ちょっといい話・かなりいい話
Happiness is a journey
雑誌で影響力のある黒人指導者20人の中に選ばれ、ラジオのトークショーなども担当し、幅広く活躍するジョン・ドゲット教授のエッセイを、SweetHeartが許可を得て転載・翻訳しました。
幸せは目的地ではないあなたは幸せですか?あなたにとって幸せであることは、毎日の優先事項ですか?それ以前に、幸せであること自体が、あなたにとって大切なことですか?
私が中学生の頃、よく私は友人達に「君は恐ろしいほどまじめた」と言われたものだったが、当時の私ときたら、それが誉め言葉だと受け取るほどの生真面目さだった。
昔の私は、優等生で、目的がはっきりしており、自分にも」他人にも厳しかった。自分自身に対して高い標準を設定し、さらにそれを超えようと試みた。そして、決して不可能なことはないと本当に信じていた。もし一生懸命に励み、努力を惜しまなければ、報われるものと確信していた。
問題は、幸せであるという状態は、手が届かないほどの贅沢品だと思い込んでいたことだった。だから、幸せより、まず成功することの方が、ずっと重要だった。そして、成功さえ約束されてしまえば、その後、いくらでも幸せを感じる時間があると思っていた。
ある夏、私はデンマークのコペンハーゲンで仕事をすることになった。そして、そのことが、私の全てを変えた。私は人生ではじめて、仕事と個人的な生活の両方を充実させる国に住み働いたのです。仕事と家族に対し、同等に貢献する国に。
デンマークでは、ほとんどのヨーロッパの国と同様に店は1週間に4回しか開かず、午後5時半には閉店してしまう。木曜日だけは遅くまで(といっても午後7時までだが)開いていた。土曜日には、すべての店が午後1時には閉まり、月曜の朝まで開店しなかった。
私が、デンマーク人の友人達に、なぜ店が24時間開いていないのかと質問すると、彼らは、「なんのために24時間開かなくてはならないの?」と聞くので、「店が24時間開いていたら、遅くまで働けるし、時間がある時に、必要な物を買うことができるじゃないか。そうすれば自分の仕事のスケジュールを、店の時間に合わせる必要なんてなくなるだろう。」といった。それに対して友人達はこう言った。「自分の人生を仕事にコントロールされたいだなんて、誰が思う?時間を全て仕事に費やし、自分の時間を楽しまずにいて、一体どうやって良い親、良い伴侶、良い労働者になれるというの?」
最初の頃、私は彼らは気が変なのだと思ったが、2週間もたたないうちに、個人的生活と仕事を同等に扱いバランスを保つという考え方が、とても気に入ってしまった。以来、そのときに学んだことを、いかに自分の人生に適用するかで悪戦苦闘してきた。
この土曜日、テキサス大学院の教員、卒業生、学生の間で、あるEメールのメッセージが回覧されはじめました。そのタイトルは「誰もみていないがごとく踊れ」というものでした。メッセージの発信人が誰なのかわからないのですが非常に重要なことについて語られているので、上記の私自身の体験を踏まえて、ここでテキサス州オースティンで回覧されているEメールを、みなさんと分かち合いたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
たとえば、私達は「結婚したら・・・。子どもができたら・・・。○○したら・・・人生はさらに良くなる」と確信している。しかし、子どもができると、今度は、子どもがまだ小さすぎるから・・・という理由でフラストレーションを感じ、子どもがもう少し大きくなったら、もっと充足感が得られるだろうと思う。
ところがティーンエイジャーになった子どもに手を焼くやいなや、この難しい年頃を過ぎてくれれば、きっと幸せになるだろうと思う。
私達は、夫(妻)がもっとしっかりしてくれたら、もっと良い車が買えたら、もっと素敵なバケーションに行けたら、定年退職したら、自分の人生は完璧になるだろうと自分自身に言い聞かせる。でも真実は、今この時を除いて幸せになる時などないのだ。今でなければ、一体いつ幸せになれるというのだろう?
人生には常にさまざまな荒波が待ちうけている。それを自覚し、それでも、とにかく幸せであろうと心に誓うことが最良なのである。以下は私の好きなアルフレッド・ドゥソーザの言葉である。
長い人生、つまり本当の人生は、今まさに始まろうとしていると私は思っていたが、いつも何かしらそれに立ちはだかる障害があった。先にやるべきことがあったり、何かやりかけの仕事があったり、払い終えねばならない借金があったり・・・。それを終えてから初めて人生は始まるのだと。そして、ついにわかり始めた。実は、これらの障害自体が私の人生なのだと。
人生を洞察することで、私は幸せになるための道などないのだということを悟った。幸せそのものが道なのだ。今、この一瞬一瞬を大切にしよう。さらに、同じ時を友に過ごす特別の人がいるなら(あなたの大切な時間を共有するほどの特別な人なのだから)、なおのことその時を大切にしよう。
だから、学校を卒業するまで、学校に復学するまで10ポンド痩せるまで、10ポンド太るまで、子どもができるまで、子どもが巣立つまで、仕事を始めるまで、退職するまで、結婚するまで、離婚するまで、金曜日の夜まで、日曜日の夜まで、新しい車や家を買うまで、車や家のローンが終わるまで、春まで、秋まで、冬まで、福祉に頼らなくなるまで、一日まで、15日まで、お気に入りの音楽がラジオでかかるまで、お酒を一杯飲むまで、酔いから覚めるまで、死ぬまで・・・待つのはやめておしまいなさい。今より他に幸せになるべき時はないのだから。
幸せとは旅そのものであって、目的地ではない。
お金を必要としないがごとく働き、
一度も傷つかぬがごとく人を愛し、
誰にも見られていないがごとく踊りなさい。翻訳:世界子育てネットSweetHeart管理人
Happiness is a journey
Are you happy with your life? Is happiness a daily priority? Is happiness even important to you? On Saturday, a e-mail message started circulating among faculty, graduates and students of the MBA program at the University of Texas at Austin. Its title was "Dance Like No One's Watching." I don't know who the author is, but I want to share it with you because it talks about things that are real important.
When I was in junior high school, my friends told me that I was as "serious as a heart attack." What is frightening, in retrospect, is that I thought that was a compliment. I was an A+ type person. Goal oriented, driven and tough on myself and others. I set high standards for myself and then tried to exceed them. I never really believed that anything was impossible. I was convinced that if I worked hard enough and was willing to pay the price, I could get it.
The problem was that I thought that being happy most of the time was a luxury that I couldn't afford. It was just too important to be successful to worry about being happy. There would be plenty of time for happiness once success was secured.
Then I spent a summer working in Copenhagen, Denmark, and everything changed. For the first time in my life, I lived and worked in a country where there was an equal commitment to excellence in professional and personal life. An equal commitment to the job and to the family.
In Denmark, as in most of Europe, shops and stores closed at 5:30 four nights a week. They stayed open late on Thursday nights. Late was defined as 7:00 p.m. All stores closed on Saturday at 1:00 p.m. and didn't open again until Monday morning.
When I asked my Danish friends why they didn't have 24-hour shopping, they asked "why would we want to do that?" I told them that if stores stayed open 24-hours a day, you could work as long as you needed to get "the job done" and still be able to buy what you needed when you had time. You didn't have to adjust your work schedule to the shops' hours.
Their response stumped me. They said, "Why would we want to have our jobs control our lives? How can we be good parents, good spouses and good workers if we spend all of our time at work and never have any fun?" At first, I thought they were crazy, but within two weeks, I fell in love with the idea of having an equal balance between my personal and work life. Since then I have struggled to apply what I learned in 1982 to how I live my life.
With that as my personal testimony, let me share with you the e-mail that is circulating around Austin, Texas.
DANCE LIKE NO ONE'S WATCHING
We convince ourselves that life will be better after we get married, have a baby, then another. Then we are frustrated that the kids aren't old enough and we'll be more content when they are. After that we're frustrated that we have teen-agers to deal with. We will certainly be happy when they are out of that stage. We tell ourselves that our life will be complete when our spouse gets his or her act together, when we get a nicer car, are able to go on a nice vacation, when we retire. The truth is, there's no better time to be happy than right now. If not now, when?
Your life will always be filled with challenges. It's best to admit this to yourself and decide to be happy anyway. One of my favorite quotes comes from Alfred D'Souza. He said, For a long time it had seemed to me that life was about to begin -- real life. But there was always some obstacle in the way, something to be gotten through first, some unfinished business, time still to be served, a debt to be paid. Then life would begin. At last it dawned on me that these obstacles were my life."
This perspective has helped me to see that there is no way to happiness. Happiness is the way. So, treasure every moment that you have. And treasure it more because you shared it with someone special, special enough to spend your time ... and remember that time waits for no one. ...
So stop waiting until you finish school, until you go back to school, until you lose 10 pounds, until you gain 10 pounds, until you have kids, until your kids leave the house, until you start work, until you retire, until you get married, until you get divorced, until Friday night, until Sunday morning, until you get a new car or home, until your car or home is paid off, until spring, until summer, until fall, until winter, until you are off welfare, until the first or 15th, until your song comes on, until you've had a drink, until you've sobered up, until you die to decide that there is no
better time than right now to be happy. ...
Happiness is a journey, not a destination.
Thought for the day:
Work like you don't need money,
love like you've never been hurt, and
dance like no one's watching.
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John Doggett is a management consultant, lawyer, and business school professor who lives in Austin, Texas. Talkers Magazine has selected John as one of the 100 Most Influential Radio Talk Show Hosts in America. Headway Magazine has selected John as one of the 20 Most Influential Black Conservatives in America.
