過去のメルマガ・エッセイ

アメリカの子育てや生活の様子を綴ったエッセイです。

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【アフガニスタン人からの手紙】

この手紙は私の友人タミン・アンサリが送って来たものです。タミンはアフガニスタン系アメリカ人のライターです。彼は私の人生の中で知りうる最も聡明な友人の一人です。以下は、アフガニスタン人としての彼の意見です。

-Gary T.

「アフガニスタンを爆撃し、石器時代に戻してしまえ」という多くの会話を耳にしました。今日のラジオ番組のKGOトークショーでロン・オーウェンが、『我々は戦争をしているのであり、間接的ダメージを受け入れなければならない。その他にどんな手段があるだろう。』と、罪のない人々、この残虐行為と関係のない人々を殺すことを容認していた。その数分後、テレビの博識ぶった人が『我々に、それをする覚悟があるかどうか』について話していました。

私は、アフガニスン出身であり、今、持ちあがっている問題は特に私にとって辛いことです。私は、アメリカに35年以上暮らしていますが、一度もアフガニスタンで起こっていることを見逃したり聞き逃したりしたことがありません。そんな私にとって、この件は特に難題である。そこで私の立場から、この問題がどう見えるか、耳を傾けてくれる人のために話したいと思います。

私は、タリバーンとオサマ・ビン・ラディンを憎む者の一人として話します。私の中ではこれらの人々がニューヨークの残虐行為に対して責任があるということに関して何の疑いも持っていません。これらの怪物に対して何かがなされなければならないということには賛成です。

しかし、タリバンとビン・ラディンはアフガニスタン人ではありません。彼らはアフガニスタンの政府でさえないのです。タリバンは、1997年にアフガニスタンを占領した無知な精神異常者達のカルトです。ビン・ラディンは、計画を持った政治犯です。タリバーンを考える時、ナチスを考えてください。ビン・ラディンを考える時、ヒットラーを考えてください。そして“アフガニスタンの人々”を考える時、収容所に入れられたユダヤ人を考えてください。この残虐行為にアフガニスタン人は、何の関係もないだけではありません。彼らは、犯罪人の最初の犠牲者なのです。彼らは、もし誰かがやって来てタリバンを連れ去り、彼らの国を占領している国際的悪党達を一掃してくれたなら歓喜するでしょう。

アフガニスタン人は、なぜ立ちあがりタリバンを倒さないのかと言う人達がいます。答えは、アフガニスタン人は飢え、疲労し、傷つき、無力にされ、苦しんでいるからです。数年前、国連が、経済というものが存在せず食料のないアフガニスタンには50万人の身体障害を持った孤児達がいると概算しました。

何百万人という未亡人がいます。タリバンは、これらの未亡人を集団墓地に生き埋めにしているのです。土地には地雷がばら撒かれ、農場は全てソビエトによって破壊されました。これらは、なぜアフガニスタン人達がタリバンを倒さなかったのかという、ほんの2〜3の理由です。

最初の「アフガニスタンを爆撃して石器時代に戻す」という案に戻るとしましょう。問題は、既にそれは成されているということです。ソビエトが既にそれをやってしまっているのです。アフガニスタン人を苦しめる?既に彼らは苦しんでいます。家を破壊しつくす?既に成されています。彼らの学校を瓦礫の山にする?既に成されています。彼らの病院を全滅させる?既に成されています。彼らの社会基盤を破壊する?薬や医療を断つ?遅過ぎる。既に、それら全てのことが成されているのです。

新たな爆撃は、先の爆撃でできた瓦礫をゆさぶるだけです。では少なくともタリバンを捕まえられるのか?ありえそうもありません。今のアフガニスタンでは、タリバンのみが食べ、タリバンのみがあちこちに移動する術を持っています。タリバンは、うまく逃げ出し、隠れるでしょう。恐らく爆撃は、障害を持った孤児に当たるでしょう。彼らはあまり早く動くことができないし、車椅子さえも持っていないのだから。

カブールの上空から爆弾を落とすことは、この恐ろしい仕業を行った犯罪者に対する本当の攻撃にはなりません。実際、タリバンが、ずっと強奪してきた人々を、もう一度強奪することによって、タリバンと協力していることになるのです。

では、他に何があるのか?それでは、どうすればいいのか?真の恐怖におののきながらも、述べましょう。ビン・ラディンを捕える唯一の方法は地上部隊で、そこに侵入することです。人々が、「やらなければならないことをやる覚悟があるのか」と言う時、「必要とあれば何人でも殺す覚悟があるのか」「罪のない人々を殺すことへの良心の呵責を乗り越える覚悟があるのか。」という意味合いをも、その人達は、考えているのです。

実際に、正視されていないのはアメリカ人が死ぬということです。ビン・ラディンの隠れ家に行くためにアフガニスタンを通る途中の戦闘で死ぬアメリカ人がいるからだけではありません。皆さん、それよりも被害はずっと大きいのです。どんな軍隊がアフガニスタンを送るにしても、パキスタンを通らなければなりません。まず、彼らは私たちを通すでしょうか?ありそうもないことです。そうなると、パキスタンをまず征服しなければなりません。他のイスラム諸国は、簡単に我々の味方になってくれるでしょうか?私が何を言いたいかおわかりですね。私たちはイスラム諸国対西側の世界戦争をもてあそんでいるのです。

想像してみてください。それがまさにビン・ラディンの計画なのです。それが正に彼が望むところなのです。それが、彼が今回のことを行った理由なのです。彼のスピーチや発言を読んでみてください。全ては、そこに書いてあります。彼はイスラム教が西側を打ち負かすと本当に信じているのです。馬鹿げたことのように聞こえますが、彼は、もしイスラム諸国と西側の世界の二極化に成功したならば、何億という兵士を得ることができると計算しているのです。もし西側が、それらの土地において大虐殺を行えば、何億もの人々は失うものは何もなくなりります。でもそれはビン・ラディンの視点から見ればさらに良いことなのです。彼は、恐らく間違っており、最後には、それがどんなことを意味しようと、西側が勝利するでしょうが、戦争は何年も続き、彼らの側だけでなく、私たちの側でも何百万という人々が死ぬでしょう。だれが、そんな覚悟があるでしょう。ビン・ラディンはあります。他にも誰かいますか?

Tamim Ansary タミン・アンサリー

【友人からのメッセージ】

今、インターネットでは、今回のテロに関するあらゆるメッセージが飛び交っ ています。以下は、友人が、「この文章を読んで、この悲劇がもたらした原因 に関して、より広い視点から考えさせられた。」というコメントつきで送って くれたメッセージです。是非、これを読んで一人一人が自分自身に対して、同 じように問いかけてみてください。

The Deeper Wound:  Deepak Chopraより:(訳:SweetHeart)

あの想像を絶する出来事が起きた45分前、私はニューヨークを飛び立った飛行 機に搭乗していた。その飛行機がデトロイトに到着する前に、大混乱が起きて いた。アメリカの安全が、かくも悲劇的に破壊されてしまったという事実を知 った時、ただ呆然とした。私の妻と息子は、それぞれ私とは別便で一人はロス に、一人はサンディエゴに向かっていた。私の体は恐怖で完全に硬直してしま った。彼らの安全以外のことは考えることができなかった。そして、彼らの飛 行機が飛び立つ前にキャンセルされたと知ったのは、やっと6〜7時間後のこ とだった。

不思議なことに、この吉報を知った後でも、私の体は、まだ、まるでトラック に衝突されたように感じていた。生き延びることのできなかった何千人という 人、そして生き残ったものの、これからの何ヶ月も何年もをトラウマの地獄で 生きる人々よりはるかに、私個人の感覚の中では私のトラウマはひどいものだ と感じていた。

そして私は自分自身に問いかけた。なぜ先週は、このように感じていなかった のか?なぜ私の体はイラクやボスニアの爆撃の最中には、このように硬直しな かったのか?世界中で私の経験したような恐怖や不安は毎日のように誰かによ って経験されているのだ。母親達は、こどたちを失うという恐ろしいほどの喪 失に涙を流し、市民は容赦なく爆弾の犠牲となり、難民は自分の家、生まれた 土地から引きはがされている。なぜ私は、そのような恐怖を阻止しようと行動 を起こすだけの苦悩を感じなかったのか?

