子どもにつけるレッテルの将来への影響

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子どもの頃は、みんな自分が誰であるかがよくわからないものです。しかし、10代の半ばあたりから、いったい本来の自分は誰なんだろう、どういう人間なんだろう、どういう価値観を持っているのだろうと、自分探しをはじめます。しかし、本当にこれが自分だと、自分のことをよくわかるものはどれだけいるでしょう?皆さんはどうでしたか?当時を振り返ってみてください。自分という人間をわかっているようでいて、まだまだう~ん、どうなんだろう?とどうもつかみどころのない自
分を描いていませんでしたか?それはどうしてでしょう?

私が思うところ、人は、小さいとき、まだ自分がわからないころ、周りの人からさまざまな評価をされてきたと思います。「あなたは、本当に絵が上手よ。」「あなたは、とても積極的でいいわ。」「ゆちゃんって本当にひょうきんよね。」「やさしいのね、さっちゃんは。」「気前がいいわよねありちゃんは。」「頭がいいわよ。ちーちゃんは。」とこのようにポジティブなこともある反面、「あんたは本当におっちょこちょいね。」「まあ、さとるはあくまでも平均人間ね。」「やすしは、頼りないけど、あつしはしっかりしてるわ。」「リサは算数だけは弱いね。」「まりちゃんは、すごいはずかしがりやよね。」とネガティブな自分の部分も言われてきたのではないでしょうか。

よく聞いてみると、このようなことはしょっちゅう、周りから言われてきませんでしたか?そうです。これこそが皆さんにつけられたレッテルなのです。そして、どれだけそれに影響を受け、それを信じて今日の皆さんがいるかということを私は指摘したいのです。たとえそうでなかったとしても、親が言ったから、先生が言ったから、自分が信用していて、自分のことをよく知っている人から言われてたから。だからこそそれが自分だと受け入れていたでしょう。

しかし、実際とどう違いましたか?本当にその人が言ったとおり、自分は恥ずかしがり屋だったでしょうか?算数が本当に苦手だったでしょうか?必ずしもそうではなかったと思います。確かに多少あたっているものもあるとしても、すべてにおいてそうではなかったでしょう。変わっていった自分もあっただろうし、そうでないときづいた自分もあったでしょう。

こわいのはそこです。そのレッテルはなんの意味がなかったり、真実性にかけていたり、でもなおかつ自分はそうであるとしっかり思いこんでそれをベースにした自分を作ってしまっていたこと。

そのため、今、皆さんがお子さんのことについて、言っていることばがいかに将来のその子を形付けるかを立ち止まって考えてから言ってほしいのです。本当に何気なく口走った彼女のこと、彼のことが間違っていれば、それをベースに彼、彼女は自分を作り上げてしまう可能性が大きいと思います。ポジティブがすべていいのでもありません。しかし、ネガティブなことに関しては、今一度、頭で考えてから発してほしいと伝えます。

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