あなたの幸福がここにある
幸福な人は、変わるものは変えようとします。
変わらなかったものは、静かに受け入れます。
幸福な人は、喜びを大きくして悲しみを忘れます。
幸福な人は、「愛する」という言葉を最初に学びます。
幸福な人は、「ノー」と言えるちょっとした「勇気」を持っています。
幸福な人は、幸せをつかむ努力をします。
不幸な人は、幸せに見える努力をします。
幸福な人は、自分に本当に必要なものは何かを知っています。
幸福な人は、幸運を必ず生かします。
幸福な人は、自分を信じて決断します。
神様は誰の心の中にも僕が高校1年生だった頃のある日、学校から歩いて帰宅するクラスメートが目に入った。彼の名前はカイル。山のような教科書を抱えていた。ぼくは心の中で「金曜日に教科書を全部もって帰るなんて、どんなヤツだろう。きっとクソまじめなガリ勉に違いない。」と思った。ぼく自身は、週末はパーティーや友達とのフットボールの約束などの計画でいっぱいだった。
そのまま歩き去ろうとした時、彼に向かって何人もの生徒達が走っていくのが目に入った。彼らは、わざとカイルにぶつかったので、彼の抱えていた本はバラバラに飛び散り、カイルは蹴つまずかされて泥の中に倒れてしまった。メガネも吹っ飛び、10フィート以上離れたところに落ちたのが見えた。彼の見上げた目に宿ったひどい悲しみの表情が、僕の心をゆさぶった。
それで、ぼくは四つんばいになってメガネを捜している彼の所に走りよった。彼の目には涙が浮かんでいた。ぼくが「あいつら、ろくでもないヤツラだ。他にやることがないのかよ。」と言いながらメガネを手渡した。彼は僕を見ながら「ありがとう!」と言った。満面の笑顔だった。その笑顔は、心の底から感謝しているということを示す種類のものだった。 僕は散らばった本を拾うのを手伝いながら、彼がどこに住んでいるのかを尋ねた。意外なことに僕の近所だった。それで、なぜ一度も会ったことがなかったのかと尋ねた。彼はずっと、私立の学校に行っていたからだと言った。僕は今まで私立に言っているような子と仲良くなったことはなかった。 家に帰る道すがら僕らはずっといろんなことをしゃべった。カイルは、とってもいいやつだった。
僕は土曜日に友達とフットボールをするんだけど一緒に来ないかと誘った。カイルは承知し、僕らはその週末をずっと一緒に過ごした。カイルのことを知れば知るほど、僕はカイルのことが好きになった。そしてそれは僕の他の友達も同じことだった。 月曜の朝、カイルが再び金曜日に持ちかえった全ての本を抱えて登校するのが見えた。僕は彼を呼びとめ「毎日、山のような本を抱えて、筋肉を鍛えてでもいるの?」と言うと、カイルは笑って、抱えている本の半分を僕に手渡した。 それからの4年間、カイルと僕は大の親友になった。
そして僕らは4年生になり大学進学を考え始めた。カイルはジョージタウン大学に進学することを決め、僕はデューク大学に進学を決めた。僕らは、どんなに距離が離れようと、ずっと友達だと分かっていた。カイルは医者になるつもりだったし、僕はフットボールで奨学金をもらったので、ビジネスの分野に進むつもりだった。 カイルは卒業式で卒業生を代表して告別の辞を述べることになった。僕は、最初から最後までクソまじめなカイルをからかった。彼は卒業式のためにスピーチを準備しなければならなかった。僕は内心、壇上で話すのが自分じゃないことがとても嬉しかった。
卒業式の日、僕はカイルを見つけた。彼はとてもかっこよかった。彼は高校生活で真の自分というものを発見した一人だった。彼は満たされているように見え、今やメガネさえ、さらに彼を立派に見せていた。彼は学校生活で僕よりもずっと女の子にモテたし、色んな子ともデートしていた。もちろん、たまにそんな彼に僕は嫉妬したこともあった。 その日、彼が珍しく緊張しているのがわかった。それで、僕は彼の背中をたたいて「オイ、お前なら大丈夫だよ。」と言った。カイルは、僕のことをじっと見つめて微笑みながら「ありがとう」といった。カイルは咳払いしてからスピーチを始めた。「卒業は、山あり波ありの学生生活を乗り越えさせてくれた人々に感謝する時です。皆さんのご両親、諸先生方、兄弟姉妹、コーチ達に・・・そして何よりも友達に。誰かの友達になってあげるということが、人にあげられる一番の贈り物だということを皆さんに伝えるために、僕は今日、ここに立っております。今から皆さんに一つの話しをします。」
そして、カイルが僕との初めての出会いの日のことを語り始めたとき、僕は、信じがたい思いで友を見つめていた。あの週末、カイルは自殺する計画を立てていたのだった。彼は自分のロッカーをすっかりきれいにし、後で、お母さんが大変な思いをしないようにと、全ての物を家に持ち帰っていたのだと話した。 彼は僕をじっと見つめちょっと微笑んだ。「ありがたいことに僕は救われたんです。僕の友達が言葉にできないことをして僕を救ってくれたんです。」
このハンサムな人気者の少年の、最も気弱になっていた瞬間の話しに会場の一堂が息を飲むのが聞こえた。彼のお父さんとお母さんが僕を見て、さっきカイルが僕に投げたのと同じ感謝の笑みを向けるのを見た。 その瞬間まで僕は僕のしたことの深い意味など知る術もなかった。自分の行動力を決して低く見積もってはいけない。たった一つの小さな振るまいが誰かの人生を変えるかもしれないのだから。良くも悪くも。神様は、人間誰しも、お互いに何らかの影響を与え合うようにされたのだ。そして、その神様は誰の心の中にもいるのだ。その神様を見つけよう。
翻訳:世界子育てネットSweetHeart管理人
One day, when I was a freshman in high school, I saw a kid from my class was walking home from school. His name was Kyle. It looked like he was carrying all of his books. I thought to myself, "Why would anyone bring home all his books on a Friday? He must really be a nerd." I had quite a weekend planned (parties and a football game with my friends tomorrow afternoon), so I shrugged my shoulders and went on.
As I was walking, I saw a bunch of kids running toward him. They ran at him, knocking all his books out of his arms and tripping him so he landed in the dirt. His glasses went flying, and I saw them land in the grass about ten feet from him. He looked up and I saw this terrible sadness in his eyes. My heart went out to him.
So, I jogged over to him and as he crawled around looking for his glasses, and I saw a tear in his eye. As I handed him his glasses, I said, "Those guys are jerks. They really should get lives."He looked at me and said, "Hey thanks!" There was a big smile on his face. It was one of those smiles that showed real gratitude I helped him pick up his books, and asked him where he lived.
As it turned out, he lived near me, so I asked him why I had never seen him before. He said he had gone to private school before now. I would have never hung out with a private school kid before. We talked all the way home, and I carried some of his books. He turned out to be a pretty cool kid. I asked him if he wanted to play a little football with my friends. He said yes. We hung all weekend and the more I got to know Kyle, the more I liked him, and my friends thought the same of him. Monday morning came, and there was Kyle with the huge stack of books again. I stopped him and said, "Boy, you are gonna really build some serious muscles with this pile of books everyday!" He just laughed and handed me half the books.
Over the next four years, Kyle and I became best friends. When we were seniors, we began to think about college. Kyle decided on Georgetown, and I was going to Duke. I knew that we would always be friends, that the miles would never be a problem. He was going to be a doctor, and I was going for business on a football scholarship. Kyle was valedictorian of our class. I teased him all the time about being a nerd. He had to prepare a speech for graduation. I was so glad it wasn't me having to get up there and speak.
Graduation day, I saw Kyle. He looked great. He was one of those guys that really found himself during high school. He filled out and actually looked good in glasses. He had more dates than I had and all the girls loved him. Boy, sometimes I was jealous. Today was one of those days. I could see that he was nervous about his speech. So, I smacked him on the back and said, "Hey, big guy, you'll be great!" He looked at me with one of those looks (the really grateful one) and smiled."Thanks," he said.
As he started his speech, he cleared his throat, and began. "Graduation is a time to thank those who helped you make it through those tough years. Your parents, your teachers, your siblings, maybe a coach... but mostly your friends. I am here to tell all of you that being a friend to someone is the best gift you can give them. I am going to tell you a story." I just looked at my friend with disbelief as he told the story of the first day we met. He had planned to kill himself over the weekend. He talked of how he had cleaned out his locker so his Mom wouldn't have to do it later and was carrying his stuff home. He looked hard at me and gave me a little smile. "Thankfully, I was saved. My friend saved me from doing the unspeakable."
I heard the gasp go through the crowd as this handsome, popular boy told us all about his weakest moment. I saw his mom and dad looking at me and smiling that same grateful smile. Not until that moment did I realize its depth. Never underestimate the power of your actions. With one small gesture you can change a person's life. For better or for worse. God puts us all in each other's lives to impact one another in some way. Look for God in others.
人生のどんな問題も解決する知恵「鏡の法則」幸せ成功力コーチ 野口嘉則
SweetHeartからのメッセージ・・・先日、友人から紹介してもらったチョットいい話です。転載・コピー大歓迎ということなので早速、SweetHeartでも紹介させていただきます。
さらにお友達にこの話を分けてあげたい方、PDFファイルをダウンロードできます。http://coaching-m.co.jp/payforward.htm
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(このお話は実話ですが、登場人物の職業などを多少変えてストーリーを設定しています)
A子(主婦、41歳)には悩みがあった。
小学校5年生になる息子が、学校でいじめられるのだ。
いじめられるといっても、暴力まではふるわれないらしい。
友達から仲間はずれにされたり、何かあると悪者扱いされたりすることが多いようだ。
息子は、「いじめられてるわけじゃない」と言い張っているが、息子を見ていると、寂しそうなので、A子は胸が痛むのだ.