私達はメリカの安全強化、テロリズムへの軍事力増強に対する要求を耳にする けれども、実際には誰もどんな答えも持っていないことは明らかである。けれ ども、私達は質問を投げかけざるを得ない気持ちになる。

全ては原因があり、私たちは、それを追及しなければならない。この邪悪の原 因の根は何なのか?表面的ではなく、最も深いレベルでそれを捜さなければな らない。このような邪悪は世界中あらゆる所に存在し、賞賛さえされている。

この邪悪は、わたしたちの知らない人々によって感じられる苦悩から来ている ために、わたしたち自身は無視しているのだろうか?彼らは、このような状況 下で、長い間暮らしているのだろうか?

誰が攻撃をしかけたにしても、その人々はアメリカへの、執念深い憎悪を感じ ていると推測する人もいる。なぜ私達は、受難の焦点として世界から選ばれた のだろう?

全てのこのような憎悪と苦痛の根底には宗教があるように思える。しかし異教 徒に対するる聖戦、戦争が神の名の元に行われるのは、何か恐ろしいほどの間 違いがあるのではないか?アイルランド、スリランカ、インド、パキスタン、 イスラエル。パレスチナにおいて、またはアメリカを受け入れない宗派の中で さえ、神がこのような憎悪を求めたはずはないのではないか?

軍事力による報復は、根本の原因に、わずかでも変化をもたらすのか?ヒュー マニティー(人間らしさ、人間性、人間愛)そのものに深い傷を負わせてしま うのではないだろうか。

もし深い傷を負ったなら、それは全ての人に悪影響を与えるのでではないだろ うか。爆弾、自爆攻撃、生化学兵器が私達に向けられているが、誰が一体これ らの武器を最初に開発したのか?誰が彼らにそれらの武器を売りつけているの か?誰が今私達に対して向けられている悪魔のようなテクノロジーを生み出し たのか?

もし私達全てが傷を負ったなら、報復は許されるのだろうか?誰かに対して何 らかの形で罰を与えれば、傷は癒されるのか?それともさらに傷を深くするの か?目には目を、歯には歯を、手足には手足を・・は私達全てを盲目にし、歯 なしにし、手足をもぎ取るのではないか?

種族同士の争いは過去二千年の間絶えることはなかった。そして、現在さらに 世界的に拡大し続けている。種族間の争いは終わりになるのか?愛国主義、ナ ショナリズムは、今や適切なことと言えるのだろうか?これらは、種族中心主 義の別の形に過ぎないのではないだろうか?

今起こっていることに対して私達は一人の個人として何ができるのだろうか? 私達に、既に負ってしまった深い傷をさらに膿ませてしまうだけの有余がある のだろうか?

全ての人がこの出来事をアメリカへの攻撃だと呼んでいる。しかし、これは私 達の共有する魂の裂け目ではないだろうか?文明に対するこの攻撃は文明の空 白から起こっていると同時に、文明そのものの、その内側から起こっているの ではないか?

ショックと嘆きを乗り越え、私達が再び安全を取り戻し、傷を癒した時、魂の 希求が始まる時である。私の投げかけた疑問の数々が、最も精神的な意味で、 皆さんに思慮していただければ幸いである。軍事力の盾や積み上げられた兵器 の後ろにいても、私達は誰も安全だと感じない。根幹の原因が明らかになるま では安全などないのだ。このショックの時、誰もその答えは持たないだろう。 私達は祈り、お互いに慰め、助けあわなければならない。しかし、もしこの瞬 間、わたしたちが世界の誰かに対して暴力や憎しみを少しでも抱いたとしたら、 それは私達が世界を傷つけることに対して貢献していることになるのだ。

Love, Deepak Chopra

 

【テロ】
9月11日(火)5:00P.M.執筆

10時15~25分、夫から電話。"America is under attack. Go get Danny(長男)."という、ただらぬ声の調子に急いでCNNをつけると、あのワールドトレードセンターが崩れている映像。“Oh,my God!”体が震える。学校に電話を入れると、NYで両親が働いている子ども達もいるので学校は閉められないけど、家にいるなら迎えに来た方がいいとのこと。急いで迎えに行く。家に着いた途端に、仕事で1週間に1回はNYに行く夫の安否を心配した友人、知人の電話が次から次へとかかってくる。しばらくして、やっとちょっと一息ついた頃にメールを開くとありがたいことに日本の知人達からも「大丈夫?」とのEメール。

幸い、我が家は全員無事。私自身、以前ワールドトレードセンターで2年間働いており、先日も、仕事で行ってきたばかり。帰りに歩いて回った地下のショッピング通りなどの様子が胸によみがえってくる。

今のところ、知り合いで巻きこまれた可能性があり、まだ安否がわからないのは1名。友人のボーイフレンドで2番目に崩壊したビルの93階で働いていた。友人の話しでは、「今、隣のビルですごい爆発があった。」と電話をしてきてその後、連絡が取れないでいるとのこと。隣の夫婦は二人NYに通勤している。大丈夫だっただろうか。

テレビではしきりに「パールハーバー以来の惨劇」という言葉が聞こえてくる。「パールハーバーでアメリカ人が一丸となってJapaneseに当たったように、今回もアメリカ人が一つになって敵と戦おう・・・」

ふと外に目を移せば空は青く澄み渡り、気の早い秋の虫達の鳴き声が聞こえる。まるで何もなかったかのように。戦争と平和、生と死は隣同士。平和とは、一瞬にして崩れ去った、あのワールドトレードセンターのようなものかもしれない。

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9月12日

一夜明け、どこに行っても、誰と会っても、まず挨拶代わりのように「家族は全員無事でしたか?」とお互いに確かめあう。

息子の学校でも二人の子どもが父親を失った。町の郵便局に行くと、いつも言葉を交わす郵便物担当の女性が「今朝の新聞で、ここに来るたくさんのカスタマーの名前が出ていた。一人一人の顔がまぶたに浮かんでくる」と暗い顔をしていた。次男を床屋に連れて行くと実際にトレードセンターから2ブロック離れた場所にいたという客の一人が髪を切ってもらいながら興奮気味に生々しい体験談をしゃべっている。他の客達も皆、彼の話しに耳を傾ける。

夫婦でNYに通勤しているお隣さん、心配していたら昨晩11時頃に車のエンジンの音がした。今朝、声をかけるとNYからフェリー、バス、電車を乗り継いで8時間かけて戻って来たという。

さっき、知り合いの弟さんが、ハイジャックされてトレードセンターに突っ込んだ飛行機のパイロットだったという連絡が入った。

なんと多くの人の人生が突然狂わされたことか。今日も、空は抜けるよう青いのに、町行く人々の表情はとても暗い。

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最後に、たった今ラジオで聞いたヒーローの話し

ペンシルベニアの草原に墜落したホワイトハウスをターゲットにしていたというボーイング757。墜落の30分程前に、一人の男性(31)がその妻に携帯で電話をして「今から、どんなことがあってもテロリストの行動を阻止する。それは、私の命をも奪うことになるだろうが、残される娘(3ヶ月)を頼む。」と言ったという。また、もう一人の男性もほとんど同じ時間に同様の電話を母親にかけており、その後、飛行機は何のターゲットも破壊することなく墜落したという。

【ちょっといい話し 2】

(山形MLのYELLさんから許可を戴いて転載/。(文章は坂本光男先生の教育講演会を高橋松五郎さんが、書き起こしたものです。)

Story 1

青森県の津軽地方に行ったときに,(講演の後で)一人のお父さんが,なんかしんみりした顔で来ましてね。(この講演でに坂本先生は子どもに安心を与えることの大切さをお話しされています)、「先生よう,俺な,出稼ぎなんだ。11月から5月まで出稼ぎだ。出稼ぎに行っている父親は何をしたら子どもは安心するだろう」って言うんですね。聞かれてみて私はそうかあと思いました。最近は,いろんな事件があったりするから,お父さんもいろいろ考えているんですね。特に単身赴任とかあるいは出稼ぎのお父さんとかはね。「とうちゃん手紙がいいよ」と言ったら、「電話じゃだめか」って。「電話もいいけど,電話はすぐ消えちゃうから,手紙だったら何回でも子どもが読みたいときに,父ちゃんの気持ちに触れられるから手紙を書いて欲しい」って言ったら「いやー,手紙は苦手なんだ」「その父ちゃんが書いてくれたら,なおいいじゃないですか。値打ちがありますよ」「しゃーねーなー」って言いながら別れてきました。

