早期教育
早期教育よりも人と人との触れ合いを大切に
最近は、早期教育が盛んで、小さいころから親と一体一で過ごす子も増えているようです 。でも、人との接触、動植物との接触を通して言葉では伝えられなかったり、教えられな いものを子どもは学んでいくわけなので、その意味において集団の中での時間も大切と私は思います。
ただ、一言に集団性と言ってもいろいろあります。幼稚園や保育園、公園でのお喋りや散 歩の途中でのあいさつを交わすこと、そんな普通の触れ合いでも構わないと思っています 。
友人の中には、幼稚園から登園拒否が始まったり、そもそも、幼稚園に行かないのが地域的 にあたりまえだったという人もいます。双方とも穏やかで、人なつこい人間味あふれる人 で友達も大勢いるようです。
「普通」という抽象的な表現は、誤解を受けやすいでしょうし、避けるべきかもしれませんが、常識的に普通に親に人との接触があれば、限定した集団でなくても、自然な形での集団生活を送れるれると思います。
「集団性」ということ自体必ずしも立派とは言えないし、右にならえ的な人間の方が管理 しやすいから、昔から右上が集団の中で、はみ出さない人間を良しとし、奨励したに過ぎ ないのでしょうから。
「人に迷惑をかけない」「人の嫌がることをしない」「自分の欲求と他人の欲求を調整する力を持つ」そういう意味での集団性なら、ちまちました幼稚園や公園仲間に頼らずとも 親が常識、良識を持って生きていけば伝えていける。無理して既成の集団の中にいるぐらいなら「我が子ひとりの集団性ぐらい私が引き受けてやる」ぐらいの気概も持って、呑気 に散歩でもした方が、よっぽど楽しい。そう信じて、きようもまた、娘との楽しい散歩に 出るのであります。
音楽と先生を通じ死にたいと叫んだ娘が立ち直る ポピ
小学校の時、ピアノを習っていました。ピアノを買うお金がなくオルガンで練習。父が亡 くなってやめざるを得なくなりました。一年も習ったでしょうか。音楽が大好きでピアノ を続けたかったのです。先生も才能があるから、続けさせてくださいとおっしゃったと か。何才になってもいいから、買いたい。そして、バッハやモーツアルトの曲をひきたいと思います。
八才の長女は、バイオリンを習っています。きっかけは保育園の年長に入り、ひどいいじ めにあい、喘息になってしまいました。三ヵ月苦しみ、死にたいと口走り、元気だった子 が痛ましいような変わりよう。人間不信にもなりました。
そんな子になんとか生きる元気を取戻してもらおうと考え、音楽院に電話。ピアノは買えないので、バイオリンにしました。先生は、音楽の傍ら心理学の勉強中。教育者としても 素晴らしく、娘はいっぺんに好きになり、元気を取り戻しました。
先生は「今は、子どもに音楽を通して成長してほしい、音を創出する歓びを 知ってもらいたい」という方針だそうです。
レッスンの間も、練習もせず、おしゃべりばかりしている娘を、優しく見守り続けてくださり、娘は、やっと、音楽を創る歓びが分かってきたようです。
バイオリンを通して、測り知れない程、大きなものを得て、今も学び続けている感じです 。娘とレッスン中に先生の弾くとっても美しい曲を聞いていると、美しい泉の中にいるよ うで大好きです。
私も先生とは、音楽のこと世界のこと、宇宙のことなでいろいろのことを話ます。先生は 、作曲家の魂、その本、楽器、楽器の材料の木などの魂…を感じるとおが大切だとおっし ゃいます。
11才の長男は、一切習い事はしていません。自分で勉強し、本を読み、大好きなサッカ ーをしています。自分で好きなことを見つけ、自分で歩いています。
娘に「やめたければいつやめてもいいよ。」と言うと「死ぬまで先生に習う」と言います 。
受講が早すぎストレスがたまる けろっぴ
公文に、一才〜一才七ヵ月まで通いました。ただ、あまり小さくて、生活のリズム(お昼 寝や食事)と教室の時間が合わないこともありますし、おとなしい子どもなら問題ありま せんが、好奇心が旺盛になる時期だったので、教室のいろんなものに手をつけて大変でし た。自分の家なら、困るものは隠しておけますが、「それはだめ。これはだめ。」では、 親子ともストレスが、たまる一方。