息子は野球が好きなのだが、友達から野球に誘ってもらえないので、学校から帰っ
てきたら一人で公園に行って、壁とキャッチボールをしている。
2年くらい前には、息子が友達といっしょに野球をしていた時期もある。
当時のことなのだが、A子が買い物の帰りに小学校の横を通りかかったときに、 グ
ランドで息子が友達と野球をしていた。息子がエラーをしたらしく、周りからひどく責め
られていた。
チームメイト達は、容赦なく大きな声で息子を責めた。
「お前、運動神経がにぶ過ぎだぞ!」
「お前のせいで3点も取られたじゃないか!」
「負けたらお前のせいだぞ!」
A子は思った。
「たしかに息子の運動能力は高くない。しかし、息子には息子のいいところがある。とても心が優しい子なのに。」 A子は、自分の息子のいいところが認められていないことが、 悔しかった。
そして、ひどいことを言うチームメイト達に対して、自分の息子が笑顔で謝っているのを見るのが辛かった。
その後まもなく、息子は野球に誘われなくなった。
「お前はチームの足を引っぱるから誘わん」と言われたらしい。
息子にとって、野球に誘ってもらえないことが、一番つらいようだ。
A子へのやつ当たりが目立って増えたことからもそれがわかる。
しかし息子は、辛さや寂しさを決して話してはくれなかった。
A子にとって一番辛いのは、息子が心を開いてくれないことだった。
「僕は平気だ」と言い張るばかりなのだ。
A子が、「友達との上手な関わり方」を教えようと試みても、「うるさいな!ほっといてよ」と言ってくる。 「転校しようか?」と持ちかけた時は、「そんなことをした ら、一生うらむよ!」と言い返してきた。
息子の状況に対して、自分が何もしてやれないことが情けな く、A子は無力感に陥っていた。
そしてある日、学校から帰 宅して公園に行ったばかりの息子が、不機嫌な顔で帰ってきた。
「何があったの?」と聞いても、「何もない」と言って教えてくれない。
真相は一本の電話で明らかになった。
その夜、親しくしているご近所の奥さんから電話がかかってきたのだ。
「A子さん、○○○君(A子の息子の名前)から、何か聞いてる?」
「えっ?いいえ」
「今日、公園でうちの下の子どもをブランコに乗せていたのよ。○○○君は、いつもの壁にボールを投げて遊び始めたわ。するとね、○○○君のクラスメイトらしい子たちが7、8人くらいやって来てね、『ドッジボールするからじゃまだ!』って○○○君に言うのよ。
しかも、その中の1人がボールを○○○君にぶつけたのよ。○○○君、すぐに帰っていったわ。
私としては、その場で何もできなくて、申し訳なかったと思 ってね。」
A子は愕然とした。
「そんなことを私に黙っていたなんて。」
そんなつらい思いをしていながら、自分に何も言ってくれないことが悲しかった。
その日は、あらためて息子から聞き出そうという気力も湧いてこなかった。
翌日、A子はある人に電話をかけることを決意した。
その人とは、夫の先輩に当たるB氏だ。
A子は、B氏とは話したこともないのだが、1週間前に夫からB氏の名刺を渡され
た。
B氏は、夫が高校時代に通っていた剣道の道場の先輩である。
夫も20年くらい会っていなかったらしいが、夫が最近街を歩いていたら、たまたまばったりと出会ったということだっ た。久々の再会に盛り上がって喫茶店に入り、2時間も話したらしい。
B氏は、今は経営コンサルタントを仕事にしているそうだ。
夫の話では、B氏は心理学にも詳しく、企業や個人の問題解決を得意としているとのこと。
そこで夫が息子のことを少し話したら、「力になれると思うよ。」と言って名刺を渡してくれたそうだ。
夫は、その日、「お前の方から直接電話してみろよ。話を通しておいてやったから」
と、その名刺を渡してきた。
A子「どうして私が、そんな知らない人にまで相談しなきゃいけないの。あなたが直
接相談したらいいじゃない。」
夫 「俺が心配なのは、お前のほうだ。○○○のことで、ずっと悩み続けてるじゃな
いか。だから、そのことをBさんに相談したんだ。」
A子「私に問題があるっていうの?私が悩むのは当然よ!親なんだから。あなたは一日中トラックに乗ってりゃいいんだから気楽よね。実際に○○○を育ててるのは私なんだからね。あなたはいっしょに悩んでもくれない。そのBさんに相談なんてしないわ。どうせその人も、子育てのことは何も分からないに決まってるわ。」
そう言ってA子は、その名刺をテーブルの上に投げた。
しかし、昨日の出来事(近所の奥さんから聞いた話)があって、A子はすっかり落ち込み、わらをもすがるような気持ち になっていた。
「こんな辛い思いをするのはイヤだ。誰でもいいから、助けてほしい。」
そう思ったときに、B氏のことを思い出したのだ。
幸い名刺はすぐに見つかった。
息子が学校に行って1時間くらい経ったころ、意を決してB氏に電話をかけた。
その時A子は、その日に起きる驚くべき出来事を、想像だにしていなかった。
受付の女性が出て、B氏に取り次いでくれた。
A子は自分の名前を告げたものの、電話に出てきたB氏の声がとても明るかったので、「こんな悩み事を相談してもいいのか?」という気持ちになった。
次の言葉がなかなか見つからなかったのだが、B氏のほうから声をかけてきてくれた。
「もしかして□□君の奥さんですか?」
「はい、そうなんです。」
「あー、そうでしたか。はじめまして。」
「あのー、主人から何か聞かれてますか?」
「はい。ご主人から少し聞きました。息子さんのことで悩まれてるとか。」
「相談に乗っていただいていいのでしょうか?」
「今1時間くらいなら時間がありますので、よかったら、この電話で話を聞かせてください。」
A子は、自分の息子がいじめられたり、仲間はずれにされていることを簡単に話した。
そして、前日にあった出来事も。ひととおり聞いて、B氏は口を開いた。
「それは辛い思いをされてますね。親としては、こんな辛いことはないですよね。」
その一言を
聞いて、A子の目から涙があふれてきた。
A子が泣き始めたのに気づいたB氏は、A子が落ち着くのを待って続けた。
「奥さん、もしあなたが、本気でこのことを解決なさりたいなら、それは、おそらく、難しいことじゃありませんよ。」
A子は、「難しいことじゃない」という言葉が信じられなかった。
自分が何年も悩んで解決できないことだったからだ。
だけど、B氏の言葉が本当であってほしいと願う気持ちもあった。
「もし解決できるなら、何だってやります。私は本気です。だけど、何をやれば解決するんですか?」
B氏「では、それを探りましょう。まず、はっきりしていることは、あなたが、誰か身近な人を責めているということです。」
A子「えっ?どういうことですか?」
B氏「話が飛躍しすぎてますよね。まず理論的なことをじっくり説明してから話せば
いいんでしょうが、それをすると何時間もかかるし、私もそこまでは時間がないのです。
なので、結論から話します。理論的には根拠のある話なんで、後で、参考になる
心理学の本など教えます。
結論から言います。
あなたが大事なお子さんを人から責められて悩んでいるということは、あなたが、誰か感謝すべき人に感謝せずに、その人を責めて生きているからなんです。」
A子「子どもがいじめられるということと、私の個人的なことが、なぜ関係があるんですか?何か宗教じみた話に聞こえます。」
B氏「そう思われるのも、無理もないです。われわれは学校教育で、目に見えるものを対象にした物質科学ばかりを教えられて育ちましたからね。今、私が話していることは、心理学ではずいぶん前に発見された法則なんです。昔から宗教で言われてきたことと同じようなものだと思ってもらったらわかりやすいと思います。私自身は何の宗教にも入っていませんけどね。」
A子「その心理学の話を教えてください。」
B氏「現実に起きる出来事は、一つの『結果』です。『結果』には必ず『原因』があるのです。つまり、あなたの人生の現実は、あなたの心を映し出した鏡だと思ってもらうといいと思います。例えば、鏡を見ることで、『あっ、髪型がくずれている!』とか『あれ?今日は私、顔色が悪いな』って気づくことがありますよね。
鏡がないと、自分の姿に気づくことができないですよね。
ですから、人生を鏡だと考えてみて下さい。
人生という鏡のおかげで、私たちは自分の姿に気づき、自分を変えるきっかけを得ることができるのです。
人生は、どこまでも自分を成長させていけるようにできているのです。」
A子「私の悩みは、私の何が映し出されているのですか?」
B氏「あなたに起きている結果は、『自分の大切なお子さんが、人から責められて困っている』 ということです。考えられる原因は、あなたが『大切にすべき人を、責めてしまっている』ということです。
感謝すべき人、それも身近な人を、あなた自身が責めているのではないですか?
