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By 菅原裕子

今週から12回にわたって、コミュニケーションスキル・コンサルタントの菅原裕子さんが親子のコミュニケーション・スキルに関するアドバイスを寄稿くださいます・・・SweetHeart

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《プロフィール》
リーダーシップ、組織開発、コミュニケーションスキル、コーチングのコンサルタントとして述べ3万人以上の研修を全国各地で実施。経営陣から絶大な支持を受ける。また、親や先生に向けた研修「ハートフルコミュニケーション」を開発。最近では各地PTA、地方自治での講演も好評。著書に『聞く技術・伝える技術』(オーエス出版・2001年2月発刊)がある。

文部省認可生涯学習開発財団認定コーチ 労働省認定産業カウンセラー
URL:http//www.heartfulcommunication.com

《ご挨拶》
親として私達には二つの仕事があります。ひとつは自分自身の中に眠る潜在力を開発すること。そしてもうひとつは、子どもの「生きる力」を発芽させ、彼らが自分でいることを誇りに思えるようサポートすること。この時、親と子の両方の「生きる力」が育ちます。
親と子の生きる力を引き出し、日々のコミュニケーションにおいて親がどう子どもを受け止めるかを学べましょう。

 

  1. 親の役割 「自分の役割、間違えていませんか」

  2. ヘルプとサポート 「ヘルプが子どもをだめにし,サポートが子どもを大きく育てる」

  3. 愛すること1 「愛を知らない人は人生を台無しにします」

  4. 愛すること2 「愛を教えるために出来ること」

  5. 責任1 「責任を教えられなかった人は変化におびえます」

  6. 責任2 「責任を教えるために出来ること」

  7. 人の役に立つ喜び1 「人に対するスタンスはこれで決まります」

  8. 人の役に立つ喜び2 「人の役に立つ喜びを教えるために出来ること」

  9. 最高のサポート 「聴くこと」

  10. 聴く技術

  11. 人の話を聴ける子を育てる「伝え方」

  12. 伝える技術

 

第12章(最終章) 伝える技術

親が子どもに言うことを聞かせたいとき、まずそれが誰の都合によるものかをよく考える必要があります。子どもにもっと勉強をして欲しいというあるお母さんに「何のために勉強をして欲しいのですか?」と質問しました。そんな質問をされたことのない彼女は戸惑いながらも、子どもの将来を考えてとか勉強はするものだからと言います。親は子どものためにと言いますが、本当に相手のためを思って言っていることなら、相手に伝わらないはずはありません。「あなたのためを思って・・・」と枕詞をつけなければならないほど。

それは親の都合で、親の問題を解決するために子どもに勉強などの行動を強要しているのではないでしょうか。子どもが勉強してくれて、良い成績をとってくれれば親は安心です。親が求めているのは自分の安心なのかもしれません。それを子どもは敏感に感じとって、なかなか親の言うとおりにしようとはしないのです。

まず本当に伝えなければならないことをはっきりさせましょう。それは親の人生に対する考え方をはっきりさせると言うことに他なりません。それについては別の機会にお伝えするとして、ここでは子育てについての考え方のみに話を絞ります。ただし、それさえも親自身が自分の人生をどう捉えるかに発していることですので、その部分を軽く考えないことです。

私の場合子育てで一番大切にしたことは、前に紹介した「愛すること」「責任」「人の役に立つ喜び」の3つでした。全てがそれに最優先しました。これは基本的な考え方の部分ですが、もうひとつ行動面において子どもを管理したりコーチングしたりする場合のものさしがあります。それは自分や人を傷つけないか、それによって誰かが不利益を蒙らないか、不正を働いていないか等です。それらの基準がはっきりしたら、その基準にそって子どもにメッセージを伝えるよう努めます。

例えば、幼児期の子どもが公園で友達と遊んでいて、おもちゃを取った取られたで揉めて相手に暴力をふるったとします。まず介入して暴力をとめます。感情的に「やめなさい!」と怒鳴ったり、親が暴力を振るったりしないことです。「○○ちゃんが泣いてるよ」「何があってもお母さんはあなたが人をぶつのは好きではないわ」と大切なメッセージを伝えて黙ります。子どもの様子を観察します。「だって、○○ちゃんが・・」と暴力の理由を訴えるかもしれません。もう一度メッセージを伝えてください。あるいは、子ども自身が泣き始めるかもしれません。「いいのよ、お母さん怒っていないから。○○ちゃんにごめんなさい言えるかな」ごめんなさいが言えたら抱いてやってください。そしてすぐに遊ばせます。

普段からこんなふうに親が大切に考えていることをきちんと伝えられれば、子どもはそれを学習します。それ以外の細かいことは、うるさく言わないことです。親が子どもにとってより良い環境になることです。よくない環境に子どもを置いて、良い子になりなさいは無理な要求です。

