盲腸で入院!

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なんと先週、急性盲腸炎でお産以外で病気では初入院でした。

火曜日、朝から食欲がなく、夕方頃からいよいよ気持ち悪くなり始めて、夜に嘔吐。昨晩のチキンとツナのBBQのせいか?と思い、早々にベッドに入りました。でも、下腹の痛みで、寝付けず、朝3時頃に日本で買い置きしてあったロキシニンを飲んで、やっと眠ることができました。

翌朝、目覚めると痛みはあるものの、寝込むほどではなし。その日、夫と息子が、1週間の予定でドイツに行く予定だったのですが、旅行をやめてもらうほどでもないと思い、いってらっしゃいと送り出しました。

昼過ぎに、やはり、下腹のうずきはあったので、夜にまた痛くなってもいやだと思い、念のためファミリードクターに電話するも、本日はもう予約が取れないとのこと。仕方なく、近くの予約なしで行けるUrgent Careをネットで見つけて行きました。

幸い、全く混んでいなくて、医師にすぐに見てもらえて、お腹を何度かおした後に、「盲腸かもしれないから、すぐにERに行って。今、紹介状を書くから。」と言われ「え~?それほど痛くないんですけど。ER行かないと駄目ですか?」と聞くと「Nothingということもあるかもしれないけど、そうじゃない場合もあるから、ERに行ってください。僕からも後で病院にフォローアップしますから。」と言われ、そのまま家に帰ろうかと逡巡しつつも、大学病院のERは、そこから5分の場所だったので、しぶしぶ行きました。

そして、チェックイン。もちろん、待てど暮らせど順番は来ない。その日は、また患者が多い日で、看護師さんがCrazy Dayだと行っていました。もう、このまま帰ろうかとも思ったのですが、窓口で既に100ドルを払わされていたので、元を取らなければという気持ちもあって、とどまることにしました。それが午後3時頃。

ちょうど、URGENT CAREから出たところで、夫から電話があって、息子のパスポートの有効期限が1ヶ月しかなく、ドイツに行くには3ヵ月必要ということで、仕方ないから一人で行くからと電話あり。

診察待ちの個室に、すぐに通され、看護師が入れ替わり立ち代り症状を聞いたり、血圧を測ったりして、やっと医師らしき人が現れたのが、午後の8時。

この間、幸い、キンドルだけは持っていたので、どっぷり読書できたので、なんとか時間をやり過ごすことができました。「盲腸かもしれないから、キャットスキャンを取るので、造影剤を飲んでね」と死ぬほどまずい、マックシェークのLLサイズのようなものを渡され、早く帰りたい一心で一気飲み。「飲み終わってから2時間後のキャットスキャンになります。」と言われ、え~ってことは夜の10時かい?たぶん、このペースだと11時もありか!その挙句に、なんでもありませんでしと言われて帰ることになるんだろうな!きっと!と思いつつ、もうまな板の上の鯉。

そして、呼ばれたのが、やっぱりの11時。さー、キャットスキャンに入るぞ!という瞬間に、技師さんに救急連絡で、重症患者が運び込まれたので、その人が先になりますとのことで、部屋の外へ。私と入れ替わりに頭から、血を流した意識のない青年が運び込まれ、またまた待つこと30分あまり。

なんじゃ、かんじゃで待合室に戻ったのが、真夜中過ぎ。そして、1A.M.医者が来て、「やっぱり盲腸でした。このまま入院で、明日朝一番の6時に手術です。」とのこと、私「OMG!!!」

なんにも、持ってきてないし、30分で家に帰って、荷物つめて戻って来ます。I promiss!!」と訴えたのですが、「そうすると、医師の診断に反して、ということになって保険でカバーされなくなる可能性がありますよ。」と言われ、泣く子も黙る恐ろしいアメリカの医療費を思い、即、家に戻る案はギブアップ。

本当に不幸中の幸い!!家に戻っていた息子に電話して、「今から必要なものをテキストするから持ってきて。」ということで、PC、下着、洗顔フォーム、化粧クリーム、メークおとし、などを頼み、息子が来たのが1時半ごろ。

入院部屋に移動するので、待ってくださいねと言われたので、持ってきてもらったPCで「Youはなにしにニッポンへ3時間スペシャル」を見つつ、部屋の準備ができましたといわれたのが、ちょうど3時間見終わった時。つまり朝の4時半。

1時間半後には、手術だなーと思いつつ、うとうとしていて、目が覚めたら、既に8時。看護師さんに「あれ?私の手術の時間過ぎてる?」と聞いたところ、「ちょっと遅れてます。」と言われ、実際に手術したのは11時。

そして、話ははしょりにはしょって、退院は、翌日です!手術翌日の朝8時に、今日退院できるからと言われ、またまた待ちに待って、ようやく退院したのが4時P.M.