11月から5月まで,あのお父さんどうしてるかなあと思っていたら,6月下旬に便せん12枚の手紙ですよ。分厚い封筒に。ただし,80円切手しか貼っていないので不足料取られましたけどね。でも,私はその12枚の手紙を見ながら,あるところで涙が出たんですよ。

お父さんは出稼ぎから「ただいま」って帰ってくる。子どもが二人いるんです。今までだと土産だけもらって自分の部屋に行っちゃってるのに今度は違うんですよね。お父さんの荷物を運んだり片づけたり手伝ってくれる。どうしたのかなあと思って周りを見たら,子どもの机の上にお父さんが書いた,3回出した手紙が置いてある。はだかでね。ああ,俺の手紙読んでくれたんだ。と思って見ていたら,何と2回目の手紙には赤い線が引いてある。どこに赤い線が引いてあったかと言うと,『父ちゃんは朝起きるのも一人,夜寝るのも一人,ご飯を食べるのも一人,さみしいけれども負けないで頑張っている。おまえたちもさびしいだろうけど負けないで頑張ってくれ。父ちゃんは東京の荒川区で働いている。遠いところにいても,父ちゃんの心はおまえたちの背中にいつも目を向けている。父ちゃんが背中についているから安心してがんばれ。』ここに赤い線が引いてあるんですよ。

津軽地方って,みなさんご存知でしょう。雪も多い。吹きっさらしで吹雪の日も多いんですね。子どもはそういうとき,学校へ行くときに,父ちゃんが背中を見てる。父ちゃんが背中についていると思いながら寒さに負けず吹雪に負けず学校に通ったんじゃないですか。そのお父さん,やっぱり手紙は大切だ,忙しくとも手紙は書いてやるべきだった,よかったって書いてあったんです。

Story 2

『お母さんより誕生日のプレゼント。お母さんがおまえを生んでいてよかった。母の日にはタンポポとスミレの花束をプレゼントしてくれたね。白髪は取ってくれるし,おつかいにも行ってくれるし,掃除はしてくれるし,先生にほめられたときは,おまえのお母さんでよかったと思うよ。今日が8歳の誕生日。みのり,本当におめでとう』

お母さんがこれを書いて誕生日に,みのりちゃんにプレゼントしたんです。みのりちゃん,しばらく黙って見ていて,顔を上げた瞬間に,「お母さん,ありがとう。私いっぱい勉強するよ」って言ったんです。勉強しろってどこにも書いてないですよ。なんでこの子は勉強する気になったんですか。お母さんが生んでよかった。先生にほめられたときは,おまえのお母さんでよかったと思うよ。(みのりちゃんは)うれしくて,うれしくて,うれしくてたまらなかったから,やるぞっていったときに,小学生でしょ,勉強しようっていう気になったんですね。生んでよかったって言えるのはお母さんしかいませんね。その生んでよかったって言葉が子どもにはうれしいんです。ところが,それを子どもに言ってない人が多いですね。

Story 3

自分の家の中学2年の女の子が突っ張っちゃったんですね。髪の毛染めて,口紅つけてネックレスやイヤリングをつけて学校へ行く。標準服も着て来ないものだから,先生からいろいろ注意を受けている。お母さん,どうしたらいいかなあ,どうしたらいいかなあと思って夜7時から9時の講演会に来たんですよ。

来た時に今の話聞いたんですよ。そう言えば私は(子どもが)生まれたときうれしかった。今でも育ってよかったって思ってる。でも,話したことがないなあと気がついたんです。

家に帰って中2の娘がまだ起きてましたから,いっしょにお風呂に入ろうって入ったんです。娘は入りたくなかったんだけど,ともかく入るんです。「今夜は大事なことを聞いてきたよ。お母さん,思い出したよ。あんたが生まれたとき,やっぱりうれしかったよ。今だって,そういう気持ち持ってるよ。」って言った瞬間です。娘さんは横を向いてお母さんの頬をパシーンってひっぱたいたんですね。お母さん,びっくりしちゃって,「なんで。どうしたの」って言ったんです。「お母さん,なんで,そういうことをもっと早く言ってくれなかったの。お母さん,私に小言を言って,怒って,いやみ言って,注意して。……」

(その子は)小学校5年生の時に,お母さんは私を生みたくなかったんだ。私を嫌いなんじゃないかと思って急に落ち込んだですね。それからゲームセンターに行ったり,あるいはいろんなにぎやかな繁華街に行って,タバコをおぼえたり,あるいはハイチューなんかを飲んでみたり,…… 最後はわめくように「なんでもっと早く言ってくれなかったの」ってわんわん泣きながら,二階に上がっちゃったんですね。

お母さん,一晩中悩んだそうです。なんでもっと早く言ってやらなかったんだろう。心に思っているんだから,どうして早く言ってやらなかったんだろう。お母さん一晩中眠れなかったんですね。夜明けの4時か5時くらいに,疲れたからうとうとって寝たんですけど,5時くらいになって,コトコトお勝手の方で音がするので,なんだろうなと思って,お勝手に行ってみたら,娘が手鏡を出して自分の髪の毛を黒く染めているんですよ。

「えっ,あんたどうしたの?」って言ったら,「お母さんが,『生んでよかったよ』って言ってくれたから,私も生まれ変わっていい人間になりたいよ」って言ってね。そしてティッシュの中にイヤリングやピアスなどをくるんで,ゴミ箱に捨てちゃったんですね。そして標準服に着替えてカバンを持って出かけて行った。朝ご飯も食べないで学校へ行ったそうですよ。ということは,その子も一晩中寝なかったんじゃないですか。

【理想の兄】 

ある年のクリスマスイブのことだ。僕の友人のポールは、お兄さんから新車をプレゼントしてもらった。ポールがオフィスから出てくると、街でよく見かける少年が、そのピカピカの新車のまわりを歩き回っていた。よほどその新車が気に入ったらしく、ポールに話しかけてきた。

「この車、おじさんのかい?」

「ああ、兄貴からのクリスマスプレゼントさ」

と、うなずきながらポールは答えた。少年はそれを聞いて、ひどく驚いた様子だった。

「えっ、おじさんの兄さんがくれたんだって?おじさんは全然お金を払わなくてよかったの?うわあっ、すごいな!ぼく・・・・・・・」

と、少年が何か言いかけたが、そのまま口をつぐんでしまった。

「ぼくにも、そんな兄さんがいたらなぁ」

とこの少年は言いたかったのだろう、とポールは思った。ところが、少年の口から出た言葉にポールは耳を疑った。

「ぼくね、おじさんのお兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」
 ポールはまじまじと少年の顔を見つめたが、自分でも思いがけない言葉が口をついて出ていた。

「乗ってみるかい?」

「本当?うん!」

 車を走らせてまもなく、少年の目はキラキラと輝き始めた。

「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」

 ポールは思わずニヤッとした。きっとこんな大きな車で帰ってくるところを
近所の人たちに見せて、自慢したいんだなと思った。でも、少年はこう言った。

「あそこに階段がついている家が見えるだろう?そこでちょっと待っててくれる?」

 少年は車を降り、駆け足で家に入っていった。しばらくすると、家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。少年が身体の不自由な弟を背負って出てきたのだ。弟を階段のいちばん下に座らせ、車がよく見えるように弟の身体を支えた。

「ほらバディー、見てごらん。すごい車だろ。そこにいるおじさんのお兄さんが、クリスマスプレゼントにくれたんだって。それも、まるっきりただでくれたんだって。お前も、待ってなよ。兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前に買ってやるからね。そうしたら、いつも話しているクリスマスのきれいな飾りを、その車で見に行こうね」

 それを聞いたポールは何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ新車の助手席に座らせた。目をキラキラ輝かせた少年もその横に乗り込むと、3人はドライブに出かけた。本当にすばらしいクリスマスのドライブだった。

 このクリスマスの日、ポールは聖書のみ言葉をしみじみ感じたのである。
「受けるよりは与えるほうが幸いである」

 

【ちょっといい話し】

僕が高校1年生だった頃のある日、学校から歩いて帰宅するクラスメートが目に入った。彼の名前はカイル。山のような教科書を抱えていた。ぼくは心の中で「金曜日に教科書を全部もって帰るなんて、どんなヤツだろう。きっとクソまじめなガリ勉に違いない。」と思った。ぼく自身は、週末はパーティーや友達とのフットボールの約束などの計画でいっぱいだった。