始めた時は、息子一人だけのクラスで、先生も「お宅に通っても…」と言っていましたが 、生徒も増えてきて、よその子の邪魔になるのでやめました。もっと生活のルールが身について、幼稚園なり小学校に入る頃、また、チャンスがあったトライしてみようと思って います。
私自身が子どもの頃、あきっぽい性格で、バイオリン、ピアノ、ソロバン、書道、剣道、 英語といろいろやりました。でも、どれも続かなかったのは、親が忙しかったからと勝手 に親のせいに思っています。だから、自分の子どもには、ちゃっと一緒についていってあげたいのです。何かひとつのものを長く続けて習わせたいのです。公文と何かもうひとつ スポーツというのが理想的なのですけど、どうなるでしょう。
本人が楽しむことが大切 かずこ
わが家の娘(七才、小二)も現在、ピアノ、日舞、公文の教室に通っています。このうち日舞はサークル活動と大差なく、習い事とは言えないかもしれません。
ピアノと公文は6才の秋から始めました。自分からやりたいと言ったせいか、いやがることもなく楽しんでいるようです。今年の三 月まえは英語(学習館、週一回)もありましたが、どうも時間的な余裕があまりないと思い、本人を説得してやめさせました。今は、やめて何となくホッとしているようです。続 けていれば、それなりの結果は出ますが、一番大切なのは、本人が大切なのは、本人が他 の楽しんでいるか、または、やりたがっているかということではないかと思います。その上で負担になりすぎないかを見極めたらどうでしょう。
幼児教室は親同伴が多いようです。「親も一緒に楽しもう」という気持ちの余裕がないと子どもの重荷になるかもしれません。公文などは、特に「先生と子ども」「先生と親」の 人間的な相性も大きい問題だと思います。私は自分からやりたいと言わない限りやらせないつもりです。
幼児用の訪問販売で中央出版のトータルセットを購入しました。大きくなるにつれて新しいのを勧められましたが、その分アフターサービスも良く、三人で使えたのでよかったか なあと思っています。
公文の長所はマイペースで進めること、短所は学校とやり方が違うという事と、字が汚く なりやすいことです。前者の場合、学校でも「そういうやり方もあるが、こちらのやり方 もある」と、両方を認める先生でないと、子どもが混乱して、つまづく場合もあります。 それに、時間以内に数をこなすため、字の美しさより進度を重視する幼児期の公文の学習方法だと字が汚くなります。
公文があるので遊べないと嘆く子どもたち あすなろ
現在、三才半の長男と四ヵ月の長女がおります。私は、小学校の教員で現在育児休養中で す。長男は、今年一月から「子どもちゃれんじ」、四月から講談社の「英語こども教室」 とスイミングが週二回やっています。特に長男は、子供チャレンジが大好きで、親子で、 または、一人でCDプレーヤーを操作して絵本を読んだりパズルや絵を描いたいして楽し んでいます。英語は私の好きな教科なので、親子で楽しくビデオ、CDを試聴したりして います。
通信教育や習い事は、あくまで子供の興味、関心、やる気を優先して、決して強制しない ことが大事だと思います。そして、親子の触れ合いを深めるために、親子で楽しむことが できる内容のものがベストだと思います。そういう観点にたってみると「公文式」は、いろいろ問題があると思います。最初は出来るところから始めるそうですが、私の教え子で 、学校の休み時間にどっきり公文の宿題をやっている子がいました。
また、学校の宿題を忘れて公文の宿題をやっていた子もいました。「友達と遊びたいけれ ど、公文があるから遊べてない。」と嘆き声をきいたこともあります。「なぜ公文をやっ ているの」と聞いてみると「家の人ががんばれっていうから…。」など主体性のない返事 が返ってきました。半ば強制的にやらせるのはマイナスです。
早期教育という脅迫状 千葉 ちっちゃい
「3才では遅すぎる」と母親を不安におとしいれる早期教育・読んでみました 「危ない公文式早期教育」(保坂展人 太郎次郎社)「乳幼児の親たちに、公文氏とは正反対の情報を提供したい」というコノ本。早期教育をすすめるダイレクトメールは、何もしなくてもどんどん送られてくるのに、早期教育反対 の意見は自分から努力しないと手にはいらないものです。