子どもの勉強についても同じことが言えます。勉強はしなければならないものと子どもに押し付けても子どもはやる気にはなりません。勉強は子どもの興味のあることの延長として、もっと知りたいと言う気持ちを持たせることでしょう。我が家の子どもは生き物が好きです。小学校の2年のとき「イルカの会議」という本を見つけて読みました。動物の生態に関する面白い話を集めた本でした。これはと思い、その本を娘にプレゼントしました。2年生の娘には難しい本でしたが、彼女は夢中になりました。中学生になった彼女は、リチャード・ドーキンの「利己的な遺伝子」やデボラ・キャドバリーの「メス化する自然」など、親が提案することも出来ないほどの本を自分の興味で読んでいます。好きなことに関する興味が、彼女を読書に駆り立てます。ところが彼女は勉強が大嫌いだと言います。それでいいのです。私も嫌いでした。

伝える技術とはかけ離れた内容のような気がするかもしれませんが、伝えるノウハウはその基本となる考え方がないとただ口先だけの言葉に過ぎません。どう言ったら、子どもが思うとおりに動いてくれるかではなく、どう考えどう生きたら子どもがそれを手本にしてくれるかを考えることが全ての基本です。

ハートフルコミュニケーションのホームページ

  <http://www.heartfulcommunication.com>

 

11 人の話を聴ける子を育てる「伝え方」

【人の話しが聞けないのは親の責任】

先生の話が聞けない子供たちの実情をよく聞きます。我が家の娘が5歳のとき、幼稚園の先生からのお便りにも「話が聞けない」と指摘を受けました。小学校高学年まで、時たま注意を受けることがありました。多動症などの生まれつき何らかの要素をもった子は別として、何の障害がないにも関わらず人の話が聞けないというのは、完全にその親の子育ての結果といっても過言ではないでしょう。

私たちが子どもだった頃も、授業中に先生に聞こえないような小声でそっと二言三言話すことはありました。でも今の子供たちのように、堂々と授業妨害になるほどの行為をすることはありませんでした。先生にも問題はあるでしょう。興味を引く授業をやるかどうかは、子供たちを集中させられるかどうかと大きく関係します。ところがかつての先生達が面白い授業をやっていたかというと必ずしもそうとは言えません。子供たちが落ち着いて人の話を聞かない原因の大きな要素は、家庭における親との関係に大きな影響を受けているように感じます。親がどのように子供の話を聞いているか、また、どのように子供に話しているか、といった日常的なことの影響を子どもは受けているのではないかと思われます。

「聞き方」に関しては前にも述べたように「相手が聴いてもらったと感じるように」聞くことを心がけることと、もうひとつ子どもとの対応の中で「どう伝えるか」が非常に大切であることを娘の子育てで学びました。ただ話すのではなく、伝えることの重要性を学びました。つまり、子どもに伝わるように話さなければならないのです。それは「聴かせる」ように伝えるということです。大して重要でもない会話の時はそれほど意識する必要はありませんが、とても大切なこと、子どもの生活態度や必ずやらせないとまた止めさせないと困ることなどを伝える時は、親に側にはそれなりの心構えと技術が必要です。その中でも一番大切な要素が、親の威厳であると私は考えます。連載の最初でお伝えしたように、子どもに愛することを教える時には、親の深い愛情が働きます。そして、責任やけじめを教える時必要なのは、深い愛情から発せられる威厳です。それは「親がそう言うならば、そうしなければならない」と子どもに感じさせる何かです。

先日、友人の家で面白い体験をしました。その家では、我が家の犬と同じ犬種の犬を飼っています。しばらくその犬と遊んだ後、夕食の食卓を囲みました。飼い主家族の食事が終わらないと犬はご飯が貰えません。犬はうるさくほえ始めました。そこで私は「まて!」

と我が家の犬に言うように厳しい声をかけました。犬は静かになります。それを見ていた友人が「すごーい、一言で静かになっちゃった。静かにしなさいなんて、やさしく言ってちゃいけないのね」と感心するのです。犬と人間の子どもを同じにしてはいけないと批判を受けそうですが、娘が小さいころ私は同じやり方を試みました。普段から細かいことをガミガミは言いません。大切なところだけ厳しい声でしかもゆっくりと声をかけます。娘曰く、その声が出たら言うことをきいた方がいいのだそうです。そして言うことをきいてくれたら、やさしく「ありがとう」と声をかけることも忘れません。

【脅しではなく威厳】

ガミガミ言っても、感情的に怒鳴っても子どもは親のいうことをききません。かえって反対の効果を生んでしまうでしょう。それは子どもを制止できない親の恐れから来る脅しに過ぎないのです。犬も子どもも同じです。脅しをかけると歯向かってきます。ところが、威厳を持って厳しく静かに声をかけるとこちらの思いが伝わります。子どもも犬も静かになります。ではその威厳とは何か?それは親の統合された一貫性のある姿です。良いことと悪いことのけじめをはっきりつける態度です。その態度がなかったり、あいまいだったりすると子どもは親の話を聞きません。伝わってくるものがないからです。人の話を聴ける子を育てる「伝え方」、それはまず親の心のあり方から始まります。

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聞く技術・伝える技術

「聞き」上手は、仕事上手。
コミュニケーションが変革をもたらす!