そうそう、食事なんですが、手術の2日前は気持ち悪くてほとんど何も食べておらず、おまけに吐いていますからお腹は、からっぽ。1日前は、やっぱり絶食状態。手術当日の夜だけ流動食。(真っ赤なゼリーとスープの上澄み液のようなもの。)そして手術の翌朝は普通食ということで、運ばれてきた朝食はパンケーキ2枚とパンケーキに負けないくらい多きなチョコチップクッキー。

パンケーキを一口食べた途端に、OMGな甘さ!絶食3日の後の食事がこんな血糖値がスカイロケット的に上がる食事でいいのかい!!アメリカの病院は患者を殺す来かい!!と思いつつ、ナースコールで、「すみません。砂糖の入ってない朝食チョイスはありませんか?」とお願いして、持ってきてくれたのが、チェリオとライスクリスピーとスペシャルKの箱とWholeミルクとLow Fatミルク。どれがいい?と聞かれ、うーん、じゃ、スペシャルKとWholeミルクで・・・。

他に驚いたことと言えば、入院中にナースが5人は入れ替わり立ち代り来たのですが、全員、男性!ちょうど去年の今頃、父が日本の病院に入院していて、病院のナースって女性社会、女の園だなーと思っていたので、最近のアメリカの男性ナース率の多さに驚きました。

あと、入院したのは大学病院で医師をトレーニングする場でもあるとのことで、入れ替わり立ち代り入ってくるレジデンスの若い医師たちが、ほとんど白人じゃないこと。インド系、アジア系の圧倒的な多さです。きっと近い将来、この分野はインド系、アジア系に占有されるんだろうなと実感しました。特に、NJ州はそうなのかもしれませんが。

それから、私と相部屋だった人が、なんと300ポンドの巨漢!交通事故だったそうですが、部屋に入ってから、私が退院するまでの間、彼女が飲んだ液体はダイエット・コークのみ!あれだけ、大きい女性をナマで近くでは初めて見ました。まるでディズニー映画のリトルマーメイドに出てくるタコおばさんアースラ。洋服の着替えから下の世話、レントゲン室に連れて行くのも、大きな男性4人がかりで、それでもカーテンの向こうから、男性たちの重量挙げ的な声が聞こえるほどでした。

まー、そんなこんなで、長い私の入院記を最後まで読んでくださった方。ありがとうございます。いったい、いくらの請求書が来るのか恐怖の楽しみです。また、この場でご報告します。

P.S.
手術は腹腔鏡手術なので、回復も早く、それでも1週間は、腹筋がまったく利かず、仰向けにしか寝れずに辛かったですが、今は、ほぼ平常どおりになりました。

「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」 (坪田信貴:著)

面白くて1晩で読みきってしまいました。涙あり笑いあり、とても軽い乗りで書かれているのに深い子育て論あり、教育論あり、人間関係、親子関係まで考えさせられる本でした。

高校2年生で教科書の聖徳太子を見て 「この女の子、超かわいそうじゃね?」 「だって、この子、きっと超デブだったから、こんな名前をつけられたんだよ。『せいとく たこ』 なんて・・・」と言ったり、日本地図を描けと言われれば大きなひとつの円を描いていた学力は全国の最下部2%、小学4年程度の学力という金髪ギャルが、塾の先生(筆者)に導かれながら、精神的にも成長し、最後には壊れかけた家庭もひとつになっていく実話です。(お父さんとお母さんの教育方針の全くの違いも家庭不和の原因でした。)

さやかちゃんという子の頑張りもすごいのですが、やはり名選手の後ろに必ず名コーチありで、人生の絶妙なタイミングで素晴らしいMentor(よき指導者)に出会えることの大切さ幸運さついてもつくづくと考えさせられました。