それで、そのまま歩き去ろうとした時、彼に向かって何人もの生徒達が走っていくのが目に入った。彼らは、わざとカイルにぶつかったので、彼の抱えていた本はバラバラに飛び散り、カイルは蹴つまずかされて泥の中に倒れてしまった。メガネも吹っ飛び、10フィート以上離れたところに落ちたのが見えた。彼の見上げた目に宿ったひどい悲しみの表情が、僕の心をゆさぶった。

それで、ぼくは四つんばいになってメガネを捜している彼の所に走りよった。彼の目には涙が浮かんでいた。ぼくが「あいつら、ろくでもないヤツラだ。他にやることがないのかよ。」と言いながらメガネを手渡した。彼は僕を見ながら「ありがとう!」と言った。満面の笑顔だった。その笑顔は、心の底から感謝しているということを示す種類のものだった。

僕は散らばった本を拾うのを手伝いながら、彼がどこに住んでいるのかを尋ねた。意外なことに僕の近所だった。それで、なぜ一度も会ったことがなかったのかと尋ねた。彼はずっと、私立の学校に行っていたからだと言った。僕は今まで私立に言っているような子と仲良くなったことはなかった。

家に帰る道すがら僕らはずっといろんなことをしゃべった。カイルは、とってもいいやつだった。僕は土曜日に友達とフットボールをするんだけど一緒に来ないかと誘った。カイルは承知し、僕らはその週末をずっと一緒に過ごした。カイルのことを知れば知るほど、僕はカイルのことが好きになった。そしてそれは僕の他の友達も同じことだった。

月曜の朝、カイルが再び金曜日に持ちかえった全ての本を抱えて登校するのが見えた。僕は彼を呼びとめ「毎日、山のような本を抱えて、筋肉を鍛えてでもいるの?」と言うと、カイルは笑って、抱えている本の半分を僕に手渡した。

それからの4年間、カイルと僕は大の親友になった。そして僕らは4年生になり大学進学を考え始めた。カイルはジョージタウン大学に進学することを決め、僕はデューク大学に進学を決めた。僕らは、どんなに距離が離れようと、ずっと友達だと分かっていた。カイルは医者になるつもりだったし、僕はフットボールで奨学金をもらったので、ビジネスの分野に進むつもりだった。

カイルは卒業式で卒業生を代表して告別の辞を述べることになった。僕は、最初から最後までクソまじめなカイルをからかった。彼は卒業式のためにスピーチを準備しなければならなかった。僕は内心、壇上で話すのが自分じゃないことがとても嬉しかった。

卒業式の日、僕はカイルを見つけた。彼はとてもかっこよかった。彼は高校生活で真の自分というものを発見した一人だった。彼は満たされているように見え、今やメガネさえ、さらに彼を立派に見せていた。彼は学校生活で僕よりもずっと女の子にモテたし、色んな子ともデートしていた。もちろん、たまにそんな彼に僕は嫉妬したこともあった。

その日、彼が珍しく緊張しているのがわかった。それで、僕は彼の背中をたたいて「オイ、お前なら大丈夫だよ。」と言った。カイルは、僕のことをじっと見つめて微笑みながら「ありがとう」といった。カイルは咳払いしてからスピーチを始めた。「卒業は、山あり波ありの学生生活を乗り越えさせてくれた人々に感謝する時です。皆さんのご両親、諸先生方、兄弟姉妹、コーチ達に・・・そして何よりも友達に。誰かの友達になってあげるということが、人にあげられる一番の贈り物だということを皆さんに伝えるために、僕は今日、ここに立っております。今から皆さんに一つの話しをします。」

そして、カイルが僕との初めての出会いの日のことを語り始めたとき、僕は、信じがたい思いで友を見つめていた。あの週末、カイルは自殺する計画を立てていたのだった。彼は自分のロッカーをすっかりきれいにし、後で、お母さんが大変な思いをしないようにと、全ての物を家に持ち帰っていたのだと話した。

彼は僕をじっと見つめちょっと微笑んだ。「ありがたいことに僕は救われたんです。僕の友達が言葉にできないことをして僕を救ってくれたんです。」

このハンサムな人気者の少年の、最も気弱になっていた瞬間の話しに会場の一堂が息を飲むのが聞こえた。彼のお父さんとお母さんが僕を見て、さっきカイルが僕に投げたのと同じ感謝の笑みを向けるのを見た。

その瞬間まで僕は僕のしたことの深い意味など知る術もなかった。自分の行動力を決して低く見積もってはいけない。たった一つの小さな振るまいが誰かの人生を変えるかもしれないのだから。良くも悪くも。神様は、人間誰しも、お互いに何らかの影響を与え合うようにされたのだ。そして、その神様は誰の心の中にもいるのだ。その神様を見つけよう。

【スリープオーバー・パーティー】

今日は長男の9歳のバースデ-・パーティーです。仲のいい友達を招待してのス リープオーバー・パーティーということで、6人の男の子が、そこら中で雄たけ びをあげている中で、これを書いてます。我が家は、いまだにセガとか任天堂を持っていたない珍しい家なのですが、今日だけは特別ということで、友達にプレイ・ステーションと任天堂64を借りて夜明か しゲーム大会と言ったところです。一体、何時に寝てくれることやら。

息子がもらった誕生日プレゼントは、ポケモンカード、ドラゴンボールのキャラクター・グッズなど、日本のアニメの人気は、すごいすごい。 プレイ・ステーションにしたって任天堂64にしたって、全て日本の物なのだから、 日本の製品が、まさにアメリカの子どもの世界を乗っ取ってしまったようなものだ なーと複雑な気持ちです。テレビが出だした頃の日本では、「一億総白痴化」なんてことが言われたようですが、今や日本のゲームによって、世界のこども総白痴化が進んで いるのかもしれません。

【宿題】

先日、日本の友人から、アメリカの3年生は何を習っているのかという質問がきました。 友人、いわく 「日本では 九九    3桁×1桁 割り算  二桁÷1桁 分数    計算は4年生 小数 表とグラフ 円の描き方  三角形の種類や書き方 全国統一規格だよ。アメリカでは何やってるの?」

ということですが、ちなみに息子の3年生のクラスでは
算数       二桁の足し算。一桁の掛け算
サイエンス    植物の成長  
英語       
文法・・・名詞、動名詞、形容詞などの役割          
スペリング(ほぼ毎日)語彙 読解
社会       地図や地球儀の見方、町や市の成り立ち、首都の名前など

です。

実は、息子は1、2年生と通った学校とども性が合わなくて、この9月、3年生から別の学校に転校させたばかりです。新しい学校の方が算数の進度が遅いのですが、以前の一クラス29人のクラスに比べて、今度は一クラスがたった8名なので、科目ごとに優れている子は4年生や5年生のクラスに移動してクラス を受講できるという利点があります。

「アメリカではテストでも考えさせる問題が多いとい聞いているが・・」という 友人の質問でしたが、息子のクラスを見る限りテストはほとんど暗記物です。そして、宿題が多い!一日スムーズに運んで最低30分はかかってしまいます。「宿題が多い」 のは、アメリカのどこの学校でも共通しているようで、中学校になると、数時間もかかるような宿題が出るそうです。「本当にこんなにたくさんの宿題が必要なのか?」 ということが、しょっちゅう雑誌やテレビなどでも話題にさています。学校のことについてかき出すと長くなるので、今日はこの辺で。

【息子の宿題A】

以前、アメリカの学校の宿題の多いことについて話題にしたましたが、息子の宿題には、 悩まされることが多くなってきました。

例えば、社会の宿題。

Q.2000分の1に縮小した地図の 長さをモノサシで計って、実際の長さを求めよ。

問題1・ペンシルバニア州の州都(capital city)と、インディアナ州の州都の距離

まず、アメリカの地図をじっくり勉強したことのない私は、州のありかを捜すのから手間どってしまいます。さらに州都となると、まったくどこかわからない! 名前さえわからない!