菅原 裕子 (著)

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10 聴く技術

私は人材開発のコンサルタントでありコーチです。顧客のほとんどが企業やビジネスマンですが、ハートフルコーチとして親をコーチングすることもあります。テーマはもちろん子育てです。ある中年の女性のコーチングをしていた時のことです。彼女のコーチングのテーマは、転換期を迎えて人生をそして仕事をどうするかということでした。ところがある日、ちょっといいですか?と話し始めたのが24歳になる長女のことでした。長女はその年に就職したばかりです。約一時間半かけて通勤するストレスと、おまけに配属になった部署が大変忙しく、疲れきって帰ってくる娘は不機嫌で母親ともほとんど口を利かずに寝てしまうというのです。その状態を何とかしてあげることは出来ないだろうかという相談です。「彼女の話は聞いてやっていますか?」の質問に「はい、少しでも会話をしたいと思いなるべく話しかけるようにしています」との答え。しばらく様子を見ましょうと毎週様子を聞いていました。ところが良くなるどころか、彼女の状態はますますひどくなるというので、具体的な会話の内容を尋ねてみました。ある日の娘と母親の会話です。

娘 「ただいま」(小さな声で)

母親「おかえり」

娘 (着替えもせずリビングのソファーに座って)「あー、疲れた」

母親「今日も忙しかったの? 先にお風呂に入る?あなたも大変なところに就職しちゃったわね」

娘 「着替えてくる」

(しばらくして)

母親「体力勝負でしょ。お肉焼いたからたくさん食べて」

娘 「疲れて何だか食欲ない」

母親「そう言わないで。疲れたときは食べて寝るのが一番。仕事に慣れてくればきっと大丈夫よ」

その日娘は、ろくに夕食も取らずに寝てしまったそうです。

何とかならないかという母親に次の二つを提案してみました。まず、母親の意見を言わないこと。そして、娘の言ったことの語尾を繰り返すこと。意見を言わないというのが母親にとってとても難しそうだということと、何よりそれと娘の疲れがどう関係するのかと、納得したがる彼女にとにかくやってみてとお願いしました。その次のコーチングで彼女は「娘のストレスの原因は私だったんですか?」とため息をつきました。聞いてみると、提案された二つのことをやっていたら、仕事の辛いこと、望んでいたのとはまったく違った仕事が苦痛であることなどを娘がぽつぽつ話し始めたそうです。「あれから毎日、とにかく私の意見は言わずに、所々語尾を繰り返しながら聞いています」とのことでした。ストレスの原因は仕事でした。そしてそのストレスは母親によって増幅されたのです。本来軽減を期待できるはずの人によって。

親は聞いているつもりで聞いていないことがほとんどです。自分の意見を語っているのです。私はよく聞いていますという人でさえ、よく観察してみると多くを語っています。「聴く」というのは、相手が聴いてもらったと感じる聞き方をすることです。そして、聴く技術の第一歩は、まず黙ること。親の意見は親自身の人生のために活かしましょう。子供の人生に関わる時は、子供がどう感じているのかをまず受け止めます。ところが親が黙ったら、子供も話さないのではないかと怖れる人がいます。そこで子供の言ったことの語尾を繰り返してみます。その時です。子どもは親によって受け取られたと感じます。受け取られ、理解されたと感じた時人は自分の思いを話し始めます。

「聞く技術伝える技術」オーエス出版 参照

 

9章 最高のサポート

 聴くこと

ある研修に定期的に参加していた中年の女性が、自分の体験におおいに感動して、2日間の研修に娘と息子を誘ってやってきました。二人の子供は二十歳をちょっとすぎたくらいの姉弟で、母親はこの二人とのコミュニケーションを何とかしたいと悩んでいました。特に、息子とのコミュニケーションが問題で、母親はとても悩んでいました。紹介されて挨拶し、姉弟に話しかけました。仕事のこととかのごく一般的な質問をします。すると母親が待ってましたとばかりに私の質問に答えます。続けてほかの質問をすると、また母親が答えます。これじゃ子供たちとのコミュニケーションに問題がないはずはないと、私は内心苦笑し、どうやってこれを伝えようかと思案しました。

 

2日間の研修中にそのチャンスがやってきました。母親の期待や「こうあるべき」という常識的考えを伝える以上に、子供たちが何を求めているかに耳を傾けたことがあるかを私は尋ねました。考え込む彼女に聴くことの重要性を伝え、子供たちには勇気を持って自分の希望を伝えることの重要性を伝えました。それから一年。彼らの生活は大きく変わりました。息子は家を出て、自分自身の生きる場を見つけ活き活きと活躍を始めました。娘はこの間体験した、相手からの一方的な婚約破棄という辛い体験を勇敢に乗り切るまでに成長しました。この全てが、母親が子供たちの想いに謙虚に耳を傾け始めたことからおこったのです。この間、私も彼らと何度か食事を共にしたり、話し合ったりする機会がありました。そのたびに、彼らが本当に心から本音で分かち合っている姿を見て感動を覚えました。子供たちは言います。母親とこんなふうに話し合えること、受け入れられること、耳を傾けてもらえることに幸せを感じるとは思わなかったと。母親が彼らを聴き、理解すればするほどかれらの自立は進みました。理解されていることを知った時、彼らは母親からの愛に執着する必要がなくなったのです。執着がなくなると彼らは自由です。それぞれの人生に自由に漕ぎ出していきました。自分の人生を自由に生きる人には、そこでおこる様々な問題を解決する力が与えられるようです。子供たちが強くなったとその母親は語ります。そして彼女は20年以上も子供たちを聴いてこなかった自分を自戒の念をこめて「本当に楽になりました」と語ります。