おととし、キンドルを購入してから、再び、ずいぶん本を読むようになりました。日本語の本は、まだまだキンドル化が遅れていて、それほど豊富でないのが残念ですが、最近読んで面白かった本をいくつか紹介します。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
アルフレッド・アドラーの名前は知っていましたが、彼がフロイト、ユングと並ぶ心理学の三大巨頭だとは知りませんでした。

フロイトが、現在の行動心理を幼い時の経験やトラウマと結びつけるのとは正反対に、多くの人は現在の悩みを、経験や環境のせいにして立ち止まってしまっているが、それは立ち止まるための言い訳を自分に与えてしまっているのに過ぎない。

人生を過去から未来につながら一本の線と思うと、今現在に幸福感を感じる
ことが難しくなる。現在の努力は未来のゴールのためにあると思ってしまうと未来しか見えない。現在のこの苦労は過去の経験や環境のせいだと思ってしまうと、過去しか見えない。

旅の目的地があったとしても、その目的地まで飛行機で1時間でついてしまう方法もあるかもしれないが、旅そのものを楽しむために鈍行列車でその旅の瞬間瞬間を楽しむことが今を生きることであり、「人生は(一本の線ではなく)刹那の連続」である。

などなど、哲学者と青年(できの良い長男と比べられながら育ち、強い劣等感を持ち、現在は図書館司書という平凡なパッとしない人物)の会話という形式で、非常にわかりやすく、アドラー心理学を説明しています。

嫌われる勇気という題名は、ちょっとミスリーディングかと思います。人間関係の悩み、生きがいとは、幸せとはを改めて考えさせてくれます。

Light on Life 
今年亡くなったYOGAの大家アイアンガーの教えの集大成。YOGAをしない人にもお勧めな、知恵がたくさん盛り込まれています。

賢人の教えというのは、共通点が多いもので、上記のアドラー心理学につながる数々の教えがあります。

"Memmory is useless if it brings about a repetition of the past that impedes the process of out evolution. "

"By sorting out wanted from unwanted memory, we allow new experiences to surface."

などなど。日本語訳版は「アイアンガー 心のヨガ―人生に光を灯すためにだと思います。

白蓮れんれん  林真理子
NHKの朝ドラ「花子とアン」で注目を集めた大正時代の歌人白蓮の波乱万丈の人生の物語。白蓮と駆け落ちをして結ばれる年下の恋人宮崎龍介との間に交わされた実際の手紙も数多く引用されています。林真理子さんは、女性ならではの、あるあるな意地悪や嫉妬目線で小説を書くのが上手だといつも思います。日本からアメリカに戻る飛行機の中で一気読みしたのですが、長い飛行時間が短く感じられました。

ゼロ 堀江 貴文

一世風靡したホリエモンと呼ばれた人。彼が自身の人生を振り返って今、何を思うのかを知りたくて、ちょっと覗き見趣味的な気持ちから読んでみました。半年前くらいに読んだので、すでにあまり記憶にないのですが、なかなか面白かったです。


 

干し柿の赤ワン漬け

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kaki.jpg
干し柿は、特に好きなわけじゃなく、年に1つ位なら、なんとなく食べたいかな?でも、食べなくても全然問題なし!くらいな食べ物なのですが、先日、韓国系スーパーに寄ったら、干し柿が山積みにしてあっって8個も入っていたのに、つい買ってしまいました。

家に帰って一個食べて十分満足して、さてあとの7個をどうしよう・・・と思って、クックパッドで検索してみたところ、干し柿の赤ワン漬けというのを見つけました。

ちょうど余っていた赤ワインもあったので、Zipロックに干し柿がひたひたになる位の赤ワインを入れて冷蔵庫で保存すること3日。(写真左側がつけ上がった状態。)

ラムレーズンのように、多分バニラアイスクリームを一緒に食べたらおいしいかも、と思い漬けた干し柿をチョキチョキとキッチンばさみで写真左のように切ってハーゲンダッツのバニラとまぶして食したところ、これがおいしい!!!干し柿が完全におしゃれなデザートに大変身。

もっと赤ワインっぽい味がするのかと思ったら、赤ワインの癖はほとんど抜けていて、アルコール分もあまり感じないほど。そこで、酒好きな私は、ラム酒をちょっぴり垂らしてみたところ、さらにさらにおいしい!!