さらに追い討ちをかけるようにモノサシはインチ単位です。いまだにセンチの頭しか持ち合わせていない私には、インチの世界は皆目わかりません(インチは10進法ではない)。息子と二人で小さい地図の上をモノサシをあっちにこっちに、こねくり回しているうちに 疲れ果ててしまいました。それにしても、どうしてアメリカは、こうも物の計り方が 違うのヨー、と段々腹が立ってきます。

サイエンスも英語で勉強したことがないから、簡単なことでも語彙が出てきません。 例えば、Gas から Liquid に変わることを何と言うか?『ウーン、ウーン、確か 日本では凝結とか言ったよなー。でも英語で何だっけー??? 』 答えは、Condensation であります。そんなわけで息子の宿題を見てあげるにも 辞書を片手に格闘となってしまうのです。おかげで、いろんな知識が英語で増えてきたのは喜ばしいことかもしれません。

【アメフト】

長男(8歳)は、今年、町のアメフト・チームに入団したのですが、 これが大学の体育会系もマッサオの大変さ。 毎日、夕方5時から7時までみっちり練習。その上に、日曜日も、朝6時半起きで遠征試合。 よくアメリカでは、スポーツをエンジョイすることを教えるからいい、なん てコメントを耳にしますが、とんでもない。「勝つこと」第一です。ミス するとコーチのすごい罵声が飛び、即座にポジションをはずされる厳しさ。

さらに、すごいのがコーチのえこひいき。コーチは、みんなチームの子の父親がボランティアでやっているので、自分の子を、 もろ良いポジションにつけたりするのです。あまりに、皆、臆面もなくそういうこと をするから、あきれてしまいます。

【生き方、死に方】

「どんな死に方をしたい?」と聞かれたら「ポックリいきたい。」と答える人 が多いのではないでしょうか?夫の祖母は、92歳でしたが、いつも「私は、 ポックリは行きたくないし、薬漬けで意識混濁したままも死にたくない。お世話になった人や、子どもや孫達一人一人にお別れを告げてから静かに自宅で死 にたい。」と言っていました。

その言葉のとおり、祖母は、先週の金曜日の朝、皆にお別れを済ませた後、自宅で静かに息をひきとりました。

去年の夏の終わりまで元気でゴルフや旅行を楽しんでいた祖母でしたが、10月頃から、急に体調が崩れ、検査の結果、脳に悪性の腫瘍が発見され、もう手遅れということがわかりました。3人の娘達は、皆、もう年齢的にどんな治療 にも堪えられないだろう、と治療には前向きではありませんでした。ところが、 告知を受けた祖母は、「死の眠りはとても長いのだから、何をそんなに死に急 ぐ必要があるでしょう。」と、果敢にも2年でも長く生きられるなら放射線治療を受けると言い、そのいつも前向きな生き方に親戚中の者は改めて驚かされ、生きるということの意味を考えさせられました。 放射線治療に行くにも、洋服を着替え、口紅をさして行くような、どんな時にもたしなみを忘れない祖母でした。 それでも、病気の進行は、それはそれは急速で、12月には杖をつくようにな り、1月には車椅子、2月には、ついに寝たきりになってしまいました。いよ いよ、あと数日という状態になり、アメリカ中に散らばっている孫10人、ひ 孫25人が入れ替わり立ち替わり、最後のお別れにやってきました。まだ意識 のしっかりしている祖母の枕辺で、孫たちがそれぞれのやり方でお別れをしま した。得意のバイオリンをひいたり、自作の詩を朗読したり、歌ったりと・・ ・。その度に祖母は、毛布の中で小枝のように細くなった手をパタパタ上下 に動かして拍手をし、一人一人に“Thank you. I love you.”と告げました。 そして、最後の孫がカナダから駆けつけお別れを告げた翌日の朝に、祖母は息をひきとったのです。 祖母の生き方、そして死に方は、孫、そしてひ孫達に多くのことを教えてくれ たのでした。

【夏休み】

ついに3ヶ月の夏休みに突入しました。3ヶ月も、遊びほうければ、もちろん 子供たちは、学期中に勉強したこともほとんど忘れてしまいますよね。そんな わけで、9月に新学期を迎えると、特に算数のような科目は、最初の2〜3ヶ 月間、ほとんど復習に費やされるそうです。こんなこともアメリカの学校での 算数のレベルが低い原因の一つでしょうか? 日本でも、九九の暗記が廃止されるかもしれないというような話しを耳にしましたが本当でしょうか?アメリカでも、10数年前だかに、算数の暗記は、良く ないということで廃止したあたりから、子供たちの算数のレベルが急に下がっ たということです。結局、九九も碌にできずに、算数でつまづいた子どもたち が日本の「公文式算数」の教室の扉を叩くため、公文は今や着実にアメリカ全 土に進出しつつあります。その公文の発祥の地、日本が今度は九九の暗記を廃止するとしたら、皮肉なもんです。 【暑中お見舞い申し上げます】 8月もようやく半ばまで来ましたね。でも、子ども達の夏休みは、まだまだ続くという感じで私は、ウンザリしています。早く、一人だけの時間が数時間でも欲しい!!常々、アメリカの夏休みは長すぎると思っていたのですが、そもそも3ヶ月もの長い夏休みの始まりは、昔、この時期に農作業で子ども達の手が必要だったためだそうです。その頃に決められた就学日数180日間という制度が今だに多くの州で、そのまま実行されているというわけです。 ちなみにアメリカより夏休みが長い国が一つだけあります。フランスです。では夏休みが最も短い国は?韓国だそうです。

【企業化精神?】

夏休みの間、よく見かけたのが、家の前に机を持ち出して、そこでホームメード・レモネードやアイスティーを売る子ども達の姿です。ダンボールの切れ端に“Homemade Lemonate!50セント”などとマジックで書いて、車が通る度に、それを高く掲げたりしてお小遣い稼ぎに余念がありません。

また、野球やサッカーなどのスポーツティームが、子ども達をスーパーやコンビになどの前に空き缶を持たせて立たせて寄付金を募ることもあります。

昨日は、息子のダニー〈9歳)もアメフト・チームの募金活動でベイカリーの前に仲間達4人とユニフォームを着て、1時間位陣取りました。子ども達も、ただ立っているだけではない能がながいと思ったのか、皆で相談して、一人が客のためにドアを開ける役、残りの3人で、すかさず客を取り囲み「Support Wall Knight?(Wall Knightというのはチームの名前)」と大合唱するという方法を考え出しました。

私は影から様子を見ていたのですが、まるで関所と言った感じで、店に入ろうとする客は、いやでもお金を出さなければならないという状況に陥っていました。

最近、14歳に少年がインターネットビジネスで大成功を収めたと言いますが、こういうふうに小さな頃から培われた企業化精神の賜物なのかもしれません。

【再び生理の話題】

先日、アメリカ人の友人と、ベトナム人の友人とともにランチをしました。私達共通の友人の娘さんが10歳で初潮が来たという話題から、話しは初潮の話しになりました。 私が、日本では、女の子が初潮を迎えるとお赤飯を炊いて祝う家庭もあると言うと、アメリカ人の友人は、「それは素晴らしい。アメリカでは、初潮を迎えることを“She got the curse.”(呪われた)と表現することもあり、まるで生理を迎えた女性は罪深いかのようで、とても変だ。」と言うのです。するとベトナム人の友人が「ベトナムじゃ、“She got sin.”(彼女を罪を得た)って表現が本当にあるのよ。」とのこと。 女性の初潮を、汚らわしいものとして捕らえる考え方が結構あるのだなーとちょっとショックを受けました。 ところで、アメリカでの初潮年齢は、年々低年齢化してきています。タイム誌によると4歳で胸が出始め、7歳でわき毛や陰毛が生えてくる子もいるそうです。統計によると7人に1人の子が8歳までに胸が出、陰毛が生えてくるというのです。

早熟の原因に関しては、もちろん、いろいろな説があり、はっきりとは、わかっていないようですが、現在、指摘されている原因の幾つかは、子どもたちの肥満。ミルクや牛肉に含まれる成長ホルモン剤。PCB。プラスチックなどに含まれる環境ホルモンなどだそうです。

精神的には、まだまだ少女なのに、体だけが早熟してしまうとどうなるのか?心理学者によると、8−12歳は、少女にとって、女の子同士の絆を結び、コミュニケーション技術を身につけ、自尊心を養う大切な時期なのに、体だけが成長してしまうと、周りの男性がほっておかなくなる。結果的に、女友達のグループを早く離脱し、いかに自分が人気があるか、セクシーかということが大切になってしまう。短期的には、それでハイになれるが、長期的には、そのような一時的な自尊心は消滅してしまい、最終的に少女の自尊心は、非常に低いものになってしまうそうです。