 

講演やワークショップなどでよく子どもに関する相談を受けます。落ち着きがない、うそをつく、暴力をふるう、兄弟をいじめる、その内容が何であれ、まず私は「お子さんの気持ちにいつも耳を傾けていますか?お子さんは親に聴いてもらっている、分かってもらっていると言う安心感をもっていますか?」と質問することにしています。人にとって大切なことは「自分が理解されている」という感覚です。乳児から大人にいたるまで、私たちは関心を示され、理解されることを求めます。なぜならそれこそが愛されるということだからです。そして、関心を示される、理解されていると感じる一番の方法が聴いてもらうことなのです。ところが私たち親は、子どもが小さい頃から聴くことより話すことを中心にしてきています。しかもそれは話すというより、あーしなさい、こーしなさいと一方的に指示命令することが多いのです。最高のサポートであり、サポートの基本中の基本「聴くこと」を始めてみませんか。具体的に何をどう聴くかについては次回お伝えします。

 

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第7章 人の役に立つ喜び2

 「人の役に立つ喜びを教えるために出来ること」

「そもそも人は人の役に立つことを喜びとしている」あなたはどう思いますか? あなた自身は人の役に立つことが嬉しいですか? 人の役に立つよう行動を起こそうとしますか? 子どもに人の役に立つ喜びを教えようとする時、親自身がこの質問に対してはっきりとした考えをもっていなければなりません。そして、人は人の役に立つことを喜びとしていることを知らない親には、子どもに人の役に立つ喜びを教えることはできません。 私たちの日々には、人のために働く機会がたくさんあります。 家庭にもその機会はあふれています。家庭を維持するための仕事は全てがそうであるといっても過言ではないかもしれません。

何のために私達は人のために働くのでしょう。 前回にも述べましたが、それが誉められるためとか、かっこいいから、やらないと怒られるからといった動機付けで行動を起こすとき、それらの動機付けには副作用があります。 誉められないとやらない、かっこ悪いことはやらない、怒られないとやらないと言う形で副作用はあらわれます。 つまり副作用は自分が人のために働くことに見返りを求める時にあらわれます。もし私たちが子どもに、人のために働くのは自分の喜びのためであることを教えることができれば、子どもは気負うことなく人の役に立つための行動を起こすようになります。

そのために出来ることは、まず子どもに親の役に立ってもらうことです。 子どもに出来ることはどんどん手伝ってもらってください。 そして子どもが親の役に立ってくれた時、親は子どもを誉めてはいけません。 誉めるという言葉はいろいろな意味で使われますが、ほとんどの場合高い位置にいる人が、目下のものを評価し優れていると認め、よしとした時にその気持ちを表すことを意味します。 そこには評価があるのと、時に親は誉めることを子どもをコントロールする道具として使うことがあるからです。 親は無意識に言っていることでも、子どもは敏感に感じとるものです。つまり、おだてて乗せてまたやらせようという戦略は、子どもに人の役に立つ喜びは教えません。 誉める代わりに感謝します。 「ありがとう」「とても助かった」と子どもの協力がどれほど親に貢献しているかを伝えます。「うれしい」と喜びを伝えるのもいいでしょう。 素直な感謝や喜びの表現は子どもにも真直ぐに伝わり、妙な副作用を起こさないのです。 自分にとって大きな存在の親が自分に感謝している姿を見て、親の役に立つことを喜びと感じるようになります。 そして、その感情がその他の人たちにも向けられていくのです。

「子どもは誉めて育てろ」とよく言いますが、誉めることは叱ることと同じくらい危険であることを私は警告しています。 誉め言葉をニンジンのように目の前にぶら下げられた子どもは、誉められるために一生懸命頑張ります。 ところが親のもとを離れ学校へ行ったり、就職したりした時、先生や上司が必ずしもご褒美としての誉め言葉をくれるとは限りません。 人から誉めてもらうより、もっと大きな喜びをもたらしてくれる確かなものを、子どもの中に育てたいものです。

第6章 人の役に立つ喜び1

人に対するスタンスはこれで決まります

愛すること、責任に続き、子どもに教えたい3つ目のことは人の役に立つ喜びです。私たちがいろいろな行動を起こす動機について考えてみましょう。子どもに何かをさせようとする時、いろいろな動機付けの方法があります。まず、脅かしてやらせることが出来ます。また、子どもはこうするべきであるという価値観を押し付けて従わせるという手もあります。人並みでいたいという欲求に訴えかけることも出来るし、ご褒美で釣る方法や、かっこよさに訴えることも出来ます。ところが問題は、これらのほとんどに副作用があることです。脅かすことが多いと親子の関係がいびつになります。べき論を押し付けると、子どもからいきいきとした活力を奪うことになり、人並みでいたいと思うあまり行動する勇気を失い、ご褒美やかっこよさで釣るとそれがない時にはやらなくなってしまうのです。