私には、早期教育の発想って結局、自分の子どもだけ得をしたいということのように思え るのです。本当の幸せを目指すなら、まず「子ども自身を伸ばす」「子どもを枠にはめな い」のが一番(それだってかなりの努力が必要)。
そして今の世の中のおかしさ「どんなにがんばっても、女では一家を養うほどの給料が稼げそうにない」とか「父親か、毎日夜中にならないと帰ってこない」とか「学校の管理教育」とか、「受験戦争とその原因の学 歴社会」とか「大量消費社会」とかいった問題を仕方がないとあきらめてしまわないで、 なんとかしようと努力すること、これこそが親としての義務じゃないかと思っているのですが…。
それでもあのDMの洪水には、負けそうになる。これを保坂氏は「早期教育は子育ての脅 迫状」と呼ぶのです。「赤ちゃんとして生まれてきた我が子に、記録表を片手に、くる日もくる日もインプット(注入)作業と準備をこなす」のが早期教育。この異常さ、不自然 さ。赤ちゃんをもったばかりの母親ならみんなわかるよね。人よりほんの数年早く「文字 」を習得し、「本」を読むことの代償に、母と子の幸せな時間を手放すなんて、ひどすぎ るよ。
保坂氏が集めてくれた、早期教育反対の専門家の意見や資料、公文教室の良心的指導者の声などを紹介します。「脅迫状」に負けないために読んでみて。
インプット漬けにされた子どもたちの異変
家庭教育研究所 主任研究員 土谷みちこ氏談「3才児でも文字が全部読める子がいます。本が好きでひとりで読書を楽しむことはでき るのですが、不定型なものや自由遊びが苦手なんです。子どもたちの集団とか、雑多にワ イワイやる雰囲気とかにあまり溶け込めない、興味がもてないんです…
たとえば、A君は、もう入口で棒立ちになってしまう。体が動かないっていう感じでしたよ。部屋に入ってきても、壁際のコーナーで本を広げて、読んでいる姿が印象的でした…
B君は、表情がなかなか出てこない子どもでした…紙芝居を見せている時の彼の反応を見 るとわかるんですが、体わおカチカチにして正座して見るんです。…彼は家でビデオを相 当の時間数、見つづけていたんです…ずっと一人でビデオを見ている毎日からは、人との 間で作り出される表情がとぼしかったのです。そこで私たちは、なんとかB君に表情を教 えようとしました。…まず、私たちの方から笑いかけたり、ゲームをして喜んでみたり。 それから、彼をくすぐって『笑い』を共有したり…」
早くから文字をインプットされた子はパターン行動をとる
同研究所紀要より「早期に文字を獲得した子、中でも『パターン認知型』(子どもが自発的に興味を示す以 前に、絵本や積木、絵カード、カルタなどの文字環境に子どもを置いて、繰り返しインプ ットすることによって、子どもに文字を覚えさせてしまう方法)の子どもには、自発的に外界に反応し、自己の体と言葉でコミュニケーションしていこうとする態度が希薄で、それが心身の構えになりやすい育ち方と言えそうです。その結果、他社との関係が一方通行的で、受動的に見えるのです。」 「興味の範囲が限定され、子ども自身の活動場面や状況に無関係にパターンの繰り返し行 動が出現しやすい。自由遊びでは、受け身で行動することが多い、情報の流れが一方的で相互的なコミュニケーションが少ない。」
早期教育のシャワーを浴びた子の将来は、もうわかっている
心理カウンセラー 三沢直子氏談「早期教育をやると、生命力のない無気力な子が育ってしまう可能性があります。いま、 小学校から詰め込みされて育ってきた人の中にさえ、ロボットのような、人間的な活力に乏しい人が増えてきています。」 「脳のもっとも根幹部ニ『生命の座』があり、次に『本能の座』があり、さらに、ごく表層に『知性の座』があります。人間の子どもは、まず生命力を育て、そして、本能を鍛え てから知性に行けばいいのに、いきなり知性ばかりが大量の刺激を受けて肥大していくと 、本能や生命の部分が抑制されて脆弱になってしまいます。