【空手アメリカ事情】

アメリカでは、子どもに空手を習わすことが、ピアノを習ったり、リトルリーグに入る位、一般的になってきている。過去5年、12歳以下の子どもの空手人口は15%も増えているという。小さな店の集まった商店街みたいな所には、大抵ピザとチャイニーズのテイクアウトのお店が一軒位あるものだが、最近では、空手道場も一つは入っていたりする。ジョークで、「韓国を出る時は白帯だった韓国人が、アメリカの飛行場に降り立つと、黒帯になっている。」なんて言われてしまうほど、大した経験もない人が、金儲けで道場を開いてしまっているという場合も非常に多い。(武道の道場を開くには、今の所、何の規制もない。) 空手が子ども達に人気がある一つの理由は、進級するとベルトの色が変わっていくので、結果がわかりやすいこと。親にとっては、学校で、イジメに合いやすい子に自信をつけさせてあげたいという期待、集中力や、自己近鍛練を期待している場合が多い。

私の友人にも子どもに空手を習わせている人は非常に多いが、このベルトシステムがまた問題のようで、道場によっては、進級する度にランク・テストと言ってはお金を取り、進級したらしたで進級費を取られるのだという。それが、2ヶ月おきにあったりするので、出費も相当のものらしい。親心を巧みに利用しての金儲けは、どこの国でも同じである。

【信念】

先週、SweetHeartを一緒に運営している久保淑子さんと二人のお嬢さんが我が家訪ねてきていたため、ホームページの更新および、メルマガ発行がかなり滞って しまいました。

千葉県在住の久保さんのお子さん二人は9歳と11歳ですが、二人とも学校へ行か ず、ホームスクールをしています(詳しくは、久保さんのHPへ)。今回は、アメリ カのホームスクーラーの家庭を訪ねて歩く旅ということで、アメリカの西から東ま で横断して、約10軒以上の家庭を泊まり歩いたそうです。(宿泊家庭は全てイン ターネットで捜したということで、インターネットって本当にスゴイ。)

彼女達が、我が家に泊まっている間も、うちから5分ほどのホームスクーラーの家庭を一緒に訪ねました。前日、突然アポを取ったにもかかわらず、5家族のホーム スクーラが集まって私達を迎えてくれ、アメリカでのホームスクールの広がりを目の当たりにしたような気がしました。 ホームスクールについてかき出すと、非常に長くなってしまうので、ここでは 省略しますが、この訪問で何よりも印象的だったのは、主婦であること母親であることに自信を持った女性達の存在でした。今のアメリカでは、およそ70%以上の 母親達が何らかの職業につき、キャリアを持つことに誇りを持ち、その反面、家庭 にいることに何らかの後ろめたさを感じたり、たとえ、そう感じなくとも、家庭の主婦として誇りを持ちきれずにいる人も少なくありません。

ところが、私達を招待してくれた女性達は、母親とは、家庭にいて子どもを「守る、 愛する」ホームベースとなる存在として、実に自信を持って、いえ、単なる自信で なく、信念を持っているのです。 「信念を持って家庭にいる」という姿に、非常に新鮮さを感じてしまったのです。 社会の傾向、周囲の傾向に流されずに、何かに対して信念を持ち実行している姿に感銘しました。 ところで、久保さんが泊まり歩いてきて、何よりも印象的だったのは、父親が在宅 ワークの家庭が非常に多かったことだそうです。共働きが当たり前になり、両親不在の家庭が増える一方、コンピューターの普及のおかげで、父親も母親も家庭にい て、ともに教育にあたるという家庭も少しずつ増えてきているようで、アメリカは 実に両極端の激しい国だと感じました。

【Parent's Creed】

前回、紹介した“Children learn what they live”もいいですが、これも とても、素晴らしい詩だと思いました。 by Anonymous You do not own your children. They come from you, but they belong not to you. You may give them love but not your own thoughts, for they have their own thoughts. You may care for their bodies, but not their souls. Their souls dwell in the house of tomorrow, which you cannot visit, even in your dreams. You should strive to be a good example, but not seek to make them in your image. You are the bow from which your children, as livings arrows, are sent forth.

【旅行記】

一週間、スペインとオランダを旅行してきました。スペインのマドリッド空港 に着いて、びっくりしたのが、荷物受け取り所で老若男女いきなりスパスパと タバコを吸い出したこと。公共の場での禁煙が当たり前になってきているアメ リカでは考えられないことなので“Never in America”と驚いたわけです。 でも、みんなタバコの吸い方がとても決まってる。カフェなんかで、タバコを 吸う姿は、男も女もとってもセクシー。ヨーロッパの男女は、なぜかアメリカ の男女よりもセクシーなのです。未婚でも既婚でも、男と女が、ある一定の距離を保ちながらも、大人の男女のゲームを楽しんでいるというような雰囲気。 結婚してもただのおばさんやおじさんにならない秘訣はコレダって思いました。

それにしても、歴史の古さではヨーロパに負けない日本なのに、外見も中身も 幼稚そのものの高校生が携帯、首からぶら下げて町中を我が物顔で闊歩し、おじさん達は疲れ果てた顔で亡霊のように電車のつり革にぶるさがっている今の日本の姿は、なんだか情けない。

とにかく、外国に出ると、自分の国の良い点、悪い点が非常によく見えてくる ものです。

【注意書き】

先日、新聞に掲載された、アメリカの商品のおもしろい注意書き、みなさん 読みましたか?「身につけたままの衣類にこのアイロンをあてないで」。「この マントは飛行には使えません」。ベビーカーに「赤ちゃんを乗せたまま折り畳まないこと」。携帯型マッサージ器には「就寝中の人には使えません」。冷房機に は「窓から外に落下させないで」などなど。すべて実際にこのような誤用によっ て訴えられた企業が予防策として記載しているとのこと。

これを読んでから、私の周りにも、おもしろい注意書きはないもんか、と捜していたらありました。まずヘアスプレー「故意に吸いこまないでください。致命的 になることがあります。」というもの。それから日本の商品にもありました。 カネボウの詰め替え用のお徳用リンスの四角い入れ物なんですが、リンスという 大きな表示の下に負けないくらい大きな赤文字で「飲み物ではありません」と書 いてあるんです。本当に飲んだ人いるのかなー。

ところで、アイロンに関しては、実は私「身につけたまま」アイロンしたこと あるんです。時間がなーい、脱いでかけてる時間も惜しいー、それで、洋服と 体の間にタオルを当ててかけたんですが・・・とても熱かった!!!デス。 そして熱い思いをした割には台?が柔らかいからシワは、ほとんど取れないんです。だから、これを読んだよい子のみなさん、絶対に試さないようにネ!でも、たとえそれで焼けどしても会社を訴えないけどなー。アメリカは本当に何でも訴える国です。 その他おもしろい表示見つけたらお便りください!!

【味覚】

先頃、NYで発行されている日本人のためのローカル新聞に書いてあった記事ですが、ダンキンドーナツが創業50周年を記念してドーナッツの人気 投票を行ったところ、ボストンクリームが一番になったそうです。記事の筆者いわく 「・・・合成のりをなめているような舌触りのカスタードクリーム・・・こん なものを半世紀も喜んで食べているなんて、他にまともなお菓子はないのか・ ・・」ということなのですが、私も、このボストンクリーム食べたことがありますが、あれを、まるごと全部食べられる人が信じられないような甘さで、食べた後は胸焼け、胃もたれをまぬがれません。

本当に一般のアメリカ人の味覚たるや・・・。先日もある日本語新聞を読んでいたら、「カップラーメンは日本の今世紀最大の発明」という活字が目に飛び込 んできました。確かにそうだとは思いましたが、日本では、カップラーメン発明以来、幾百、幾千ものカップヌードルが出、私が子どもの頃に食べたカップ ラーメンと比べると、雲泥の差でおいしくなっているし、麺だってヤキソバ、 うどん、味もカレー味、醤油味、きつねだ、たぬきだ、激辛だと涙ぐましいまでの工夫がなされており、IT革命も真っ青の日進月歩です。 それに比べ、アメリカのカップ麺のなんと進化のないことか!私は、アメリカのカップ麺をラーメン、シーラカンスと呼びたい!アメリカに根付いて十数年も立っているにもかかわらず、容器は相も変らぬ昔の古典的カップヌードルのまま、わずかにチキン風味、ビーフ風味、えび風味という違いがある程度で、具にもなんの工夫も見られない。ナン デダー!!と怒りたくなってきます。

それでも、朝から、あれを食べて学校に来る子ども達がいるというから驚きです。まったく一般アメリカ人の味覚には絶望的というしかありません。

と言いながら、我が家の息子は、私が必死で揚げた手作りドーナッツよりも、 ダンキンドーナッツが好きだというから涙が出ます。 

【良い結婚はあるが、甘い結婚はない】

結婚生活掲示板にあったYoshikoさんの投稿 “私の大好きなフランス17世紀のモラリスト、ラ・ロシュフーコー公爵が 言っていました。「良い結婚はあるが、甘い結婚はない。」” にやけにうなづいてしまいました。名言〜!