その中で唯一副作用がないのが、人の役に立つ喜びから行動を起こすことです。脅かされるのはいやだからとか、ご褒美が貰えるからとか、かっこいいからとか、ほとんどが自分のための行動であるのに対して、人の役に立つ喜びを知っている人は、人の役に立つために行動を起こします。そのことが動機付けになっているのです。人の役に立つ喜びを知っている人は、家庭で、学校で、地域で、どこにいても親切です。つまり「人」というのが自分が役に立てる対象であり、困っている人や援助が必要な人を見かけたら、さりげなく手を差し伸べることに何の問題もないのです。ところが「人」に対してそんな意識をもっていなかったら、困っている人がいても、援助が必要な人がいてもそれすら目に入らないことになってしまいます。人の役に立つ喜びを教えることは、人に対する基本的なスタンスを教えることになります。

電車の中ではお年寄りや体の不自由な人に席を譲ろうと子どもに教えます。ところが世の中にはそれをしない人のいかに多いこと。疲れていてどうしても立てないという人もいると思いますが、多くの場合人の役に立つというあり方を身に付けていないのです。ですからさりげなく席を譲る術を知らず、気にはなっていても立てないという人も多いのではないでしょうか。幼い頃から人の役に立つ喜びを教えることに成功すると、実は電車で席を譲ろうというのも教える必要がありません。人には親切にしようとも、困っている人に手を貸そうとも教える必要はありません。なぜなら人の役に立つ喜びを知っている人にとっては、それらのことは意識して「すること」ではなく、彼らの生き方の一部そのものなのです。

 

第5章 責任2

責任を教えるために出来ること

【責任を肩代わりしない】

責任とは、自分の仕事を引き受けること。幼い頃から自分の仕事を任されて育った子どもは、試行錯誤しながら生きる術を身に付けていきます。それは、自分の身に起こる様々な問題は、自分に解決する力があることを知るプロセスでもあります。あるいは時には、自分の手におえない時には、他の人のサポートを仰ぐことを学ぶプロセスでもあるのです。そして他の人のサポートを仰ぐことも、自分次第であることを学ぶことが出来るのです。自分の人生が自分次第であることを知っているのと、常に他からの助けを期待し、思い通りに助けられないと腹を立て、被害者になる生き方とでは、得られる充実感には大きな違いがあるのです。

子どもに責任を教えるたった一つの方法は、親が彼らの仕事や責任を肩代わりしないことです。例えば、朝起こすことなどがそれです。小学校に行く頃までには、自分で起きる習慣を身に付けるようサポートし、朝一番のその仕事を子どもから奪わないことです。他にも子どもが処理すべき仕事はたくさんあります。忘れ物をしないこと、宿題をすること、親から与えられている家事を片付けること。生活する上で彼らが当然しなければならないことを、自らの手で成し遂げていく時、彼らの中には生きる自信が生まれてきます。

【待つ能力と信じる能力】

ただしこれは親にとってはかなり辛抱が必要なプロセスです。朝は子どもが自分で起きるよう援助し見守るより、親が起こした方がはるかに簡単で確実です。親にとって子どもに何かをさせるより、自分でやってしまった方があらゆる面においてことは簡単に済むのです。それを手出しすることを我慢し、じっと見守り、うまくいかないことはどうしたらうまくいくかを子どもと考え、そして子どもがやる気になるよう対話することは実に辛抱を必要とするプロセスです。この時、親に必要なのは待つ能力と信じる能力です。必ず出来るようになることを信じ、サポートし待ちます。
私は娘が幼い頃から、自分でやりたがることはなるべくその関心に添ってやらせるよう心がけました。関心の芽を摘み取らず育てること、それが責任を教える第一歩です。そして、言葉がある程度話せるようになると、外にいるときも自分の欲求は自分で満たすよう力づけました。
娘がまだ幼稚園に通っている頃にこんなことがありました。友人の結婚式に招待され、ホテルの結婚式場に行ったときの事です。ホテルのロビーには、何十個という色とりどりのヘリュウム入りのひも付き風船が一つにまとめられ、床にその紐の先が固定されています。まるで床から風船の花束が生えているようなきれいで楽しい飾り付けでした。その風船に見とれた娘は目を見張り、しばらくするとどうしてもその風船をひとつ欲しいというのです。「でもあれは人にあげるものじゃなくて飾り物だから貰えないと思うわ」という私の言葉にも納得できず、どうしても貰ってくれといって聞きません。そこで私が「でも、お母さんは風船欲しくないの。欲しいのならあなたがもらってこなきゃ」と言うと、意を決した娘は風船の方に向かって歩いていきます。私はすかさず物陰に隠れました。そっと覗いていると彼女は、ホテルマンに近づきしきりに何か話し掛けています。ホテルマンは彼女に何か言っていますが、私のいるところからはさっぱり聞こえません。しばらくすると、彼は娘の手を取りフロントデスクに向かいます。彼は鋏を取りに行ったようです。娘の手を取り風船のところに行くと、娘にひとつ選ばせて、それを根元から切ると、持ちやすい様紐に工夫をし、娘に渡しました。娘はえらく時間をかけてお礼を言っているようです。言い終わると回れ右をして、意気揚揚と私を探してかけて行ってしまいました。