生命や本能の座というのは『 快・不快』が中心の感情体なんですね。そこが、全然育っていないから情感に乏しい人と なってしまう。」 「今の早期教育の子どもたちを見ていると、生命体が育っていかないなーって、感じがする。生きる楽しさを知らないで、ただひたすら走っていくわけだから。ひとつの基準の飢えを走っているうちはいいかもしれないけど、いつも優位を保てるとは限らないでしょ 。ひとつしか基準がないと、一度、失敗すると、猛然否定になりますよね。たくさん基準 を持っている人は、ひとつくらいダメになっても、ほかの基準でいけばいいから大丈夫な んですが。これからは、プツンと糸が切れたほうになってしまう。「燃え尽き症候群」の 子が出てくるんじゃないかと心配しています。」
早期教育によって将来が豊かになるという保証はない
東大教育学部助教授 汐見稔幸氏講演(子育てを考えるシンポジウ ムより)事例
★幼児から小学生までは優秀児だった韓国のキム少年は、中学から崩れだし、心のバ ランスを失って大学に入れなかった。★イギリスで父親から徹底した早期教育を受けたジョン・スチュア−ト・ミルは、自分が 受け入れた「膨大な知識」と「感情や体験」との落差にやがて悩みだす。「愛こそが人生でもっとも大切なもの」という主張を知的に受け入れられることができても感情の部分で共感が生まれないから、そのとおりにしようとは思わない。その断層に落ち込んだ彼は2 0才で鬱病となっていく。
「幼児期には『人生って、こんなにおもしろいぜ』という体験を作るほうが大切。なんで もできそうで、なにひとつやれない子よりも、何かひとつやれることがある子の方が、社会ではやっていける。幼児期には、その子が好きなことをドンドンさせたほうがいい。学校 もいま、大きく変わろうとしている。明治以来続いてきた『暗記型』から『探索型』『探 究型』『討論型』に変わっていくだろう。
3才までに身につけた状況的知能は不安定で忘れるのも早い
汐見稔幸氏対談「人間の知能には、状況的知能と反省的知能があるんですよ。状況的知能というのは、そ の場の状況に応じて直観的に反応する知能ですが、3歳までの子どもはこちらの方だけ で反応する。状況が複雑であれば、大人からみて、『高度なこと』ができるように見える んですが、状況に反応しているだけだから、その状況がなくなれば、反応のほうも怪しく なってしまう。」
「本当の知能というのは反省的な知能のほうなんです。これは変化する状況に合わせて、自分の反応を意識的にコントロールする能力で、状況的知能を活性化させたパタ−ン学習では、身につかないものなのです。これは経験を積み重ねないと育たない。」
「それよりも心配なのは、2才、3才で文字だ数だと始めると、まだそれをはっきり拒否できる自我が育っていないわけですから、親というものは拒否できないのだという、自我の受け身性というか、依存性というか、そういうものがどうしても強くなってしまうということです。大きくなって自分が出せなくなり、自主性が疎外されてしまう恐れがありま す。 それに幼いころから自分の本当の気持ちを抑制して学習し続けると、じぶんの本当の感情 を出すことが苦手になってしまう可能性もあります。いずれにしても人間形成上の心配がかなりある。」
プレイグループ企画でシンフォニーを聞きに行く オーストラリア・キヨミ
先日、プレイグループが企画した「バスに乗って、シンフォニー・オーケストラを聞きに いく」に参加しました。指揮者もオーケストラの方々も、皆、カウボーイや牧場の服で、歌のお兄さんとお姉さんがいて、牧場や動物をテマにした曲ばかりを集めたものでした。一 時間かけて行われましたが、子どもが飽きてきそうな頃から、その場で踊らせたりしていました。私は何人かのお母さんたちと、このイベントに同行しましたが、皆「1時間が限度ね」と言っていました。 でも4〜5才の子どもが、本物のシンフォニーを消えるなんて、やっぱりいいイベントで すよね。息子は、指揮者のことを気に入って、家出も音楽が聞こえると、両手をそれらし く振っています。
音楽教室が合わなかった息子 埼玉県 江藤
私は、長男が3才のとき、音楽教室へ通わせたことがあります。理由は、いたって簡単。 仲良しのお友達が通わせていたから。話題についていけなくなるのが怖くて、何も他のこ とは考えず、子どもを入れてしまいました。