一番身近な人といえば、ご主人に対してはどうですか?」
A子「主人には感謝しています。トラックの運転手として働いてくれているおかげで、家族が食べていけてるのですから。」
B氏「それは何よりです。では、ご主人を大切にしておられますか?尊敬しておられますか?」
A子は、「尊敬」という言葉を聞いたときに、ギクッとした。
A子は、日ごろから夫のことを、どこか軽蔑しているところがあったからだ。
A子から見て、楽観的な性格の夫は、「思慮の浅い人」に見えた。
また、「教養のない人」にも見えた。
たしかに、A子は四年制の大学を卒業しているが、夫は高卒である。
また、それだけではなく、夫は言葉ががさつで、本も週刊誌くらいしか読まない。
読書が趣味のA子としては、息子に、「夫のようになってほしくない」という思いがあったのだ。
A子は、そのこともB氏に話した。
B氏「『人間の価値は教養や知識や思慮深さで決まる』と思っておられますか?」
A子「いえ、決してそんなふうには思いません。人それぞれ強みや持ち味があると思います」
B氏「では、なぜご主人に対して、『教養がない』ことを理由に軽蔑してしまうんでしょうね。」
A子「うーーーん。私の中に矛盾がありますね。」
B氏「ご主人との関係は、どうなんですか?」
A子「主人の言動には、よく腹が立ちます。喧嘩になることもあります。」
B氏「息子さんの件で、ご主人とはどうですか?」
A子「息子がいじめられていることは、いつもグチっぽく主人に言っています。ただ、主人の意見やアドバイスは受け入れられないので、主人にちゃんと相談したことはありません。
おそらく、私にとって主人は、一番受け入れられないタイプなんだと思います。」
B氏「なるほど。もう一つ根本的な原因がありそうですね。ご主人を受け入れるよりも前に、そっちを解決する必要があります。」
A子「根本的な原因ですか?」
B氏「はい、あなたがご主人を受け入れることができない根本的な原因を探る必要があります。ちょっと伺いますが、ご自分のお父様に感謝しておられますか?」
A子「えっ?父ですか?そりゃもちろん感謝してますが・・・」
B氏「お父様に対して『許せない』という思いを、心のどこかに持っていませんか?」
A子は、この「許せない」という言葉にひっかかった。
たしかに自分は父を許していないかもしれない、そう思った。
親として感謝しているつもりであったが、父のことは好きになれなかった。
結婚して以降も、毎年の盆・正月は、実家に顔を見せに家族で帰っている。
しかし、父とは、ほとんど挨拶ていどの会話しかしていない。
思えば、高校生のころから、父とは他人行儀な付き合いしかしてこなかった。
A子「父を許してないと思います。だけど、父を許すことはできないと思います。」
B氏「そうなんですね。じゃあ、ここまでにしますか?お役に立てなかったとしたら、申し訳ありません。それとも、何かやってみますか?」
A子「私の悩みの原因が、本当に父や主人に関係しているんでしょうか?」
B氏「それは、やってみたらわかると思いますよ。」
A子「わかりました。何をやったらよいか教えてください。」
B氏「では、今から教えることをまずやってみてください。お父様に対する『許せない』という思いを存分に紙に書きなぐって下さい。怒りをぶつけるような文書で。
『バカヤロー』とか『コノヤロー』とか『大嫌い!』とか、そんな言葉もOKです。
具体的な出来事を思い出したら、その出来事も書いて、『その時、私はこんな気持ちだったんだ』ってことも書いてみてください。恨みつらみをすべて文章にして、容赦なく紙にぶつけてください。気がすむまでやることです。
充分に気がすんだら、また電話下さい。携帯の番号も教えておきます。」
A子にとって、そのことが、息子の問題の解決に役立つのかどうかは疑問だった。
しかし、それを疑って何もしないよりも、可能性があるならやってみようと思った。
A子は、「今の悩みを解決できるなら、どんなことでもしよう」と思っていた。
それに、B氏の話には、根拠はわからないが、不思議な説得力を感じた。
A子は電話を切ると、レポート用紙を持ってきて、父に対する思いを、思いつくままに書き始めた。
自分が子どものころは、なにかと口やかましい父だった。
夕食が説教の時間になることも多かった。
また、子ども達(A子と兄弟)が自分の思い通りにならないと、すぐに大声で怒鳴りつける、そんな父だった。
「お父さんは、私の気持ちなんか興味ないんだ!」と、そう思うことも多かった。
お酒を飲んだ時に、仕事のグチを言うところもイヤだった。
また、建設会社で現場監督をしていた父は、砂や土で汚れた仕事着で帰って来て、そのまま食事をすることが多かったが、それもイヤだった。
A子は、父に対しての気持ちを文章にしていった。
気がついたら、父に対して「人でなし!」とか「あんたに親の資格なんかない!」とか、かなり過激な言葉もたくさん書いていた。
ある出来事も思い出した。自分が高校生のころ、クラスメイトの男の子と日曜日にデートをしたことがあった。
その男の子と歩いているところを、たまたま父に目撃され、後で問いただされて説教されたことがあった。両親には、「女の子の友達と遊ぶ」と嘘をついていたのだが、父はその嘘を許せないようだった。その時の、父の言葉は今も覚えている。
「親に嘘をつくくらい後ろめたい付き合い方をしているのか!お前は、ろくな女にはならん!」
思い出しているうちに悔し涙が出てきた。
悔しさも文章にした。
「お父さんがそんな性格だから、嘘もつきたくなるんでしょ!自分に原因があることも分からないの?
それに『ろくな女にならない』って、なんてひどい言葉なの。私がどのくらい傷ついたか知らないんでしょう!あんたこそ、ろくな親じゃない!
あれから私は、お父さんに心を開かなくなったのよ。自業自得よ!」
書きながら、涙が止まらなかった。
気がついたら、正午を回っていた。
書き始めて2時間近く経っていた。
十数枚のレポート用紙に、怒りを込めた文章が書きなぐってあった。
容赦なく書いたせいか、それとも、思いっ切り泣いたせいか、気持ちがずいぶん軽くなっていた。
A子は、午後1時を回ったところで、B氏に電話をした。
B氏「お父様をゆるす覚悟はできましたか?」
A子「正直なところ、その覚悟まではできていないかもしれません。だけど、できることは何でもやってみようと思います。ゆるせるものなら、ゆるして楽になりたいとも思います。」
B氏「では、やってみましょう。お父様をゆるすのは、他でもない、あなた自身の自由のためにゆるすんです。紙を用意してください。そして、上の方に『父に感謝できること』というタイトル を書いてください。さて、お父様に対して感謝できるとしたら、どんなことがありますか?」
A子「それは、まず、働いて養ってくれたことですね。父が働いて稼いでくれたおかげで、家族も食べていけたわけですし、私も育ててもらえたわけです。」
B氏「それを紙に書き留めて下さい。他にもありますか?」
A子「うーーーん。私が小学生のころ、よく公園に連れていって遊んでくれましたね。」
B氏「それも書き留めておいて下さい。他には?」
A子「それくらいでしょうか。」
B氏「では、別の紙を用意して『父に謝りたいこと』ってタイトルを書いてください。
さて、お父様に謝りたいことは、何かありますか?」
A子「特に浮かびませんが、あえて言えば、『心の中で反発し続けたこと』でしょうか。
ただ、心から謝りたいという気持ちにはなれませんが。」
B氏「実感がともなわなくてもOKです。形から入りますから。とりあえず、今おっしゃったことを書き留めてください。」
A子「書き留めました。で、形から入るといいますと、何をやればいいのですか?」
B氏「いいですか、今から勇気の出しどころです。もしかしたら、あなたの人生で、一番勇気を使う場面かもしれません。私が提案することは、あなたにとって、最も抵抗したくなる行動かもしれない。実行するかどうかは自分で判断して下さいね。
今から、お父様に電話をかけて、感謝の言葉とあやまる言葉を伝えるのです。
実感が湧いてこなかったら、用意した言葉を伝えるだけでもOKです。
『父に感謝できること』と『父にあやまりたいこと』の2つの紙に書き留めたことを、読んで伝えるだけでOKです。伝えたら、すぐに電話を切ってもらってかまいません。やってみますか?」
A子「・・・・・。たしかに、今までの人生で使ったことがないくらい、勇気を使わないとできませんね。でも、これが私の悩みの解決に役立つなら、それだけの勇気を使う価値はあるんだ思います。
だけど、難しいですねー。」
B氏「やるかやらないかは、ご自分で決めてくださいね。私も、一生に一度の勇気を使う価値はあるとおもいますけど。それから私は、次の予定がありますので、このあたりで失礼します。もし実行されたらご連絡下さい。次のステップをお教えします」
A子にとって救いなのは、「形だけでいい」ということだった。
「謝る」ということについては、気持ちがともなわない。
「悪いのは父親の方だ」という思いがあるから、自分が謝るのは筋違いだと思う。
だけど、書き留めた文章を棒読みするくらいならできそうだ。
それならば、やってみた方がいいに決まっている、と思えた。
A子は「電話をかけよう」という気になってきた。
そして、電話をかけようとしている自分が、不思議だった。
こんなきっかけでもなかったら、A子が父親と電話で話すということは、一生なかったかもしれない。
結婚して間もないころは、実家に電話をして父が電話に出たときは、すぐさま「私だけど、お母さんにかわって」と言っていた。
しかし今は、「私だけど」と言っただけで、父の「おーい、A子から電話だぞ」と母を呼ぶ声がする。
父も「A子から自分に用事があるはずない」ということわかっているのだ。
しかし、今日は電話で父と話すのだ。
「躊躇していたら、ますます電話をかけにくくなる」と思ったA子は、意を決してすぐに電話をかけた。
電話に出たのは、母だった。
A子「私だけど」
母 「あら、A子じゃない。元気にしてる?」
A子「うん、まあね。・・・ねえお母さん、お父さんいる?」
母 「えっ?お父さん?あなたお父さんに用なの?」
A子「う、うん。ちょっとね。」
母 「まあ、それは珍しいことね。ねえ、お父さんに何の用なの?」