【母性と父性のバランス】

この時は彼女は欲しいものを手に入れることが出来ました。ところがいつもそうとは限りません。欲しいものが手に入らないこともあるのです。責任を教えるということは、自分が行動した結果にまつわる感情も含めた体験を、受け止める強さを養うことでもあるのです。それは時には子どもにとって痛みを伴うことがあります。そして、その痛みは子どもが幼く、親の胸の中にいるうちに味あわせてやりたい痛みです。親の胸を離れてからでは、その痛みを癒してやることが難しくなるからです。愛することを教えるのは母性、責任を教えるのは父性の仕事です。ただしそれは母あるいは父の仕事ではなく、子どもを育てる全ての人に必要なバランスの取れた親性なのです。
 

第4章 責任1

責任を教えられなかった人は変化におびえます

子どもの自立を援助するために、まず「愛すること」を教えてくださいと前回2回でお伝えしました。55日の夜9時からNHKスペシャル「言葉を覚えたチンパンジー・アイちゃんの子育て日記」母と子のきずな、という番組でチンパンジー・アイの子育てが放映されました。

アイのこまやかな子ども(アユム)に対する愛情が、アユムを賢い子に育てているようです。ただ母親の学習の側にいるだけで、彼は9ヶ月にして、コンピューターを通じて「茶」という文字と茶色を結びつけることが出来ました。感動してしまいました。面白いと思ったのは、アイが付きまとうアユムに、一瞬ヒステリーを起こしたことでした。チンパンジーにも育児に関するイライラはあるのだと妙な感心をしてしまいました。

さて、今回のテーマは責任です。責任の話をする時、私はいつも次の質問を親達にします。「朝、お子さんを起こすご家庭は?」驚くことに参加者の89割が手を上げます。私の次の質問は「朝、学校に遅刻せずに行くために、一定時間に起きるのは誰の仕事ですか?」

誰かが小声で答えます。「子ども・・」 そうです。子どもが朝起きるのは子どもの仕事です。ところが多くの親は、それを自分の仕事と勘違いして、子どもの手から彼らの仕事を奪います。そしてそれは、朝起こすことだけにとどまりません。何を着るか、誰と遊ぶか、何をするか、どう考えるべきか、親は子どもがするべきひとつひとつに口を出し、手を出しヘルプします。身に覚えはありませんか?

人が「物事の道理」というものを覚える覚え方があります。朝7時に起きるべきところ30分遅く起きてしまった。すると彼(彼女)は、ご飯を食べる時間もなく学校へ向かいますが遅刻してしまいます。すると、先生は遅刻しないようにと注意を与え、彼(彼女)はいやな目に会います。友達にからかわれて痛い目に会うかもしれません。人は痛い目に会うと考えます。どうしたら、こんな目に会わずに済むか?そして、翌日は7時に起き、遅刻することなく無事に学校に到着します。そこで内心思います。「これだ!」 

自分で作った原因の当然の結果を体験した時、人は自分の行動を改める知恵を発揮することが出来ます。つまり、うまくいかない原因を変えるのです。ところが、親に起こされた子どもが遅刻すると、彼(彼女)は何て言うでしょう。「お母さんがもっと早く起こしてくれなかったから」自分で起きない子どもにとって、遅刻は親のせいなのです。それは遅刻だけではなく、生活の全てに言えることです。親は子どもの仕事を奪うことで、被害者を育てているのです。

自分の仕事を引き受けること、それが責任です。責任はRESPONSE(反応)ABILITY(能力)という言葉から出来た言葉です。つまり、責任は反応する能力を意味します。自分の身に、あるいは周りで何かが起こった時、その出来事に反応して対処しようとする能力のことです。幼い頃から、自分の問題を任されてきた子どもは、様々な問題を処理する能力を身に付けています。ですから、いろいろな変化に対応する力が備わっているのです。反対に親が必要以上にヘルプしてきた子どもは、自分一人で新しい状況に対応できず被害者になってしまうケースが多いのです。

 

第4章 愛すること2

「愛を教えるために出来ること」

愛することを子どもに教える重要性については前回述べたとおりです。親が子どもに最初に教えることの出来る価値は「愛すること」であると述べましたが、愛することを知っている子どもはそれ以外のどんなことをも無理なく学習することが出来ます。つまり、自分を好きでいられる子どもは、あらゆる面において学習能力の高い子として成長する可能性があるのです。だからこそ、何よりも愛することを最初に教えることが大切です。

愛することをどう教えるか、それが今回のテーマです。それは子どもが生まれるもっと以前から始まっているのかもしれませんが、ここでは生まれてからのことをお話しましょう。