それで、結果はどうだったかというと、悲惨 の一言でした。最初は物珍しさで、通っていた子どもも、1ヵ月、2ヵ月と経つうちに、 だんだんと興味を失い、4ヵ月日には、月に1回というペースになってしまいました。( 本当は、月に4回レッスンがあります)。 そのせいか修了式の日には、みんな次のコースの案内を受け取っていたのに、うちだけ配 られませんでした。レッスンでも、うちの子どもだけ、ノリが悪くて、いかにも「お荷物 」という感じでしたし、きっと続けるはずがないと思われたのでしょう。最も、こちらも 続けるつもりもなく、バンザーイ!終わったーという感じでしたけれど。
長男は、今にして思えば、音楽についてオクテの方で、音楽教室で、みんなと同じことを しなくてはならないのが、きっと苦痛だったのでしょうね。彼ができなくても、カリキュ ラムは、どんどん進んでしまうのですから。しかも、まわりでは、母親がズラーッと並ん で見ている。彼にとってみれば、まったくひどい時間だったことでしょう。行きたくなく なるのも、当然かもしれません。 もともと音楽に興味のある子でしたら、きっとあの半年は、プラスになったことでしょう 。でも、私たち親子にとって、あの半年は、マイナスでしかないのです。(動機が不純で したのであまりえらそうなことは、言えないのですが)。
私が、もし、あの時、もっと冷静に考えられたら…。まわりに流されることなく、子ども としっかりと向き合って、決めるべきだったと後悔しています。 集団というのは、どうしても競争が出てくるから、かわいそうですね。できればいいので すが、できないときのみじめなことと言ったら…。いずれ、競争社会に入ってていくのに、なにも3才から…とも思います。こんな考え、甘いでしょうか?でも、長男以来こりて、下の子達には、一切通わせていません。
以下の文は、肉体と人間精神活動、メンタルトレーニング法の研究開発に取り組みながら、不登校、学習障害、家庭内暴力、その他精神障害児童・生徒のメンタルトレーニングやカウンセラーをされている長谷川一彌さんが、「Mylife」というMLに投稿なさった教育全般に関する投稿を許可を得て転載させていただいたものです。長谷川さんのML上でのいろんな方へのアドバイスが、とても素晴らしいと思ったので、是非SweetHeartの愛読者の方とも分かちあいたいと思いました。
きょうは、「子供のやる気がなくなる訳」についてお話したいと思います。私は、私のところに相談に来られた先生やご両親に必ず次の質問をしています。[質問1]
ここに絵の具があります。この絵の具の様々な色を混ぜ合わせたら何色になるか分かりますか?答えは、黒色です。
[質問2]
舞台の上にオーケストラがいます。このオーケストラの人達全員が好き勝手に音を出したらどのような音になるか分かりますか?
答えは、雑音です。
[質問3]
自分の心に悩みや問題をいっぱい抱えたらどのようになるか分かりますか?
答えは、暗黒の世界、混乱の世界に入るです。
[質問4]
あなたは自動車のガソリンタンクに泥水を入れますか?これと同じように子供の心に不安感・恐怖感・憎悪・嫉妬などの感情を入れていませんか?
これだけの質問をするとほとんどの先生やご両親は、あることに気付きます。子供の心に泥水を入れているのは、大人達であることを。
誤解しないで頂きたいのは、決して放任せよと言っているのではありません。注意すべきことは、注意して良いのです。ところが多くの大人たちは、一つだけのことを注意してあげればよいのに、ついでに過去のことや今閃いたことを言ってしまうところに問題が発生するのです。たくさんの問題が子供の心に発生すると、子供の心が混乱し最悪の
場合は暗黒の世界に入ってしまうのです。そうなると心を完全に閉ざしてしまい家族や友達とのコミュニケーションまでなくしてしまいます。
私は、このような混乱した子供たちには、抱えている悩みや問題を吐き出させて、混ざった色を色分けするように箇条書きにして、明確にしてあげます。
次にその問題を自分で解決できる問題とできない問題に分けてあげます。そして、自分で解決できる問題は、優先順位と期限や期間をつけて、やるべきことを一つにしてあげます。一つ目が解決すれば二つ目に取り組みます。また、本人が解決できない問題は、指導者の私がそのすべてを引き受けてあげるようにしています。これを1回目の面談で実行することで、ほとんどの子供達の目は輝き水を得た魚のように元気になってきます。
続編をお楽しみに!