A子「えっ?えーと、ちょっと変な話なんだけど説明するとややこしいから、お父さんにかわってくれる?」
母 「わかった、ちょっと待ってね。」
父が出てくるまでの数秒間、A子の緊張は極度に高まった。
すっと父のことを嫌ってきた。
父に心を開くことを拒んできた。
その父に、感謝の言葉を伝え、あやまるのだ。
ふつうに考えて、できっこない。
しかし、息子のことで悩みぬいたA子にとって、その悩みが深刻であるがゆえに、ふつうだったらできそうにない行動を取っているのだった。もしも、その悩みから解放される可能性があるなら、わらにもすがりたいし、どんなことでもする。その思いが、A子を今回の行動に向かわせたのだ。
父 「な、なんだ? わしに用事か?」
A子は、自分では何を言っているかわからないくらいパニックしながら話し始めた。
A子「あっ、あのー、私、今まで言わなかったんだけど、言っといたほうがいいかなーと思って電話したんだけど、・・・えーと、お父さん、現場の仕事けっこう大変だったと思うのよ。
お父さんが頑張って働いてくれて、私も育ててもらったわけだし。
あのー、私が子どものころ、公園とかも連れて行ってくれたじゃない。
なんていうか、『ありがたい』っていうか、感謝みたいなこと言ったことないと思うのよ。
それで、一度ちゃんと言っておきたいなと思って、・・・。
それから私、心の中で、けっこうお父さんに反発してたし、それもあやまりたいなと思ったの。」
ちゃんと「ありがとう」とは言えなかったし、「ごめんなさい」とも言えなかった。
だけど、言うべきことは一応伝えた。
父の言葉を聞いたら、早く電話を切ろう。そう思った。
しかし、父から言葉が返ってこない。
『何か一言でも言ってくれないと、電話が切れないじゃない』
そう思った時に、受話器から聞こえてきたのは、母の声だった。
母「A子!あなた、お父さんに何を言ったの?」
A子「えっ?」
母「お父さん、泣き崩れてるじゃないの!何かひどいこと言ったんでしょ!」
受話器から、父が嗚咽する声が聞こえてきた。
A子はショックで呆然とした。
生まれて以来、父が泣く声を一度も聞いたことはなかった。
父はそんな強い存在だった。
その父のむせび泣く声が聞こえてくる。
自分が形ばかりの感謝を伝えたことで、あの強かった父が嗚咽しているのだ。
父が泣く声を聞いていて、A子の目からも涙があふれてきた。
父は私のことをもっともっと愛したかったんだ。
親子らしい会話もたくさんしたかったに違いない。
だけど私はずっと、父の愛を拒否してきた。
父は寂しかったんだ。
仕事でどんなに辛いことがあっても耐えていた強い父が、今、泣き崩れている。
娘に愛が伝わらなかったことが、そんなに辛いことだったんだ。
A子の涙も嗚咽へと変わっていった。
しばらくして、また母の声。
母「A子!もう落ち着いた?説明してくれる?」
A子「お母さん、もう一度、お父さんにかわってくれる?」
父が電話に出る。
父「(涙声で)A子、すまなかった。わしは、いい父親じゃなかった。お前にはいっぱいイヤな思いをさせた。うっ、うっ、うっ、(ふたたび嗚咽)」
A子「お父さん。ごめんなさい。私こそ悪い娘でごめんなさい。そして、私を育ててくれてありがとう。うっ、うっ、うっ(ふたたび嗚咽)」
少し間をおいて、再び母の声。
母「何が起きたの?また、落ち着いたら説明してね。一旦、電話切るよ。」
A子は、電話を切ってからも、しばらく呆然としていた。
20年以上もの間、父を嫌ってきた。
ずっと父を許せなかった。
自分だけが被害者だと思っていた。
自分は父の一面だけにとらわれて、別の面に目を向けようとはしなかった。
父の愛、父の弱さ、父の不器用さ、・・・これらが見えていなかった。
父はどれだけ辛い思いをしてきたんだろう。
自分は父に、どれだけ辛い思いをさせてきたんだろう。
いろいろな思いが巡った。
「まずは、形から入ればOKです。気持ちは、ついてきますから。」と言ったB氏の言葉の意味が、ようやく分かりかけてきた。
「あと1時間くらいで、○○○(息子)が帰ってくるな」
そう思った時に、電話が鳴った。
出てみるとB氏であった。
B氏「どーも、Bです。今、40〜50分くらい時間ができたので電話しました。
さっきは、次の予定が入ってたので、お話の途中で電話を切ったような気がしまして。」
A子「実は私、父に電話したんです。電話して本当によかったです。ありがとうござ
いました。Bさんのおかげです。」
A子は、父とどんな話をしたかを簡単に説明した。
B氏「そうでしたか。勇気を持って行動されて、よかったですね。」
A子「私にとって、息子がいじめられてることが最大の問題だと思っていましたが、
長年父を許していなかったことの方が、よほど大きな問題だったという気がします。
息子の問題のおかげで父と和解できたんだと思うと、息子の問題があってよかったのかな、 という気すらします。」
B氏「息子さんについてのお悩みを、そこまで前向きに捉えることができるようになったんですね。潜在意識の法則というのがありましてね、それを学ぶと次のようなことがわかるんです。
実は、人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるために起こるんです。つまり偶然起こるのではなくて、起こるべくして必然的に起こるんです。
ということは、自分に解決できない問題は決して起こらないのです。
起きる問題は、すべて自分が解決できるから起きるのであり、前向きで愛のある取り組みさえすれば、後で必ず『あの問題が起きてよかった。そのおかげで・・・』と言えるような恩恵をもたらすのです。」
A子「そうなんですね。ただ、息子の問題自体は何も解決していないので、それを思うと不安になります。」
B氏「息子さんのことは、まったく未解決なままだと思っておられるんですね。もしかしたら、解決に向けて大きく前進されたのかもしれませんよ。
心の世界はつながっていますからね。
原因を解決すれば、結果は変わるしかないのです。」
A子「本当に息子の問題は解決するんでしょうか?」
B氏「それは、あなた次第だと思いますよ。さて、ここで少し整理してみましょうか。
あなたにとって、息子さんのことで一番辛いのは、息子さんが心を開いてくれないことでしたね。
親として、何もしてやれないことが情けなくて辛いとおっしゃいましたね。その辛さをこれ以上味わいたくないと。」
A子「はい、そうです。いじめられてることを相談もしてくれない。私は力になりたいのに、『ほっといて!』って拒否されてしまう。無力感を感じます。子どもの寂しさが分かるだけに、親として、何もしてやれないほど辛いことはありません。」
B氏「本当に辛いことでしょうね。ところで、その辛さは、誰が味わっていた辛さなのか、もうお解かりですよね。」
A子「えっ?誰がって・・・(しばらく沈黙)」
その時、A子の脳裏に父の顔が浮かんだ。
そうか!この耐えがたい辛さは、長年父が味わい続けたであろう辛さだ。
娘が心を開いてくれない辛さ。
娘から拒否される辛さ。
親として何もしてやれない辛さ。
私の辛さといっしょだ。
この辛さを、父は20年以上も味わい続けたのか。
A子のほほを涙が伝った。
A子「わかりました。私は、私の父と同じ辛さを味わっていたんですね。
こんなに辛かったんですね。父が嗚咽したのも分かります。」
B氏「人生で起こる問題は、私たちに大事なことを気づかせるべく起こるんです。」
A子「あらためて父の辛さが解かりました。息子のおかげで、解かることができたんだと思います。 息子が私に心を開いてくれなかったおかげで。」
B氏「息子さんもお父様もあなたも、心の底ではつながっています。お父様に対するあなたのスタンスを、あなたに対して息子さんが演じてくれたのです。
そのおかげで、あなたは気づくことができた。」
A子「息子にも感謝したいです。『大事なことに気づかせてくれて、ありがとう』って気持ちです。今まで、『どうしてお母さんに話してくれないの?』って心の中で息子を責めていました。」
B氏「今なら、息子さんの気持ちも理解できますか?」
A子「そうか!私が子どものころ、口うるさい父がイヤでした。
いろいろ口出ししてきたりするのがイヤでした。 今考えてみれば、それも父の愛情からだったんでしょうが、当時は負担でしたね。今、息子も同じ思いなんだと思います。
私の押し付けがましい愛情が負担なんだと思います。」
B氏「あなたが子どものころ、本当はお父さんに、どんな親でいてほしかったんでしょうね?」
A子「私を信頼してほしかった。『A子なら大丈夫!』って信頼してほしかったです。
・・・(しばらく沈黙)。
私、息子を信頼していなかったと思います。
『私が手助けしないと、この子は問題を解決できない』と思っていました。それで、あれこれ問いただしたり、説教したり、・・・。もっと息子を信頼してあげたいです。」
B氏「あなたは、お父様の辛さも理解し、息子さんの辛さも理解されましたね。
では次に、ご主人とのことに移りましょう。
朝お電話をいただいた時に、『あなたの大切な息子さんが人から責められてしまう原因は、あなたが身近な誰かを責めてしまっていることです』とお話したのを覚えていますか?」
A子「はい、覚えています。主人を尊敬できないという話をしました。」
B氏「ではもう一度、ご主人に対してどんなふうに感じておられるか、話してもらえますか?」
A子「どうしても、主人に対して、『教養のない人』とか『思慮の浅い人』というふうに見てしまうんです。
息子のことにしても、私がこれだけ悩んでるのに、根拠なく楽観的なんです。
それで主人に対しては、グチこそはぶつけますが、ちゃんと相談したりすることはありません。主人がアドバイスなどしてきても受け付けられないんです。」
ここまで話しながらA子は、自分の夫に対するスタンスが、父親に対して取ってきたスタンスに似ていることに気がついた。
A子「私が父に対して取ってきたスタンスと似てますね。」
B氏「そうなんです。女性の場合、父親に対してとってきたスタンスが、ご主人に対してのスタンスに投影されることが多いんです。ところで、お聞きしていると、ご主人は息子さんのことを信頼されているようですね。」
A子「あっ、そうですね!そうか、主人のそういうところを見習うべきだったんですね。
息子は主人に対しては、けっこう本音を言っているみたいなんです。