親が最初に子どもに愛することを教えるのは、生理的なことと直結しています。つまり、抱いておっぱいを飲ませ、いごこちを良くしてやり、語りかけ、触れてやること。赤ちゃんの欲求を全て満たしてやる時、赤ちゃんの中には安心感が生まれ、それが親に対する信頼感へと育っていきます。親に対する基本的な信頼が強い子とそうでない子では、自分自身に対する信頼(自信)の違いになって表れてきます。愛することを教えるのは母性による仕事です。それはお母さんの仕事と言う意味ではなく、赤ちゃんの世話をするお父さんの中にも世話をすることで母性が目覚めてきます。残念ながらお父さんにはおっぱいがありませんから、この時期の子育ての主役はお母さんと言うことになるでしょう。ではお父さんの仕事はと聞かれて「お母さんをうんと幸せにしておくことでしょうか」と答えて、お母さんがたから喝采されたことがありました。男性達は苦笑い。

赤ちゃんの成長に伴って愛することを教えることの要素に言葉が加わってきます。子どもが動き回るようになると、親の言葉がけの内容が変わってきます。「ダメ、ダメ!」「何やってるの!」「やめなさい!」こんな否定語が多くなります。そして、そんな言葉には必ず親のイライラが表れています。自分を肯定する言葉の中で育った子どもと、否定する言葉の中で育った子どもでは、その後の人生に大きな違いが現れます。例えば「ダメ」をたくさん言われた子どもの中には「自分はダメだ」という間違った考えが育つことがあります。「自分はダメだ」をいつも意識しているわけではないのですが、その考えが基本にあるとき、全ての決断が「自分はダメだ」に基づいてなされるため、あらゆることに消極的になってしまいます。

これは自己肯定感のまったく反対の自己を否定する感情です。反対に自分を肯定する言葉の中で育った子どもは、無意識の中で「自分はいいぞ」と自分でいることを喜びと感じる傾向を身に付けていきます。そして「自分はダメだ」「自分はいいぞ」という基本的な自己内コミュニケーションに沿った人生を人は実現していきます。つまり、ダメだと思っている人はそういう人生を、いいと思っている人はそういう人生を実際に実現するのです。子どもに愛することを教えようとする時、親は自分の言葉を変革する必要があります。何をやっていないかを言うのではなく、何をやってくれたかを言葉にすることでしょう。そしてしつけをしないことです。何故ならしつけと呼ばれるものは、子どものやっていないことを指摘し、親の思い通りにさせることがほとんどだからです。

講演などで「家の子どもはもう中学生になります。もう遅いでしょうか?」と質問を受けます。人間はいくつになっても遅いということはありません。最近オーエス出版から出版した「聞く技術 伝える技術」の第2章に「自分はダメ」という自己内コミュニケーションを変えて、成績を画期的に変えた少年の話を書きました。そして私の周りには、そんな自己変革にチャレンジする大人達がたくさんいます。全ては自分を愛し、自己内コミュニケーションを変えることです。そして幼いときのほうがそれは容易で、幼いときに自分を愛することを覚えることができれば、それだけ充実した人生を生きる可能性が広がるのです。

でも本当にしつけはしなくていいの?その疑問には次回からの「責任」でお答えしましょう。

第3章  愛すること1

愛を知らない人は人生を台無しにします

私が主催するコーチングワークショップ[ハートフルコミュニケーション]では、「子どもの人生を子どもに任せる」ことを提案しています。それこそがまさに、前2回でお伝えした親の役割であり、親の子どもへの関わりをヘルプからサポートに切り替えることを意味しています。

[ハートフルコミュニケーション]とは親や先生のためのコーチングワークショップで、子供一人一人が本来持つ可能性を最大限に引き出すために、親や先生がいかにコーチとして彼らと接することが出来るかを学ぶためのセッションです。コーチとはマラソンのゴールドメダリスト高橋尚子選手にとっての小出監督のように、選手(子ども)の持つ力を最高に発揮させる存在です。そしてコーチングとは主にそのコミュニケーションのとり方を意味します。

親はその役割のひとつに、コーチとしての役割を持っていて、しかもその役割をうまく果たすことが出来れば、子どもに豊かな人生を贈ることが出来るのです。 コーチとしての役割の中で、人生を豊かにする三つのことを子どもに教えるよう[ハートフルコミュニケーション]では提案しています。その三つとは愛すること、責任、人の役に立つ喜びです。今回は愛することについて述べましょう。

「あなたは自分が好きですか」という質問にあなたはなんと答えますか。「時と場合による」と答える人がいるかもしれませんが、どんな時もどんな場合にも私たちが自分を好きでいられるとしたら、それは人生において最も幸せなことなのです。私たちは人に愛されると幸せを感じます。ところが望んだ相手から受け入れられなかったり、期待したようには認められなかったりした時も、それでもそんな自分が好きでいられたら、それこそが人から愛される以上に大切な愛なのです。つまり自分を愛することを知っている人は、周りがどう思うかとか、どう評価するかに関係なく自分が好きで、そしてそんな自分でいることが嬉しいのです。

