生きていくこと

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こんな言葉に最近出会いました。。

幸福とは個人の問題、人の心の持ち方文句を言うと幸せが減る。感謝すれば、幸せが増える。なんかその通りだな〜と思いました。私たち人間って、病気になって、健康の有難さ身に染みるし、時が過ぎて、あの時は幸せだったと思えたり、その時、その場では感じないのよね。難しいね。

だから、今ある事、今ある状況から、幸せ探しできたらいいな〜と思う。
聖書には、金持ちや健康が幸せとは書いていないのよね。逆に、苦しみがある人は幸いであるとか、悲しんでいる人は幸いであるとか。。なんか、考えさせられるね。


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「生きていくことって」という主旨とは異なりますが、私なりの生きていくこと、について。

「言霊」っていうのかしら、私は言葉の持つ力を信じるので、夢のようなことも常に心に思い描くことを忘れないようにしています。言葉に出すことで、自分を導くことができる部分があると思うからです。例えば、親友と呼べる人が2人いるのですが、1人は高校卒業後、美容専門学校へ進学。その頃から、ヘアスタイリストとして最前線の仕事をしたい」といつも口にしていました。今は、雑誌に出たり、ショーに出たり、ビデオクリップの撮影に引っ張りだこ。本当に最前線です。

もう1人とは高校で出会い、その頃から人形作家になりたいと言って、20歳くらいの頃、有名な人形作家の下で勉強し、今では1体何十万とする人形を製作しています。銀座で個展を開いたり、とても楽しそうです。私は芸術で身を立てることができないので、そんな彼女の勇気と才能がうらやましくもあります。

じゃあ、私は?というと、高校までの取り得は唯一実用英語で、大学生の頃渡米。昔から、日本以外の国で暮らしてみたいという思いが強く、今は夫にも恵まれ在米。子どもの頃から、あこがれていた仕事も、この地ですることができました。以上、本当に身近な生き証人。

次に私が大切だと思っていることは、発する言葉に気をつけること。愚痴、ねたみ、皮肉、などをそのままの形で裸のまま口に出さない。信じるか、信じないかは、どうぞお試しください。そういう生き方をしていると、人間どす黒く醜くなります。歳をとると、生き様が顔に出るように。あと、人と会う時は、会ってよかったと思えるようにする、など。そうすると、不思議なんですが、
周りにはポジティブな人が増えています。

以前、リタイア直前の60歳くらい同僚に言われました。「人間は皆泣きたくなるような気分になることがあったり、寂しくて仕方の無い時もあるのは分かっている。それでも、君はいつもポジティブだった。僕も1日1日を幸せな気分で過ごしたいから、君と仕事をすることがとても楽しかった。人間は、そうやっていつもポジティブでいると、自然と類が類を呼び、同じような仲間が増えるものだ」と。それをリタイア直前に伝えられ、涙がこぼれました。以来、その言葉が人生の教訓になっています。

誰もがそうだと思いますが、私も色々なことに苦しんできました。高校生の頃の祖母のうつ病からの自さつで切り立った崖っぷちから、突き落とされた気分を味わい、心のなかのその葛藤が収まるまで、見事7年。夫婦関係でも苦しんだ時期がありました。でも、苦しんでいる時は「この世の果て」だとか、the biggest loser なのではないかと自分を追い詰めたこともありましたが、時の流れに身を任せたら、ある日突然その闇から抜け出せる言葉やきっかけとなる出来事に遭遇することができました。

生きていくことって、そんなアップダウンの繰り返しで良いんじゃないでしょうか。きっと、そうして生きる術を身につけ、タフになる。長くなりました、失礼します。


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言葉の持つ力…本当に忘れていました。私ってば最近「なんか、いいこと、ないかなー?」が口癖になっていて…。

私自身、東京に出たいの一心で一度地元に帰り就職したものの、東京に出てきて好きなことで就職できて、今は家でそれをやっているんですが、日々の中では、好きとかよりも生活に追われたりして、大切なこと、すっかり忘れてました。