宿題について一言
宿題の本来の目的は、学校であることを考え、あることを探求した結果学校で時間内に課題が終わらなかった結果
探求しきれなかった事を家に帰ってその欲求を満たすため
その課題の続きを家に帰って終わらせる人間精神が成長するために最も必要な事は1.欲求が湧いた対象に集中する事2.集中した結果直感した事や閃いた事を実行する事
実行した結果、また、直感した事や閃いた事を満足するまで繰り返す事だと考えます。宿題は、学校で探求した知的好奇心の未不足分を家に帰って補足しある満足度に達するまで探求する事が本質だと捉えています。
最近子供たちの間では、ゲームボーイという子供の知的好奇心をそそる物があります。また、レンタルビデオでは、ポケモンやその他のキャラクターのビデオをが氾濫しています。さて、子供たちの心は、それらに好奇心を奪われ夢中になります。
30分、1時間、2時間と、トイレも食事も忘れて熱中します。子供たちは、このような、集中力や集中持続力を持って
いるのになぜ、机に向かう事ができないのでしょうか。それは、知的好奇心を満足させるものが無いからなのではないでしょうか宿題は、机に向かう習慣作りのためではありません。知的好奇心を満足させるためだと思います。机に向かって図鑑を開き、また、机でミニ実験を行い机で作りたいものを作り、机で描きたいものを描くことで机に向かう習慣が形成されるのではないでしょうか。
私の子育て経験で感じる事は(我が子の5歳〜10歳頃の場合ですが)子供の好奇心のプライオリティーは
親が楽しい事をしようと提案した事
スリルと冒険
子供自身の興味の対象
珍しい物・面白い物、珍しい人・面白い人、珍しい番組・面白い番組
友達との遊び(遊びがマンネリ化するとその子の家に行かなくなる)などです。
例えば、子供がゲームボーイで遊んでいるとしますそこに、父親が帰ってきて面白いものを作ってやろうかと言います(過去に子供の期待を何回か裏切った親は条件外)すると、子供はゲームボーイを止めます。同様に子供がゲームボーイで遊んでいる時にテレビ番組で楽しいシーンが登場し、番組内の参加者が笑った時やその番組を見ていた親や兄弟が笑った時などは、ゲームボーイを動かす手は止まり番組に心が向きます。このような子供の行動を観察していると、明らかに子供の価値観にしたがったプライオリティー(雑な日本語ですと優先順位)がありことが分かります。このようにして子供が優先したくなるような机でのワークを与えてやると子供は、机に釘付けになりのです。
もし、知的好奇心が湧かない宿題を持って帰った時は、親の知恵でその宿題の楽しさや面白さを演出し子供の心
に知的好奇心がより湧くように「これはね!こうするとね!ほら、おもしろいだろう!」と導く事で宿題へのプライオリティーが高まるのです私の4人の子供は、このような親の誘導により知的好奇心のレベルを次第に高めて行きました。
早期教育の解釈について前メールでは、コメントしていませんのでメンタルトレーニング研究結果からの早期教育に対しての私見を述べます私は、仕事柄、幼稚園・小中高校の先生や多くのお母さん方の面談・指導をさせていただいております。この経験から分かってきたことは、早期教育の解釈について個々人の価値観の違いから子供に問題が発生していることが分かってきました。
早期教育の本来の目的早期教育の真の目的は、子供の成長発達を助長するとにある。本来自然の中で育った子供は、自然界よりの刺激により乳幼児期で五感を健全に発達させます。しかし、現実には、コンクリートジャングルの中での生活や両親が共働きなどで十分な刺激を子供に与えていないなどの事由により、乳幼児期の内的な発達が遅延している子供が多くなってきたのです。内的な発達とは、脳神経細胞のネットワークの意味を言います。
しかし、現在解釈されている早期教育は、発達成長の段階のに合った学習でなく発達成長段階よりも早い時期に学習させ教育効果を高めることを目的にして実践されていることが多いようです。幼児期は、本能的に感覚的好奇心が旺盛です。これは、知的好奇心とは異なります。知的好奇心は、もっと後の年齢で表面化してきます。
