでは直接関係ないので置いておきまして、それが彼女が解決できない問題であり、自分の存在をも脅かす驚異的または耐え難いものであると言うことは間違いありません。つまり、自分では消化できないお腹が痛くなるような要素を持っていたわけです。そのような心の状態であるとき、心理的防衛機制が働き、それを心の外へ出そうとします。ちょうど下痢をして、ばい菌を含む食物を体外に出すのと同じです。

しかしながら、心の下痢はその受け皿がないとそれを実行することができません。そしてその受け皿は、もう一人の人物の心であります。例えばストレスを下痢として爆発させたとき、そばに居合わせた人は、その威力を避けることが難しいです。受け皿となった人の心は、下痢で心が奪われ、今度はその人が下痢をするかのように、また放出しなければなりません。私の例で言いますと、ぬいぐるみのスポンジが床に散らばったとき、思わず「これ、かたずけるのたいへんだよ。」と困惑の気持ちを口走った時でした。そして反応=下痢を受け入れられなかった患者さんは、今度はナイフのめった刺しをして、より強く下痢をしてしまったのでした。

ところで、このような極端な心のストレスを外に出さないでいたらどうなるでしょう。下痢をして、ばい菌を体外に出さない状態のときと同じく、ストレスは体や心をアタックします。精神的不安定が起こり、自分をアタックする行為が起こり始めても不思議ではありません。吐き出せないストレスは自分を破壊に導く事と発展していくのです。それは劇的な表現で、自殺行為そのものであったり、もう少し程度が和らいだ暴飲、薬のアビュース、リストカッティング、車の暴走などいろいろです。

心の下痢は以前書きました「心のおなら」と違いまして、自分にそれをどうこうするコントロールがありませんし、病的な部分がありますから、決して歓迎するようなものではありません。こういう状態が起こり続くときには、心理治療が必要です。

さて、患者さんに戻りますが、その後、しばらくして感情が治まってきますと、トイレに行きたいと行って、部屋から出ていきました。未だ、放出が足りないのでしょうか。今度は実際にトイレでしようと言うわけです。心と体の関連性に驚きを感じて待つこと数分。私も気持ちが治まってきました。患者さんは、戻ってくると、散らばったスポンジを手で拾い、その後、バキュームをかけて部屋をきれいにしてくれました。

結婚の10条、その1

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love024.gif marriage.gif「相手の嫌いな部分は、あなたが結婚前、魅力的と思っていたことである。」

これは2001年12月に「結婚の10条」と題して書いた記事の第1条でした。結婚して以来しばらくすると、相手の嫌な部分が見えてきます。ところがそれは、結婚前は実は好きな部分であったのではないかということです。よく見てみるとそれは結婚相手を選ぶ理由にまでにもなっていたかもしれないということです。

例えば、AさんはB子さんをあまりにも依存心が強くて、Aさんに頼りすぎだと思うようになりました。B子さんは自発性に欠けて、Aさんの指示がないとなかなか動いてくれません。AさんにとってB子さんは負担になってきました。では、AさんはなぜB子さんを好きになって結婚をしたのでしょうか。Aさん曰く、B子さんは、結婚前Aさんの言うことをよく聞く人だったからです。B子さんは従順でAさんをよく尊敬し、逆らうことなどなかったのです。AさんはB子さんのような人なら結婚生活もうまくいくだろうと判断をしました。しかし、B子さんの従順さが、依存心の一面であることは想像もしないことでした。

それでは、逆に結婚前の性格の理解から、結婚後の問題を予想できるでしょうか。

C子さんの父親は真面目で勤勉な人、それに合わせて母親は、面倒見のよいやさしい人でした。C子さんはそのような家庭で育って、退屈であると思っていました。彼女の結婚相手は、もう少しエキサイティング人がよいと夢を膨らませていました。ですのでC子さんはN君を見て、たいへんオープンで楽しい人だと思っています。N君はC子さんをいろいろな所へ連れ出してくれます。N君は友達も多いので、C子さんにも何人か紹介してくれ、彼女の人間関係や活動範囲が広がりました。

ここでもしC子さんがN君と結婚し、しばらくするといかなる苦情が出てくるか想像してみましょう。C子さんはN君が外出しすぎて、家庭を振り向かないと不満をこぼすかもしれません。C子さんは家で彼と一緒にゆっくりしたいと思うのですが、N君はそれに対して退屈だと言うかもしれません。また、C子さんはN君が他の女性と付き合うのをなかなか止めないので、心配になったり、嫉妬をしたりするかもしれません。つまり、現在N君のエキサイティングな性格は、後に落ち着きのない危険な一面として変化していくでしょう。

振り返って見ますと、Aさんは彼の両親が、よく言い争いをしていたのを覚えています。心の中ではもっと調和のある家族をうらやましがっていました。B子さんは彼の問題を解決してくれそうな女性だったのです。ところが、言い争ってでも意見交換をし、嫌なものは嫌、よいものはよしとはっきりさせるのは、長年一緒にいるには必要であると信じてもいました。B子さんが自分の意見を表現せず、彼に従ってばかりでは、相手がいったいどこにいるのか解りません。

同じくC子さんは、N君の外向性によって、自分の内向性の解決になると思えますが、家庭内での楽しみを大切にすることを親の世代から習っているので、N君は最終的によい結婚候補とはいえないでしょう。

結婚相手とは皆このように、なってしまうのでしょうか。ここで気が付かなければならないことは、「自分のある事柄に関して問題があると、それを解決できそうな相手を探してしまう」ということです。Aさんの問題は、自己主張が強すぎると言うことです。もう少し、相手の言うことを聞き流せたり、または受け入れたりできるようになると、あえて従順な女性を探す必要がなくなります。また、C子さんの問題は探検心が足りないと言うことです。もう少し自分から変化を求めて、新しい物を取り入れるようになると、外向的で活動好きな男性を求める必要がなくなるでしょう。

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