息子は信頼されてると思うから、主人には心を開くんですね。私は主人のよいところをまったく見ていませんでした。」
B氏「なるほど、そんなことを感じられたんですね。
さて、では宿題を差し上げます。やるかどうかは自分で決めてくださいね。
今日の午後、『父に感謝できること』と父に謝りたいこと』という2種類の紙を作ってもらいましたよね。
その紙に、お父様に感謝できることと謝りたいことを、書き出せるだけ書き出して下さい。紙は何枚使ってもOKです。それが終わったら、もう一つ紙を用意してください。
その紙のタイトルは、『父に対して、どのような考え方で接したらよかったのか?』です。
これは過去のお父様との関係を後悔するために書くのではありません。
これからのご主人との接し方のヒントが見つかるはずです。
そしてもう一つ、息子さんが夜眠られたら、息子さんの寝顔を見ながら、心の中で息子さんに『ありがとう』を100回ささやきかけてください。どうですか、やってみたいですか」
A子「はい、必ずやってみます。」
電話を切って間もなく、息子が帰ってきた。
息子はランドセルを玄関に投げると、いつものようにグローブとボールを持って、公園に行った。
『昨日、友達に追い出されたというのに、この子は、また公園に行くの?』A子の心は心配な気持ちでいっぱいになった。A子は、その心配な気持ちをまぎらわすように、宿題に取りかかった。
父に対して感謝できることがたくさん思い浮かんだ。
・現場監督のきつい仕事を続けて、家族を養ってくれた。
・私が子どものころ、夜中に高熱を出したことが何度かあったが、その都度、車で救急病院まで連れて行ってくれた。(肉体労働をしていた父にとって、夜中はしんどかったはず)
・私が子どものころ、よく海や川に連れて行ってくれて、泳ぎを教えてくれた。
・子どものころ私はメロンが好きだったが、毎年の私の誕生日には、メロンを買って帰って来てくれた。
・子どものころ近所のいじめっ子にいじめられていたことがあったが、その子の家に抗議しに行ってくれた。
・私は私立大学に入ったが、文句を言わず学費を出してくれた。
(当時のわが家にとって、大きな負担だったはず)
・私の就職先が決まった時に、寿司を出前で取ってくれた。(とても豪華な寿司だった。その時私は「寿司は好きじゃない」と言って食べなかった。父はしょんぼりしていた)
・嫁入り道具に、高価な桐のタンスを買ってくれた。
「感謝したいこと」に連鎖して「謝りたいこと」も浮かんできた。
「感謝したいこと」と「謝りたいこと」を書きながら、涙が浮かんできた。
「私は、こんなにも愛されていた。
反発する私を、愛し続けてくれていたんだ。
許せないという思いにとらわれていたから、その愛に気づかなかったんだ。
そして、こんなにも愛してもらいながら、私は父に何もしてあげてない。親孝行らしいこともほとんどしていない。」
自分が父親の仕事を尊敬していなかったことにも気づいた。
父親の現場監督の仕事に対して、「品がない」とか「知的でない」とか思っていた。
父親が仕事を頑張り続けてくれたおかげで、自分は大学まで行かせてもらえたのに。
そのことを初めて気づいた。
父親の仕事に対して、尊敬心と感謝を感じた。
そして今、自分の夫の仕事に対して、「知的でない」というイメージを持っている。
自分の夫に対する「教養がない」という嫌悪感をともなうイメージは、父に対して持っていたイメージとそっくりである。自分は、夫に対しても感謝できることがたくさんあるはずだ。
そんなことを考えながら、続いて、「父に対して、どのような考え方で接したらよかったのか?」
というタイトルの紙を用意した。
これについては、すぐに文章が浮かんできた。
「父の言動の奥にある愛情に気づくこと。
自分が不完全な人間であるように、父も不完全で不器用な人間であることを理解すること。
してもらっていることに感謝をすること。
愛してもらうだけではなくて、自分から愛すること(父を喜ばそうとすること)。
そしてその上で、イヤなことはイヤと伝えて、おたがいが居心地いい関係を築くこと。」
これはまさに、これから夫に対してするべき考え方だ、と思った。
働いてくれている夫。
自分の人生のパートナーでい続けてくれている夫。
自分は夫に対して感謝することを忘れていた。
夫に対して、こんなに素直な考え方ができるのは初めてかもしれない。
これは父に感謝できたことと関係があるのかもしれない。
今日は夫に感謝の言葉を伝えよう。そんなことを考えているうちに、外が薄暗くなりかけていることにA子は気がついた。
思えば、今日は家事らしきことをほとんどしていない。
朝の9時ごろB氏に電話してから、1日中自分と向き合っていた。
「晩ご飯の用意、どうしよう?」
そう思った時に、息子が帰ってきた。
息子「ねえ、お母さん聞いてよ!」
A子「どうしたの?何かいいことあったの?」
息子「C君知ってるでしょ。実は昨日、C君に公園でボールぶつけられたんだ。」
A子「あっ、あー、そうなの。C君って、あなたを一番いじめる子だよね。」
息子「さっき公園から帰ろうとしたらC君が公園に来てさー。で、『いつもいじめててごめんな』って言ってくれたんだ。」
A子は「そうだったの!」と言いながら、まるで奇跡でも体験しているような気持ちになった。
そして、心から感謝の気持ちが湧いてきたのだった。A子は、夕食の準備をするより息子と話そうと思い、出前を取った。出前が届くまでの間、A子は息子に次のようなことを伝えた。
「今まで、あなたのことに口出しをし過ぎてごめんね。これからは、なるべく口やかましくしないように気をつけるからね。そして、お母さんの助けが必要な時は、いつでも遠慮なく相談してね。あなたのことを信頼してるからね。」
息子は本当に嬉しそうな顔をして、「わかった、ありがとう」と答えた。
やはり息子は、母親に信頼してもらいたかったのだ。
「今日は、なんか変だなー。いいことが続くなー。」と息子が続けた。
A子も幸せな気持ちになった。
間もなく出前が届いた。
A子「お母さんは、お父さんが帰ってくるのを待つから、先に食べてね。」
息子「えっ?どうしたの?いつもは先に食べるのに」
A子「今日は、お父さんといっしょに食べたい気分なのよ。お父さん、お仕事頑張ってくれて、疲れて帰ってくるからね。一人で冷めた親子丼たべるの、寂しいでしょ。」
息子「じゃー、僕もお父さんといっしょに食べる!三人で食べる方が楽しいでしょ。」
A子「ほんとうにあなたは優しい子ね。お父さんに似たのね。」
息子「なんか変だなー。いつもお父さんのことを、『デリカシーがない』とか言って
るのに。」
A子「そうよね。お母さんが間違ってたのよ。お父さんは、優しくて男らしくてたくましくて、・・・男の中の男よ。」
息子「勉強しないと、お父さんのような仕事くらいしかできなくなっちゃうんでしょ?」
A子「ごめんね、それもお母さんが間違ってたのよ。お父さんの仕事は立派な仕事。
世の中の役に立ってるのよ。それに、お父さんが働いてくれてるおかげで、こうやってご飯食べたりできるんだからね。お父さんの仕事に感謝しようね。」
息子「お母さん、本当にそう思う?」
A子「うん、思うよ。」
A子がそう言った時の息子の笑顔は、その日で一番嬉しそうな笑顔だった。
子どもは本来、親を尊敬し、親をモデルして成長する。
A子の言葉は、息子に対して、「お父さんを尊敬してもいいよ」という許可を与えたことになる。
息子はそのことが何よりも嬉しかったのだ。
しばらくして夫が帰って来て、三人で冷めた親子丼を食べた。
自分の帰りを待っていてくれたことが嬉しかったのか、夫も上機嫌だった。
冷めた親子丼を「うまい、うまい」と言いながら食べていた。
夫が風呂に入っている間に、息子が眠りについた。
A子は息子の寝顔を見ながら、心の中で「ありがとう」を唱え始めた。
その言葉の影響なのか、心の底から感謝の気持ちが湧いてきた。
『この子のせいで私は悩まされてると思ってきたけど、この子のおかげで大切なことに気づけた。
本当は、この子に導かれたのかもしれない。』そう思っていると、息子が天使のように見えた。
いつの間にか、涙があふれてきた。(ほんとに今日は、よく泣く日である)
間もなく電話が鳴った。
出てみるとFAXであった。
母の字で次のようなことが書いてあった。
A子へ
今日のことお父さんから聞きました。
お父さん、話しながら泣いていました。
お母さんも嬉しくて涙が出ました。
お父さんは、「70年間生きてきて、今日が一番嬉しい日だ」と言っています。
晩ご飯の時に、いつもお酒を飲むお父さんが、「酒に酔ってしまって、この嬉しい気持ちが味わえんかったらもったいない」と言って、今日はお酒を飲みませんでした。
次は、いつ帰ってきますか。
楽しみにしています。
母より
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「晩酌を欠かしたことがない父が、お酒を飲まなかったなんて。」
自分が伝えた言葉が、父の心をどんなにか幸せな気持ちで満たしたのであろう。
A子の目からは、またもや涙があふれていた。
「どうした?泣いてるのか?」
風呂から出てきた夫が聞いてきた。
A子は、その日起きたことをすべて話した。
朝、B氏に電話をかけたこと。
午前中は、父への恨みつらみを紙に書きなぐったこと。
午後、父に電話して和解したこと。
「そうか、お父さんも泣いてはったか。」
夫も、目に涙を浮かべながら聞いてくれた。
そして、息子がいじめっ子から謝られたこと。
「ふーん、不思議なこともあるもんやな。Bさんのやり方は、俺にはよくわからんけど、おまえも楽になったみたいでよかったな。」
続けてA子は、泣きながら夫に謝った。
そして夫も、泣きながら聞いたのだった。
次の日、A子はB氏に報告して、心からのお礼を伝えた。
朝一番で夫からも電話を入れていたようだ。
B氏「ご主人からも電話もらいました。お役に立てて何よりです。
あなたの勇気と行動力を尊敬します。
さて、これからが大切です。
毎日、お父さまとご主人と息子さんに対して、心の中で『ありがとうございます』という言葉を100回ずつ唱える時間を持って下さい。」
その日の夕方のことである。
「ただいま!」元気な声で息子が帰って来た。
「お母さん、聞いて!今日ね、友達から野球に誘われたんだ!