では、少し脱線して脳の発達成長について一言人間の脳は、約1860億個の脳細胞が存在しています。その中でも知性を司っている大脳新皮質には、約140億個の脳細胞が存在しています。大脳新皮質の脳細胞は、生まれた時から約140億個存在していますが、細胞は存在していても細胞間は殆どつながっていない状態で生まれてきます。ですから、赤ちゃんは、生まれてすぐには目が見えないし音も聞こえないのです。ところが、誕生後の人間は、誕生時にすでに創造されている目や耳などの感覚受容器により環境からの光や音を感覚します。感覚受容器で感覚した刺激は、感覚受容器で信号化されインパルス(脳波)として脳のほぼ中心に位置する視床へ伝達されます。視床へ伝達された光のインパルスは後頭部の視覚領へ、音のインパルスは側頭葉の聴覚領へ送られます。さて、視覚領や聴覚領へ送られたインパルスの刺激により、根元にある神経細胞から軸索という手足のようなものを長く伸ばします。
例えば、お母さんが子供に向かって「ママよ」と言ったとします。この声は、感覚受容器である耳に入り三半規管でインパルスに変換され、脳の視床へ送られます。次に視床から一部の視床とつながっている聴覚領の神経細胞へおくられます。視床とつながっている聴覚領の神経細胞は、その受けた刺激により自らの細胞の軸索(手足)を伸ばします。お母さんが毎日毎日、何回も子供に語りかけることにより子供の脳内の神経細胞は、音が変換されたインパルスの刺激でどんどん軸索を伸ばし、他の神経細胞と網のようにつながっていきます。この刺激の繰り返しが正しく行われると、3歳の頃には脳神経細胞網状組織という、ある概念が理解できる細胞のネットワーク集団が創られるのが大脳生理学の研究で分かってきたようです。
私たち専門家は、この3歳までの神経細胞への刺激を健全に与えることを重要と考えています。また、この時に五感のネットワークがほぼ完成されることから「三つ子の魂」の言い伝えが間違っていないことも確認できたのです。
このメカニズムは、聴覚のみならずその他の五感(視覚・触覚・嗅覚・味覚)も同様にして成長・発達することが研究論文等でも発表されています。
少なくとも現在の大脳生理学や生理学等で分かってきている脳などのメカニズムや過去より伝承されてきた子育ての知恵を統合しますと発達成長の段階の年齢に合った学習ではなく、発達成長段階より早い時期に様々な教材を使って教育効果を高めようとする早期教育には、大きな落とし穴があるように思えて仕方がありませんでした。
前記に解説したことを助長させることがポイントですので、これは教育ではないのです。発達成長助長プログラムなのです。しかし、これを誤解した親はこのプログラムをさせることに集中してしまいます。
発達成長助長プログラムは、受動的なものでなければなりません。本来、自然の中で育った子供は、子供の本能的な欲求に従い自由に刺激を選択できます。しかし、プログラムを実行させることを目的にしてしまうと、子供の本能的欲求が高まらないにもかかわらず、プログラムを強要してしまうのです。これでは、脳神先程の感覚の受容は、子供自身の意志が働いたとき成功するのです。子供が拒否をしたり、乗り気でない時に五感の刺激を入れると、防衛反応が働き始めます。これを繰り返すと感覚の遮断が脳の中で起こり、インパルスの伝達を止める回路が生起します。すると、大問題が発生します。ある感覚が来ると脳の視床は、その感覚を新皮質に送らなくなってしまいます。
その結果は、もうお分かりだと思いますが、学習障害や自閉症などの諸問題が未来に発生するのです。
次に、発達・成長と教育・指導の代表的矛盾例をお話します。当教室会員の子供の1人に小学6年生の子供がいます。この子は、小学2年生より不登校が始まりました。この子供の両親は、学校の先生です。私は、両親との初期面談で様々なお話を聞いた後に次のような話をしました。教育指導についてですが、小学校で「廊下を走らない」「階段を跳ばない」というルールを教え守らせるのは、教育指導だと思いますが、いかがでしょうか。両親は、その通りです。と答えました。次に発達成長についてですが、子供の心身が発達成長するには、走ったり跳んだりすることが必要だと思うのですがいかがでしょうか。両親は、必要だと思います。と答えました。ところで、お子さんを育てる時にご家庭では、暴れたり跳んだりすることを容認されてきました。と尋ねました。特にお父さんの方から、とんでもない家の中で跳んだり暴れたりするのはいけないことです。我が家は、マンションですから近所迷惑になります。ですから、小さい時から家の中ではおとなしくさせてきました。では、いつ、お子さんは走ったり跳んだりしたのでしょうか。
