104770 re(1):”死にたい”="誰か私の話を聞いてほしい”だったのかな |
某ニュースサイトで、自殺心理に詳しい先生が、この事件についてコメントされていました。
「しにたい」と言っている間は、辛くて話を聞いて欲しい状態なんだそうです。
だから、SNSはそういう意味では、話を聞いてくれる相手ができていい面もある。
けれどもそこで事件のように間違った方向へ導いたり、本当は自殺なんてしないだろうとか、余計なアドバイスをしたりすると良くないそうです。
ただ話を聞いてあげて、辛い気持ちを分かってあげるのがいいと。
「死にたいほど辛いけど、死にたくない、でもどうすればいいか分からない」状態です。
その時期を過ぎると、実際に行動に移してしまう人もいるのだそうです。
その時は、もうSNSにも周囲にも何も言わない。決意を邪魔されたくないし、話して余計な重荷をかけたくないと考えるそうです。
親として友人として出来ることは、普段から何でも相談できる環境を作っておくことかなと思いました。
〔ツリー構成〕
【104764】 ”死にたい”="誰か私の話を聞いてほしい”だったのかな 2017/11/10(金)11:39 SNSの怖さ (2089) |
┣【104770】 re(1):”死にたい”="誰か私の話を聞いてほしい”だったのかな 2017/11/12(日)06:35 そうみたいですよ (792) |
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┣【104783】 re(3):”死にたい”="誰か私の話を聞いてほしい”だったのかな 2017/11/16(木)16:13 ぼんご (1028) |
┣【104788】 re(4):”死にたい”="誰か私の話を聞いてほしい”だったのかな 2017/11/20(月)13:05 SNSの怖さ (857) |
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