今から行ってくるから!」
息子はグローブを持って飛び出していった。
A子の目には、またもや涙がにじんでいた。
声が詰まって、「行ってらっしゃい」の一言が言えなかった。
(THE END)Copy Right 2005 Yoshinori Noguchi All Rights Reserved
無名の老人の哲学の深さに脱帽
石垣太郎 (ML「YELL」より許可を得て転載)
MLの中で、アメリカのスーパー・ボール(一年に一回のフットボール全米1位の争奪戦)で、そのハーフ・タイム(休憩時間で毎年選ばれたアメリカの人気歌手が歌い踊る)に、今年は、グロリア・エステファンとスティービー・ワンダーが出演した。盲目でも、このように一流の歌手として生きていけるアメリカという国の素晴らしさをつづったある方のメールへの返信で・・・
スティービー・ワンダー!! 「心の愛」が流行っていたころ、あの音は何で作っているのだろうと興味を持ちました。近所の電気屋さんがマニアで、自分でボコーダーを組み立てていて、マイクを片手に歌うと、スティービー・ワンダーの歌そっくりの機械合成音のような歌声になるのでした。MIDI 規格が制定される以前の話です。
私の祖母も全盲で、30才で失明して以来92才まで、60年間、光を失った生涯を送りました。戦前の農村社会で、妻をかばって激動の時代を生き抜いた祖父も偉かったと思います。おかげで、床に物を置かない、というしつけを徹底されました。常時全盲の人の手助けをすることはできないから、日常生活に不便をきたさないような環境を作れば、全盲でも一人で生活できるから、ということでした。
私が子どもの頃、一度祖母の人生について生意気な論評をしたことがあり、その時は祖父にこっぴどく叱責された記憶があります。「望んで失明したのではない。」「人にはそれぞれ生きる役割がある。ばんちゃんの役割は、お前たちに、生きる勇気を与えることだ。」子どもにも、これはこたえました。わが祖父、無名の老人の哲学の深さに、脱帽です。
心と笑顔のコミュニケーション
Katz (ML「MYLIFE」より許可を得て転載)
数年前、友人の出席した結婚式の話を聞きました。ご両親共耳と言葉が不自由な障害を持った方だそうですが、幼いときから両親の耳となり口となって音のない世界を共に生き、明るく成長された娘さんの話でした。 「耳の不自由な親の子だから、と言わせたくなかった。」というお母さんは夜泣きしてもすぐわかるように娘さんと自分の指を紐で結んで寝たそうです。また、どんなときも笑顔を絶やさず、娘さんを連れてどんどん人の輪の中に入っていったそうです。
式の最後に娘さんが手話でこう語ったそうです。「母さんは、しゃべれない分精一杯できるだけの笑顔で気持ちを伝えようとするでしょ?だから私も一生懸命笑顔で話をするようになったと思う。それがいつのまにか自然になったのね。」お母さんの勇気と努力、わが子を思う愛情。その娘さんも笑顔いっぱいで受け止めていたのでしょう。 いつも親子がいっしょ、行動もいっしょでは子供は自立できません。いっしょにいるかどうかという「形」より、通い合っているかどうかという「心」ですね。
「心豊かな子どもを育てる家庭のあり方」
−心の教育,心のつながりを大切に−以下は、私が参加しているYELLという山形のMLに掲載された『チョットいい話』です。読んでて思わず涙ぐんでしまう 、ステキな話だったので、是非SHにも掲載したいとお願いしたところ、快諾していただきました。(文章は坂本光男先生の9月27日、教育講演会を高橋松五郎さんが、書き起こしたものです。)
(1)
青森県の津軽地方に行ったときに,(講演の後で)一人のお父さんが,なんかしんみりした顔で来ましてね。(この講演でに坂本先生は子どもに安心を与えることの大切さをお話しされています)、「先生よう,俺な,出稼ぎなんだ。11月から5月まで出稼ぎだ。出稼ぎに行っている父親は何をしたら子どもは安心するだろう」って言うんですね。聞かれてみて私はそうかあと思いました。最近は,いろんな事件があったりするから,お父さんもいろいろ考えているんですね。特に単身赴任とかあるいは出稼ぎのお父さんとかはね。「とうちゃん手紙がいいよ」と言ったら、「電話じゃだめか」って。「電話もいいけど,電話はすぐ消えちゃうから,手紙だったら何回でも子どもが読みたいときに,父ちゃんの気持ちに触れられるから手紙を書いて欲しい」って言ったら「いやー,手紙は苦手なんだ」「その父ちゃんが書いてくれたら,なおいいじゃないですか。値打ちがありますよ」「しゃーねーなー」って言いながら別れてきました。
11月から5月まで,あのお父さんどうしてるかなあと思っていたら,6月下旬に便せん12枚の手紙ですよ。分厚い封筒に。ただし,80円切手しか貼っていないので不足料取られましたけどね。でも,私はその12枚の手紙を見ながら,あるところで涙が出たんですよ。お父さんは出稼ぎから「ただいま」って帰ってくる。子どもが二人いるんです。今までだと土産だけもらって自分の部屋に行っちゃってるのに今度は違うんですよね。お父さんの荷物を運んだり片づけたり手伝ってくれる。どうしたのかなあと思って周りを見たら,子どもの机の上にお父さんが書いた,3回出した手紙が置いてある。はだかでね。ああ,俺の手紙読んでくれたんだ。と思って見ていたら,何と2回目の手紙には赤い線が引いてある。どこに赤い線が引いてあったかと言うと,『父ちゃんは朝起きるのも一人,夜寝るのも一人,ご飯を食べるのも一人,さみしいけれども負けないで頑張っている。おまえたちもさびしいだろうけど負けないで頑張ってくれ。父ちゃんは東京の荒川区で働いている。遠いところにいても,父ちゃんの心はおまえたちの背中にいつも目を向けている。父ちゃんが背中についているから安心してがんばれ。』ここに赤い線が引いてあるんですよ。
津軽地方って,みなさんご存知でしょう。雪も多い。吹きっさらしで吹雪の日も多いんですね。子どもはそういうとき,学校へ行くときに,父ちゃんが背中を見てる。父ちゃんが背中についていると思いながら寒さに負けず吹雪に負けず学校に通ったんじゃないですか。そのお父さん,やっぱり手紙は大切だ,忙しくとも手紙は書いてやるべきだった,よかったって書いてあったんです。
(2)
『お母さんより誕生日のプレゼント。お母さんがおまえを生んでいてよかった。母の日にはタンポポとスミレの花束をプレゼントしてくれたね。白髪は取ってくれるし,おつかいにも行ってくれるし,掃除はしてくれるし,先生にほめられたときは,おまえのお母さんでよかったと思うよ。今日が8歳の誕生日。みのり,本当におめでとう』
お母さんがこれを書いて誕生日に,みのりちゃんにプレゼントしたんです。みのりちゃん,しばらく黙って見ていて,顔を上げた瞬間に,「お母さん,ありがとう。私いっぱい勉強するよ」って言ったんです。勉強しろってどこにも書いてないですよ。なんでこの子は勉強する気になったんですか。お母さんが生んでよかった。先生にほめられたときは,おまえのお母さんでよかったと思うよ。(みのりちゃんは)うれしくて,うれしくて,うれしくてたまらなかったから,やるぞっていったときに,小学生でしょ,勉強しようっていう気になったんですね。生んでよかったって言えるのはお母さんしかいませんね。その生んでよかったって言葉が子どもにはうれしいんです。ところが,それを子どもに言ってない人が多いですね。
(3)
自分の家の中学2年の女の子が突っ張っちゃったんですね。髪の毛染めて,口紅つけてネックレスやイヤリングをつけて学校へ行く。標準服も着て来ないものだから,先生からいろいろ注意を受けている。お母さん,どうしたらいいかなあ,どうしたらいいかなあと思って夜7時から9時の講演会に来たんですよ。来た時に今の話聞いたんですよ。そう言えば私は(子どもが)生まれたときうれしかった。今でも育ってよかったって思ってる。でも,話したことがないなあと気がついたんです。家に帰って中2の娘がまだ起きてましたから,いっしょにお風呂に入ろうって入ったんです。娘は入りたくなかったんだけど,ともかく入るんです。「今夜は大事なことを聞いてきたよ。お母さん,思い出したよ。あんたが生まれたとき,やっぱりうれしかったよ。今だって,そういう気持ち持ってるよ。」って言った瞬間です。娘さんは横を向いてお母さんの頬をパシーンってひっぱたいたんですね。お母さん,びっくりしちゃって,「なんで。どうしたの」って言ったんです。「お母さん,なんで,そういうことをもっと早く言ってくれなかったの。お母さん,私に小言を言って,怒って,いやみ言って,注意して。……」(その子は)小学校5年生の時に,お母さんは私を生みたくなかったんだ。私を嫌いなんじゃないかと思って急に落ち込んだですね。それからゲームセンターに行ったり,あるいはいろんなにぎやかな繁華街に行って,タバコをおぼえたり,あるいはハイチューなんかを飲んでみたり,…… 最後はわめくように「なんでもっと早く言ってくれなかったの」ってわんわん泣きながら,二階に上がっちゃったんですね。
お母さん,一晩中悩んだそうです。なんでもっと早く言ってやらなかったんだろう。心に思っているんだから,どうして早く言ってやらなかったんだろう。お母さん一晩中眠れなかったんですね。夜明けの4時か5時くらいに,疲れたからうとうとって寝たんですけど,5時くらいになって,コトコトお勝手の方で音がするので,なんだろうなと思って,お勝手に行ってみたら,娘が手鏡を出して自分の髪の毛を黒く染めているんですよ。「えっ,あんたどうしたの?」って言ったら,「お母さんが,『生んでよかったよ』って言ってくれたから,私も生まれ変わっていい人間になりたいよ」って言ってね。そしてティッシュの中にイヤリングやピアスなどをくるんで,ゴミ箱に捨てちゃったんですね。そして標準服に着替えてカバンを持って出かけて行った。朝ご飯も食べないで学校へ行ったそうですよ。ということは,その子も一晩中寝なかったんじゃないですか。
F A M I L Y
I ran into a stranger as he passed by,
"Oh excuse me please" was my reply.