いつも自分を好きでいるというのは、成長がないように感じると言う人たちがいます。ところがそれは反対です。自分を好きな人こそが、成長するためのエネルギーをもっているのです。自分を好きでいることは、子どもにとっても大人にとっても生きていく上で一番大切な感情です。親が子どもに最初に教えることの出来る価値は「愛すること」なのです。

次回のテーマは「愛を教えるために出来ること」です。

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第2章  ヘルプとサポート

「ヘルプが子どもをだめにし、サポートが子どもを大きく育てる」

お腹を空かせている人がいたらあなたはどうしますか?魚を釣ってあげますか、魚のつり方を教えてあげますか。魚を釣ってあげるのはとても親切です。相手を空腹から救うことができ、感謝されることは間違いありません。問題はずっと魚を釣ってあげなくてはならないことです。魚のつり方を教えてあげるのはどうでしょう。ちょっと手間がかかります。相手が釣れるようになるのを待たなければなりません。ところが、いったん釣り方を覚えれば、もうあなたはその人の側で魚を釣ってあげる必要はありません。

これはヘルプとサポートの違いを表した話です。魚を釣ってあげるのはヘルプ、魚の釣り方を教えるのはサポートです。

ヘルプは相手を助けてあげることです。相手のためにいろいろやってあげます。ところがこの「相手のため」に落とし穴があって、結果として相手に力がつかないことで最終的には「相手のため」にはならないことです。ヘルプする時の基本的な動機は「相手が出来ないからやってあげる」というものです。ですからヘルプされる人は「出来ない人」として扱われるわけです。

サポートは相手が自分の力で物事を成し遂げるのを見守ることを意味します。余程のことでない限り手を出しません。サポートする側には我慢が必要です。やってやった方がよほどうまくいくし、早くできると言うような時にも待つというのは手間がかかるものです。サポートする時の動機は「自分で出来るから見守ろう」というものです。サポートされる人は「出来る人」として扱われます。

ヘルプの多い親に育てられた子どもは、自分で様々な体験をするチャンスを奪われるだけでなく、指示命令に従って行動することが多いため考える力が育ちません。「出来ない人」として育っていきます。

一方、サポートの中で育った子どもは、自分の力でいろいろなことを乗り越えてきていますから、生きる力を持っています。つまり、「出来る人」として育つわけです。

親の役割は子どもをサポートし、子どもが自分の面倒が見られるよう、また自分の力で様々な問題を解決できるように自立させることです。問題処理能力の高い子どもは、様々な問題に巻き込まれること無く生きていく可能性が高いのです。子どもを自立させる第一歩は、まず親が自分のやっていることがヘルプなのかサポートなのかを気づくことから始まります。   

(オーエス出版「聞く技術 伝える技術」参照)

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菅原さんがテレビは、近日中に朝日ニュースター(CS放送)の「ジャーナル8」という生番組に出演するそうです。詳細はまた追ってお知らせします。

 

 

第1章 親の役割

 親の役割「自分の役割、間違えていませんか」

娘が幼かった頃、娘と同い年の男の子を持つお母さんの家を訪ねたことがあります。まだ、二人とも結婚する前からの知り合いで、長い間音信不通だったのが、ある日同い年の女の子と男の子をそれぞれ連れて公園でばったり再会したのがきっかけで、子どもを連れてその家を訪ねたのです。

しばらくは昔話や共通の友人だった人たちの話で盛り上がっていましたが、次第に私はどうしようもない居心地の悪さを感じ始めていました。それは彼女の、息子に対する接し方でした。彼女は逐一、幼い息子にすべきことを指示します。そしてその息子もまた、しようとする事に関していちいち母親の許可を求めます。彼女はため息混じりに「しっかりしていていいわね」と私の娘を眺めます。「家の子はダメ、片付けも出来ないし」。

男の子はどちらかというとおっとりした感じで、遊んでいても娘に押されぎみです。言葉もあまり達者ではないようで、何かを聞いてもはっきりとした答えが返ってきません。そんな彼の代わりに母親が全て私の質問に答えてくれました。そして、彼女は息子に向かってひっきりなしに「・・しなさい」「それだめよ」と声をかけ続け、世話をやきつづけます。彼女が、自分の役割を誤解していることが私に居心地の悪い思いをさせたのです。

この母親のように、自分の親としての役割を誤解している人がたくさんいます。親の役割は、今日、言うことを聞かせて、あるいは子どもがやるべきことを親が代行して、何とか一日を無事に終えることではありません。子どもが言うべきことは子どもに言わせ、子どもがすべきことは子どもにさせ、どんな小さなことでも子ども自身の決断に任せながら、子どもが自分の未来を創ることを援助するのが親の役割なのです。

ところが、こまごまと子どもの面倒を見てやることが、親の、特に母親の役割であると思っている大人のなんと多いこと。問題はその親切な親の行為が、子どもの将来に暗い影を落とす可能性があることを知らないことです。親と子の人間関係の目的は「子どもの自立」以外の何者でもありません。

(オーエス出版「聞く技術・伝える技術」第1章参照)

文・(有)ワイズコミュニケーション 代表取締役 菅原裕子

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