身内の話なんですが、私の弟は高校卒業時、担任に「行ける大学なんて、ないですよー」と面談で言われ、でも当時行っていた塾の先生の影響で、全く圏外の偏差値の高い大学を志望。無謀と言われつつ浪人、合格して、今は公認会計士です。近くで弟を見て、元々の能力なんかを考え合わせてみると、想いや言葉は人を動かすし、人間できないことなんて何もない、なんて思ったりしました。子供にはそれを伝えたい、と思っているのに、自分はため息ばかりで、なんだかこのスレでいろいろ考えさせられました。どうもありがとう。

それから、私、以前にヘルニアで全く寝たっきりになってしまったことがあって、手術して回復した時、自分でトイレに行き排泄が出来ることだけで、なんて幸せなんだ!って感じました。(オムツを替えてくれた夫や看護士さんには感謝してますが…)1ヶ月半ぶりに車椅子に乗って外に出たとき、空がとっても青くって、桜の花びらがとってもやわらかくて美しくて、太陽の光がとってもまぶしくて、世界がキラキラしていて…。それも忘れていたな〜。

その後下の子が生まれたんですが、生死の境をさまよいまして…、NICUで、ただひたすら生きることだけに頑張っている大勢の赤ちゃんを見たとき、普段いろいろ考えていることが全て些細なことに感じて、あー、生きていることに感謝して生きなきゃなー、と思いました。それも忘れていました…。

なんかまとまってませんが、みなさんの投稿を読んでいたらこんなことを書きたくなってしまいました。

ところで最近の私の幸せな時間…布団の中で子供を抱いている時。子供は自分が癒されたくて「抱っこ」と言うのかもしれませんが、本当に癒されているのは、むしろ私の方かもしれません。(こんなことも書きたくなりました)


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夫も私もクリスチャンなので、夫と毎晩夕食後に聖書を一緒に読んでいるのですが、「人間はパンのみで生きるにあらず」という言葉があり、つまりお金に困らず、いくらパンでお腹が満たされていても、精神的に満たされていないと人間は決して幸せにはなれない、という意味ですが、本当にそうだなとしみじみ思います。

最近、友人が私にメールで送ってくれた詩がとても心に響いたので、ぜひご紹介したくて、勝手に転記させていただきます。(大丈夫かしらー??)私はこの詩に感動して、プリントアウトして部屋の壁に貼っています。

タイトル:祈り(ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に、一人の患者が書き残した詩)

大きな事を成し遂げるために 力を与えて欲しいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと、病気を賜った

幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべて叶えられた

私は、最も豊かに祝福されたのだ

(転記終わり)

いろんな事があって、「何で私がこんな目に遭わなきゃならないの・・・なぜ?」と思う時って、人生の中で何度かありますけど、この詩を書き残した患者のように考えることができたら、と思います。上の方でもマリアさんがおっしゃってますけど、どんな辛いことや悲しい事にも感謝の気持ちを持って、何を与えられても、それを祝福(辛い試練も祝福のうち、と考える)と受け止め
られれば、これ以上の幸せってないんではないかな、と個人的に思います。

でも、それは無神論者の人には難しい事であり、神の存在を信じれていればこそ可能なのかも知れません。あー、宗教くさくなってしまいましたね。ごめんなさい。


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 かなり余談かもしれませんが、皆さんご存知ガンジーの言葉です。新聞に昔のってたのをとても感動したのでとってありました。興味がおありなら読んでください。(^^)

ガンジー:
学校の成績は中位で臆病な生徒。並はずれた徳心の持ち主。18歳でイギリス。弁護士となるが南アフリカへ渡り差別を侮辱に直面。78年の生涯は一人の狂信者の凶弾によって終る。最期の言葉は「その青年を許せ」であった。

『七つの社会的罪』

1.理念なき政治
2.労働なき富
3.良心なき快楽
4.人格なき学識
5.道徳なき商業
6.人間性なき科学
7.献身なき信仰

本当に立派な人だったんですねぇ・・

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