He said, "Please excuse me too;
I wasn't watching for you."
We were very polite, this stranger and I.
We went on our way and we said goodbye.
But at home a different story is told,
How we treat our loved ones, young and old.
Later that day, cooking the evening meal,
My son stood beside me very still.
When I turned, I nearly knocked him down.
"Move out of the way," I said with a frown.
He walked away, his little heart broken.
I didn't realize how harshly I'd spoken.
While I lay awake in bed,
God's still small voice came to me and said,
"While dealing with a stranger,
common courtesy you use,
but the family you love, you seem to abuse.
Go and look on the kitchen floor,
You'll find some flowers there by the door.
Those are the flowers he brought for you.
He picked them himself: pink, yellow and blue.
He stood very quietly not to spoil the surprise,
you never saw the tears that filled his little eyes."
By this time, I felt very small,
And now my tears began to fall.
I quietly went and knelt by his bed;
"Wake up, little one, wake up," I said.
"Are these the flowers you picked for me?"
He smiled, "I found 'em, out by the tree.
I picked 'em because they're pretty like you.
I knew you'd like 'em, especially the blue."
I said, "Son, I'm very sorry for the way I acted today;
I shouldn't have yelled at you that way."
He said, "Oh, Mom, that's okay.
I love you anyway."
I said, "Son, I love you too,
and I do like the flowers, especially the blue."
FAMILY
Are you aware that if we died tomorrow, the company
that we are working for could easily replace us in
a matter of days.
But the family we left behind will feel the loss
for the rest of their lives.
And come to think of it, we pour ourselves more
into work than into our own family,
an unwise investment indeed,
don't you think?
So what is behind the story?
Do you know what the word FAMILY means?
FAMILY = (F)ATHER (A)ND (M)OTHER (I) (L)OVE (Y)OU
邦訳 by SweetHeart管理人
F A M I L Y
見知らぬ人とぶつかってしまいました。
「どうもすみません」と私は言いました。
その人も「こちらこそ、すみません。あなたに気づきませんでした。」
と言いました。
見知らぬ人も私も、お互いにとても礼儀正しく、私たちは、
さようならと行って、その場を去りました。
でも家庭では別の話です。
私たちは愛する人に、幼き者に年老いた者にどのように接するでしょう。
その日遅く、夕飯を作っている時に、息子が私の横にじっと立っていました。
私は振り返りざまに、息子にぶつかってもう少しで倒してし
まうところでした。「邪魔でしょ。」私はしかめっ面で言いました。
彼は歩み去り、彼の小さな心は傷つきました。
私は自分がどんなにきつい調子で言ったかに気づきませんでした。
ベッドに横たわっていると、神様のささやきが聞こえました。
知らない人と接する時、あなたは礼儀正しいですが、
あなたが愛する家族に対しては、ひどい扱いをしているように見えます。
キッチンの床を見てごらんなさい。
ドアの近くにいくつかの花を見つけることでしょう。
それは、あなたの息子があなたに持ってきた花です。
彼が自分で摘んだのです。ピンク、黄色、ブルー。
彼は、あなたを驚かそうとして、とても静かに立っていたのです。
あなたは彼の小さな瞳に満たされた涙にまったく気づきませんでした。
私は自分をとても小さく感じました。
そして涙が私の頬を伝い落ちました。
私は静かに息子のベッドの傍に行き、ひざまづきました。
「私のかわいい坊や、おきてちょうだい。」と言いました。
「これは、あなたが摘んだ花?」
彼は微笑みながら「ボクが見つけたんだよ。外の木のそばで。」
「ママみたいにきれいだったから摘んだんだ。ママがきっと気に
入ってくれるって思ったから。特に青い花を。」
「ぼうや、今日のママのふるまい、本当にごめんね。あんなふに、
あなたに怒鳴るべきじゃなかったわ。」「ママいんだよ。 I love you anyway.」と息子は言いました。
「ぼうや、ママもあなたを愛しているわ。そして、この花、大好き
よ。特にブルーの花が。」と私は言いました。
FAMILY
もし、明日死んだら、会社は数日の内に変わりを簡単に見つけるこ
とができるでしょう。でも残された家族は、喪失感とともに残りの
人生を過ごすことにな
るでしょう。
考えると、私たちは家族より仕事に献身しますが、それは実に賢明
ではない投資だと思いませんか。そう考えると、この話の言わんと
していることは何だと思いますか。
FAMILYという言葉の意味を知っていますか。
FAMILY = (F)ATHER (A)ND (M)OTHER (I) (L)OVE (Y)OU
SweetHeart・・英文の方は、メールで回っているものですので、
どうぞご自由に転載してください。
Interview with God
神様と対話をする夢を見た。
「私と話がしたいのですか。」
と神様はたずねられた。「もしお時間があるなら」
そう私は答えた。神様は微笑まれた。
「私の時間は永遠です。」
「どんな質問がしたいのですか。」「人間のどんなところに一番驚いていますか。」
神様は答えられた。
「子どもでいることに退屈になって急いで大人になってしまい、再び子どもになりたいと願うこと。」「お金持ちになるために健康を失い、そして健康な身体を取り戻すためにそのお金を失うこと。」
「将来のことを思い煩うあまり、現在のことを忘れてしまい、結局、現在にも将来にも生きていないこと。」
「決して死ぬことがないかのように生き、決して生きていなかったかのように死んでしまうこと。」
神様は私の手を取り、私たちはしばし沈黙した。私は再びたずねた。
「親として、子ども達に学んで欲しい人生の教訓はどんなことでしょうか。」神様は微笑みながら答えられた。
「だれにも愛することを強要できないけれども、愛されているということを素直に受け入れることはできること。」「自分と他人と比べるのはよくないということ。」
「豊かな人とは、最も多くの物を持っている人ではなく、最も物を必要としない人だということ。」
「私たちが愛する人を深く傷つけることには数秒しかかからないけれど、その傷を癒すためには何年もかかるということ。」
「真に人を許すことを学ぶこと。」「心から愛していても、その感情をどのように表現していいか知らない人がいるといういうこと。」
「二人の人間は同じものを見ても違う見方をすることもあるということ。」「他の人から許されることだけでは十分ではなく、自分自身を許さなければならないということ。」
「そして私がいつもここにいるということ。」
I dreamed I had an interview with God.
“So you would like to interview me?”
God asked
“If you have the time” I said.God smiled
“My time is eternity”
“What questions do you have in mind for me?”
“What surprises you most about humankind?...”God answered...
“That they get bored with childhood. They rush to grow up and then long to be children again.”“That they lose their health to make money
and then lose their money to restore their health.”“That by thinking anxiously about the future,
they forget the present, such that they live in neither the present nor the future.”That they live as if they will never die,
and die as if they had never lived.”God’s hand took mine and we were silent for a while
And then I asked...
“As a parent, what are some of life’s lessons
you want your children to learn?”God replied with a smile
“To learn they cannot make anyone love them.
What they can do is let themselves be loved.”“To learn that it is not good to compare themselves to others.”
“To learn that a rich person is not one who has the most, but is one who needs the least.”
“To learn that it only takes a few seconds
to open profound wounds in persons we love,
and it takes many years to heal them.”“To learn to forgive by
practicing forgiveness.”“To learn that there are persons who love them dearly, but simply do not know how to express or show their feelings.”
“To learn that two people can look at the same thing and see it differently.”
“To learn that it is not always enough that they
be forgiven by others. But that they must
forgive themselves.”“And to learn that I am herealways.”