ちょっとやそっとの風には倒れない子どもに育てる

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 人間とはもともとどろどろとした存在だ。つまり生まれてきたときは自分中心で、他の人のことへの配慮などまったくなかったはずだ。だから子どもの最初のことばは、自分を満たしてもらいたいがためにその欲求を満たしてくれる母親を呼ぶ、「ママ」であり、もう少し大きくなれば、子どもは 「わたし!」「ぼく!」「ぼくの!」「かなちゃんの!」というように自分中心にしか考えられない世界からスタートするのだ。そして怖いことに大人になってもまだまだその自分中心な primitive な考えから脱出できない人が大勢いることだ。

それはなぜか?それは成長できる余裕がなかったからではないだろうか。子どもが成長するには親からの十分な愛情の元、安心が不可欠だ。その安心がないと子どもは成長できないのだ。不安な気持ちではその気持ちを落ち着かせることに気がいってしまうだろう。そこには余裕がない。自分を成長させる余裕がないのだ。そのため彼らは自己を成長させることができず、その自己形成にかけた状態から他人への思いやりまで発展できないのだ。

そういう大人は人のうわさばかりをする。人のうわさをすることによって自分へのフォーカスが他人へと向くからだ。自分のことだけを考えていればいいのに、向きあうべき自分が嫌いであったり、問題が多すぎたりすると、そこに目を向けたくないのだ。だから他の人へと向くのだ。そしてたいていその対象となる人物は自分より優れていたり、自分が持っていないものを持っている。だからジェラシーの感情を持つようになる。そして自分が持ってないものを相手が持っていることが面白くないがゆえに相手をいじめ、不幸にすることによって彼らは自己満足をするのだ。それは自分の不幸に彼らを率いることでもある。

彼らは人の幸せを喜ぶことはできない。人が得たものを受け入れることができない。いつも人の幸せをねたみ、彼らの不幸を望むのだ。相手が不幸になれば自分の不幸が見えなくなると思うからだ。この世の中にはそのようなmiserable な感情を抱いている人が大勢いるのだ。そのため、心の健康な子ども達はとかくいじめの対象になるのかもしれない。私達が子どもを育てるときに大切なことは子どもにどんな風が当たってきても倒れないだけの強さを植え付けることだ。それは愛されていることの安心感、自分が受け入れられているという自信。そのようなものなのだ。それさえあれば子どもは少々の風では倒れない。そんな子どもを育てなければならない。 

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