両親曰く、それは、保育園の時や小学校でしているのではないですか。では、もしお子さんが保育園や小学校低学年の頃にそれをしていなかったらどうでしょうか?一瞬、両親の顔が青ざめました。
この後、話は続くのですが。結論として、この子供は、小さい頃から保育所に預けられ、家では教育指導の下におとなしくさせられ、学校でもおとなしくて暴れたり廊下を走ったり、階段を跳んだりしたことがない子供だったのです。また、両親もそれを家庭でも肯定し、教育の名のもとに子育てをされてきました。
そして、もう一つ分かったことは、小さい頃より早期教育プログラムを実践しており、早期教育を推進している保育所に預けられ、小学1年生より早期教育の塾に通わされ、小学2年の途中から体調の不調と共に学校に行かなくなってしまったのです。この両親の子供は、脳で表現するとある部分の脳神経細胞のみが鍛えられ網状組織化されてきたように思います。事実、運動はさっぱりでキャッチボールもできないのです。ところが、プライドだけは高く、よって、友達とボール遊びは絶対にしないのです。ねぜなら、下手であることを知られたくないからです。幼少の頃は、早期教育の効果があり「神童」と呼ばれていたそうです。そして、両親も保育所や教育に関わる人達が賢いお子さんですね、天才ですねの言葉にいい気になり、発達成長の本質を見失っていたのです。
現在では、私の説明を理解していただき精神の成長発達プログラムを ご家庭で実践していただいています。(まだ、2ヶ月です)さて、問い合わせの本ですが、残念ながら早期教育の弊害に関する書籍はあまり見当たりませんので、発達成長についての本をご紹介します。私の友人で和歌山大学教育学部教授(教育学の権威)の市川純夫教授の著書を推薦します。
「発達を見る姿勢」 市川純夫 出版社(不明:友人に貸しているので)
以下は、「子供の態度や行動を(無理矢理)コントロール」してしまうようなやり方を長期にわたって続ければ、後々歪みが出るだろうが、子どもが喜んで絵やテープを見たり聞いたりする限り何も問題はないのではないか?やり方によっては、早期教育=悪とは言い切れないのではないか?という質問に対しての長谷川さんの御意見。
極端な表現ですが、子供がアダルトビデオに興味を示したら決して見せませんよね子供がたばこに興味を示したら触らせませんね。要は、どのような質の感覚を味合わせるかが重要となってくる訳です。しかし、子供の感覚的好奇心は、子供が生活している環境に存在する感覚でしかない訳です。子供が絵本やテープで喜ぶのは感覚的好奇心からですが、逆説的に言いますと、それしか感覚的好奇心を満足させる物がないと解釈できるのではないでしょうか。
ですから、親達は、積極的に子供を自然界に連れ出し無限の幅のある自然の色や音や匂いという刺激を与えることが、早期教育以前に必要なことなのです。私は、早期教育の否定論者ではありません。早期教育の深い意味も分からずにビジネスとしか捉えない大人達、子供を有名幼稚園や有名小学校に入れることを目的に早期教育を捉えている親達、また、諸般の事情で日頃子供に関われない親が子供の教育が遅れていると錯覚して実践させようとする親達には、警告を発したいと思います。しかし、成長発達を促進させ健全に子供を育てている親達には、一歩進んだ教育として早期教育は、推薦したいと思います。
子供の脳が十分にバランスよく感覚を受容し、発達成長したら、早期教育は成功することは保証します。多くの子供は、早期教育するに至る脳の成長発達に達していないというのが私の個人的意見なのです。
長くなりました、すみません
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メンタルマン:長谷川一彌
sh01-sym@yo.rim.or.jp
heart@sympathyunion.to
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