世の中にはおそらく万と言う子育てをテーマとした本が出版されています。子育てを検索しただけでもその数、万を超えます。どうしてそれだけ多くの本が毎月のように出版され、さらにそれらがばんばんと売られて行くのでしょうか。確かに時代の変化というものもありますでしょう。しかし子ども達はそんなに昔から変わっているわけではないのです。特にこどもの年齢が低ければ低いほどこどもはこども、どこの国でも3才児は3才児らしく生きています。
一番の原因はそのような本を読む人達は自分の子育てに自信がなく、何か参考になればと求めているから読むのでしょう。皆さんも思い当たるふしがありませんか。けれども誰もが迷いを持っているのです。子育てほど難しく、簡単なものは無いからです。つまり難しいと思えば難しいですし、簡単と思えば実に簡単なものなのです。昔はすぐ身近なところに子育てを教えてくれる人がいました。両親であったり、親戚のおばさんであったり、近所のおせっかいなおばさんであったり。しかし、今はそういう人が周りにいません。自分から求めていかないと何かひとつの問題にぶつかって、不安でならなくなるのです。そこでマニュアルを求め始めました。
そして本来子どもひとりひとりの個性をみて、しっかりと向き合いながらその子にあった子育てをしてきてもいいはずなのですが、今はそういう子どもを見据えるという観察力が衰えたように思えます。よく、子どもをよく見極めるとはどういう意味?と聞かれますが、それもひとつの表れでしょう。人を観察して、分析するという訓練を私たちは受けていません。これは教育の仕方に問題ありなのでしょう。さらに自分の本能の言っている事、あるいは心が反応している状況に敏感でなくなりいました。感情は子育てにおいて抑えるといったことでしょうが、そうでしょうか?私はけっこう心というものは正直だと思います。子育ての本でなにをいようが、我が子がいやと反応しているし、私もこれはおかしいと思うのならそれに従うべきでしょう。それが、子育ての本はこう書いてあるからとそちらを信じる傾向が強いように思えます。この点においても、本に書かれていることよりも自分の気持ちに正直に従う、自分の力を信じるという姿勢に欠けてしまったのかもしれません。きっと私たちの多くは自分の力に自信を持つように育てられなかったのでしょう。
それでもやはり私達が子育ては難しいとつい口に出してしまうのは子育ては「かくあるべき」というステレオタイプを求めているからだと思います。誰もが子どもをパーフェクトに間違いなく育てたいと望むからです。しかしそのようなステレオタイプに当てはまる子育てなど実際は無いわけです。子どもはマニュアルどおりにはならないし、パーフェクトな子どもなんてしょせん生まれっこないのです。こどもが個々に顔が違うように、個性もさまざまそしてさらに親もさまざまでそのコンビネーションはどの組み合わせもユニークそのものなのです。つまり「わたしたちだけの子育て」が要求されているのです。
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