シカゴ大学のある社会学者の研究によると「“現在の結婚生活は非常に Miserable である”と答えた人達の内、ロマンスが消えたという理由で 離婚したカップルが約半分、そして辛抱強く結婚生活を続けたその半分 のカップルの内の75%は、5年後には“結婚生活はハッピーである” と答えた」と言うことです。 この雑誌の記事によると、恋愛時代のロマンスが結婚して消えてしまうのは、大きなもめ事が原因になる場合は少なく、大抵は毎日の些細な行き違 いや、生活習慣の違いへの不満が積もり積もって、ということが多いそう です。良い結婚のためには、お互いにそれぞれの違いを認め合って寛容になること、ユーモアを忘れないことなどが大切だそうです。

「良い結婚はあるが、甘い結婚はない」ということを裏付けているような 記事でした。

【あー勘違い】

夫が先日、日本のテレビ番組を見ていた私に、突然「日本人は、本当にバカッ丁寧だよね。山の名前にまで“さん”をつけて呼ぶんだから。」と言いました。夫は、富士サンとか阿蘇サンの最後の“山(さん)”を今までずーっと、田中さんとか山田さんという名前の呼び方と同じように思っていたのでした。以前にも書きましたが、「駅前の丸井」の「○I○I」の看板を見て、夫は、ずっと店の名前は「オイオイ」だと信じていたんですが、それを知った時以来の久々のヒット「ああ!勘違い」でした。

【ネットマナーについて】

インターネットはお互い顔が見えないだけに気軽、その分、ネットの向こう 側にいる相手に対するマナーもいい加減になっていないでしょうか?最近、 日米含めて、いろいろな機会に、いろいろな方から、ネットマナーの悪さ を嘆く声を耳にします。中でも最も多いのは、メールを送ったのに、返事 が来ない。何かの質問に対して答えを送ったのに、Thank you の一言も ない、などです。今回、いつも和風菓子のレシピを送ってくださっている Mamieさんから、このような全ての気持ちを代弁するようなお便りをいた だきましので、許可をいただいてここに転載いたしました。

「そうそう、お友達募集のコーナーがありましたよね。私も何度かメールしたり 戴いたりって言うのがあるのですが、マナーが悪いのが目に付きます。メール を出しても1度も返事がない人がいますし、こちらが返事を書いたものに対し ての返事を書かない人もいて、最低限、「自分のフィーリングに合わないから 折角ですが・・・」という断りをするのも大事なように思うのですが、そうい うのって時代に、メール生活にはそぐわないのでしょうか。それとも、そう言 う風に注意書きをしたり促したりしないと、顔が見えないなら気配りというこ とを必要ないと思っているのでしょうか。うまく使えばすごくいいコーナーだ と思っているだけに残念です。」

【カナダ人の見た日本の中学生/ここが変だよ日本の学校】

今回、日本に滞在中に3年間、文部省のプログラムで埼玉県の数ヵ所の小学 校、中学校を巡回しながら英語を教えていたカナダ人の青年と話す機会があ りました。1週間後にカナダへの帰国を控えた彼に、「日本の学校で3年間 教えて、一番、印象的だったことは何ですか?」と尋ねてみました。

一番驚いた出来事は、ある中学校で一人の生徒が、いきなり先生を殴ったの に、周りの生徒は全く止める様子もなく、誰も校長に報告するわけでもなく あたかも何も起こらなかったがごとくに事が済んでしまったことだそうです。

また別の学校では、生徒の暴力に対して校長が3回も警察に電話したにもか かわらず、一度も警官が来てくれなかったことにも驚いたと言っていました。

さらに、クラスの中で例えば5人の生徒が、全く勉強する気がなく席を立っ たり騒いでいた場合、その5人の生徒のために授業時間が割かれ、残り30 人の勉強したい生徒が犠牲になってしまうということが日常茶飯事に、まか り通っていることも非常に疑問に思ったそうです。

ちなみにカナダでは?と聞いたところ、カナダでは、まず、暴力的な生徒が 出た場合、即、学校は警察に通報し、警察もすぐに駆け付ける。また、授業 を妨害するような生徒は、カウンセリングを受け、改善しない場合には、特 別なクラスに入れられるということです。

最近、少年犯罪や少年法、警察の対応が大きな問題となっていますが、この ような地方都市(埼玉県)の各学校の中をちょっとのぞいただけでも、同じ ような問題がゴロゴロしているようです。問題は、日本社会全体に蔓延しつ つあるようで暗い気持ちになりました。

そう言えば、日本では非常に生理用ナプキンのコマーシャルが多いです よね。私の知る限り、アメリカでは、バイアグラの宣伝(壮年の夫婦が 仲睦まじげに微笑あっており、何のコマーシャル?と思ったところに、 バイアグラとロゴが出ます。)は、ありますが、ナプキンのコマーシャ ルは見たことないです。これも文化の違いでしょうか???

【味覚】

先週届いた OCS News というローカル日本語新聞の編集後記で見つけた記事 ですが、先頃、ダンキンドーナツが創業50周年を記念してドーナッツの人気 投票を行ったところ、ボストンクリームが一番になったそうです。筆者いわく 「・・・合成のりをなめているような舌触りのカスタードクリーム・・・こん なものを半世紀も喜んで食べているなんて、他にまともなお菓子はないのか・ ・・」ということなのですが、私も、このボストンクリームは、どうもいただ けません。あれは、本当にカスタードクリームと言える代物じゃないです。ま るごと全部食べられる人が信じられないような甘さで、食べた後は胸焼け、胃 もたれをまぬがれません。

本当に一般のアメリカ人の味覚たるや・・・。先日は、「カップラーメンは日 本の今世紀最大の発明」という活字が、やはりある日本語新聞から目に飛び込 んできました。確かにそうだとは思いましたが、日本では、カップラーメン発 明以来、幾百、幾千ものカップヌードルが出、私が子どもの頃に食べたカップ ラーメンと比べると、雲泥の差でおいしくなっているし、麺だってヤキソバ、 うどん、味もカレー味、醤油味、きつねだ、たぬきだ、激辛だと様々な工夫が 日夜なされています。

それに比べ、アメリカのカップ麺のなんと進化のないことか!何十年たっても、 容器は相も変らぬ昔のカップヌードルのまま、わずかにチキン風味、ビーフ風 味、えび風味という違いがある程度で、具にもなんの工夫も見られない。ナン デダー!!と怒りたくなってくる。

それでも、朝から、あれを食べて学校に来る子ども達がいるというから驚きな のである。まったくアメリカ人の味覚は絶望的である。

と言いながら、我が家の息子は、私が必死で揚げた手作りドーナッツよりも、 ダンキンドーナッツが好きだというから涙が出ます。 

【春雷と傘】

あさっては、アメリカの休日イースター(復活祭)である。つまりキリストが 復活した日ということで、それにちなんで、卵とか多産のウサギがシンボルと して、あちこちに飾られ、食卓にはこれまた多産のブタの肉、ローストポーク やハムが饗される。また、晴れ着として新しい洋服を買う習慣もある。

そこで、私も、今日、子ども達の服を買いに行ったのだが、あいにく朝から、 雷はゴロゴロ、どしゃぶりの雨だった。

それにしても、時折バケツをひっくり返したような雨が降っているというの に、傘をさしている人は一人もいないのである。皆、車から降りると、首を すぼめて店のドアまでダッシュする。

私は、やっぱりり日本人。車にいつも2本以上は傘が入っているので、傘をさし て余裕で店まで歩いて行った。ところが・・・「ない」傘立てがない。もち ろん、日本のデパートの入り口に雨が降った途端に魔法のように出てくる傘 入れのビニール袋なんつーものもあるはずがない。結局、ズブズブの傘を、 持ち歩くはめになったのだが、邪魔っけそのものだった。

ホント、どうしてアメリカ人は傘をささないんだろう?日本人が朝の天気予 報で、降水確率をチェックして、今日は傘を持っていくべきか、いかぬべき か真剣に悩む姿なんてアメリカ人には、きっと想像もできないだろう。

また、アメリカ人は、たとえ傘をさしていても、日本じゃ恥ずかしくて絶対 させてないような代物、つまり骨が2〜3本折れていたり、破けてたりと、 ひどい傘をさしていて平気なのである。もっと、すごい場合は、ゴミ袋をか ぶっていたり、シャワーキャップをかぶっていたりしているのも目撃したこ とがある。こういう世界にいると、日本のようにカラフルでオシャレな傘を さす方が恥ずかしい。いや、傘をさすのさえ恥ずかしいと思えてしまから不 思議である。

そう言えば、スティングの“English Man NY”という歌の中に、「晴れて いる日でもNYの街を傘を持ち歩く、♪I'm an ailien. I'm an English Man in NY〜♪ と言う歌があった。イギリス人も、アメリカにいると、時々場違 いに感じるんだなー、と変なところで共感してしまった。

【夏到来】

先週までダウンジャケットを着るほど寒かったのに、今週になって 突然春を通り越して真夏の暑さ。海辺では、もうビキニで日光浴し ている人やサーフィンをする人でにぎわってます。若いってイイナー なんて思って、よく見るとサーフィンをしている人の中には、頭の 薄くなった人や、お腹のでっぱった人も結構いて、『そうそう、年 なんて関係ない!』って、改めて思いました。

日本にいると、どちからこというと社会が、“この年齢では、こう いうふうに振舞うべき、こんな洋服を着るべき”というように、年 相応ということが非常に求められるような気がするのですが、アメ リカにいると、本当に年なんて関係ないヨ。って思えます。何歳に なってもチャンレンジ精神は忘れたくないですね。

【Yoko Saitoさんのカリフォルニア便り】 Yellという私の参加している山形のMLに、Yoko Saitoさんが書かれている エッセイです。いつも素晴らしい観察眼でアメリカの事情を書かれています が、今回のものは、特に良かったので、許可を頂いて転載しました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  6月はアメリカの卒業シーズンですが、AP通信の報道によると、 このたび、日米開戦で勉強を中断した、74歳の日系二世の おばあちゃんが、カレッジを卒業したニュースを伝えております。

 第二次大戦が開戦されると、アメリカ西部一帯に在住の、全ての 日系人は、収容所(キャンプ地)に連行されました。 グレース・シバタさんも大学へ進学する予定だったのが、戦争で 彼女の運命は急転してしまいました。  ロスアンジェルスから北東300キロの、不毛の砂漠に設営された、 マンザナ収容所に連行され、進学を断念したシバタさんは、65歳の 時に、子供達に励まされてカレッジ入学を決意します。 大学受講中、病身の夫の看病などで、ご自分も体調を崩したことも 有り、何度か落第しながらも九年間の後の今年、夫と三人の子供と 六人の孫らの祝福を受け、74歳にして晴れて念願のオークランド、 ミルス・カレッジを卒業します。  ハシバさんは、教授が自分よりも若いことや、学生が教授をファースト ネームで呼び捨てにすることなど、ビックリすることもあったと、九年間を 振り返っています。若い学生同様ジーンズにバックパックを背負い、 通学している姿は、子供らを驚かせたようです。  当初は学位が欲しかっただけだったが、通学して私個人が成長した、 この九年間は、私の人生に大きな意義があったと、シバタさんは語って いる。また、シバタさんのご主人も、戦争のために、カリフォルニア大学 バークレー校を中断したままだったが、七十歳でカリフォルニア大学 デービス校で農学の学位を取得した人です。

 アメリカの大学には「これまでの仕事を引退したから、大学に通い 出した」というお年を召した方や、「子供が就学年齢になって、手が かからなくなったので」などの理由で、大学で学ぶ人や、また,飛び級 などで大学へ十代で入学する人などいて、アメリカのキャンパスには、 大学生として年齢差のある学生が、クラスの中に決まって、混じって いるものです。

 アメリカでは、いまキャンパスに住む老人達の、「新しい老人の生き方」が、 注目されております。  例えば、アイオア州エイムス市に有る、引退者コミュニティ村「グリーン・ ヒルズ」は、アイオア州立大学に隣接し、このコミュニティと大学を無料の バスが往き来し、特設の自転車道路まで有ります。 このコミュニティ150軒の居住者は、平均年齢75歳で、引退者の 入居者はバスなどで、自宅とキャンパスを往き来し、大学内で催される コンサートや芝居などを見たり、大学のクラスを受講しています。 ちなみに、大学は二学期制で、一学期の登録料40ドル、一クラス 受講料20ドルで、このコミュニティには24時間医療体制と終身ケアの 設備も完備し、キャンパス内には大学病院もあります。

 またアリゾナ大学に隣接する「アリゾナ・ビレッジ」も知的、創造的な活動を 基にした、「アリゾナ・シニア・アカデミー」プログラムを持ち、入居対象者は 55歳以上で、学問意外に芸術、ビジネスと、どんな分野であれ、自分の 分野で活動のできる人々を入居者に募り、あらゆる活動を大学とともに、 行なっています。  従来の引退者ホームや老人ホームと異なり、大学と隣接し大学と何らかの 形で連携し、引退者コミュニティのための大学レベルのプログラム付きの、 ホーム計画はアメリカで現在建設中のものを入れると、100に近いと言われて おります。 ダートマス・カレッジ、コーネル大学、バージニア大学、などが建設済みで、 スタンフォード大学、プリンストン大学、ミシガン州立大学では現在進行中、 マサチュウ―セッツのラッセル・カレッジでは、キャンパスに住む引退者の 学生のため、担当学部長がいて授業や生活面の相談役を務めています。

 平均寿命が延びるにつれ、かつての老人よりエネルギッシュな老人が 増え、かっての老人ホームのような、ゴルフや水泳などの、趣味を楽しむ だけでなく、「知的刺激」や「社会やコミュニティへの貢献を求める」能動的な 引退者が、アメリカでは増え始めていることのことです。 その現れに、南カリフォルニア大学では、引退者向けの教育プログラム 「エルダー・ホステル」は、引退者が大学の寮に泊まり、二週間の集中講義 を受けるプログラムは、人気が高く既に引退者の受講者は、35万人にも のぼっています。  UCLAでも引退者が若い学生にまじって、受講できる「シニアスカラシップ」 プログラムを4年前から始めているが、大変好評とのことです。 キャンパスで若者と老人が交わることにより、若者の持っている、エイジズム (高齢者への偏見)が弱まるものではないかとの期待もあるようです。

 今日のインターネット・日本語ニュースを見ると、日本の文部省は社会人が 大学で学びやすい環境を作るため、修業年限を定めずに、長期に在学が 可能な「パートタイム大学生」案を打ち出しています。 パート学生として入学すれば、正規の学生として学位の取得が可能に なるほか、各大学が設定している在籍年数の上限を超え、長期間にわたり 大学に通うことができる、というものです。

 日本も高齢化社会になり、『生涯学習』や趣味のプログラムなどが、盛んな ようですが、従来のプログラムでは物足りない高齢者が、アメリカの様に 学位を取るために、キャンパスで過ごす日も、そう遠くはないでしょう。 若者の熱気のある独特の空気のキャンパスで、高齢者が若者と目的を同じに 過ごすことは、精神衛生的にも有効な効果が、得られるものと思います。

さて、貴方は老後をどうお過ごしになりますか。 若い若いと思っているうちに、いつかは貴方も年老いて行くのです。

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ちなみに、私の母は、完全なるカナヅチだったのですが、去年、腰痛緩和 のために水泳をはじめて、1年後の今は25メートル、クロールで泳げる ようになりました。母は67歳です。

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