おためしあれ。

友人の不思議体験

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カナダ在住の日本人の友人が今、REIKIを習っています。彼女の周りで起こる様々な、ちょっと不思議な出来事について報告してくれました。(以下に簡単なREIKIの説明を掲載しました。REIKI=手かざし、なんだか怪しいと日本にいる頃は思っていましたが、アメリカでは、普通にマッサージやエステやヨガスタジオでREIKIもやっている所が多く、一体何なの?と思っていましたが、今回WIKIで読んで、なるほどそうだったのか、と思いました。

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(REIKIとは)Wikiより 

レイキ(靈氣、霊氣、霊気などとも表される)とは、日本発祥の民間療法である臼井靈氣療法が日本国内外で発展し普及した代替医療であり、一種の手当て療法である。国外ではReiki(あるいはRay-Ki)と表される。日本国外に伝わった後に日本に逆輸入された系統を「西洋レイキ」と区別することもある・・・日本国内では実践者が少なくなっていたが、代替医療の受け入れに柔軟な海外の国々で流行し、1980年代のニューエイジブームと共に逆輸入される形で受け入れられ広まった。効果としては生命の活性化をはかり、生体内のエネルギー・バランスを調整するとされている。ただし即効性のあるものではない。リラックス効果は高く、レイキを受けながら入眠すると熟睡しやすい。レイキは手のひらを通じてエネルギーが流れるというものである。西洋レイキにおける基本的な施術のやり方は、受け手が横になり施術者が全身の12ヶ所に順に手をあてていく。終了まで約30分から60分・・・・
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すいーとハートのホームページで紹介されていた、不死鳥のように腰痛による車椅子と肥満の人生から立ち直った男性のYoutubeビデオをみました。

奇跡を起こせたのは、どん底にありながら、自分の身体を健康に戻したいという信念を手のひらの中にぐっと握り締め、心をくじくことが次々と起きても、決して手放さなかったかれの必死の思いだったのでは。
 
このことを機に、手術の診断を受け予約をした後に自然治癒力によって予約がキャンセルになったり、余命長くてあと半年と診断されたけれど、その後の治療を断り、ずっと健康にしている。そんな人たちが、自分の周りに何人もいるということを次々と思い出しました。たとえば、こんなことが、私自身の身の回りで起きています。
 
  3歳の男の子のたまたまに腫瘍ができてしまい、手術で睾丸ごと摘出しなければいけないと言われた母親。手術までの数週間、毎晩1時間、男の子のたまたまを手のひらにそっと包んで、どうぞどうぞ治りますようにと必死に祈った。結果は、腫瘍は消え、手術はキャンセルになった。(妹の知り合い)

 開業したてのマッサージ師のところに、足の親指の具合がひどく悪く、手術の予定があるという男性が来た。聞けば、手術が怖く、本当は受けたくないという。マッサージ師は、「あなたの親指は、手術の必要はありません。どうぞ、毎日、私のところに通ってきてください。私がマッサージで治します。」と、男性に一生懸命に伝えた。男性は、毎日、彼女からマッサージを受け、親指は良くなり、手術はキャンセルされた。 (知り合いのマッサージ師)

 子どものフィギャスケートのコーチをするある女性は、若いころ、練習中に転倒し、ひざが反対側に回るほどの大怪我をした。痛みはひどく、手術が必要だといわれた。その時期に、アフリカから来たサイキックに出会い、手術は絶対にしてはいけないと言われた。手術に対して不安のあった彼女は、自分でリハビリ運動をし、その後、回復し、普通に生活をしている。 (元同僚)


  レイキマスターの家に、彼の知り合いが遊びに来た。話の流れでなんとなくレイキをすることになった。その数日後、奥さんから電話があり、足の手術をする予定だったが、それがキャンセルになったとお礼を言われた。一体、何のことかわからなかったが、実は、奥さんは、1週間後、足の手術の予定が入っていたという。でも、レイキを受けたときには、そのことは、一切、話題には出さなかったという。(信じていなかったのかも)。 (レイキマスターは、私の先生)
 
  数週間後、足の手術が予定されていた女性が、レイキと深い関係のある鞍馬山(源義経が鞍馬天狗に剣術を習ったと言われる山で、ホットスポットとして有名)にどうしても登っておきたいと、痛みをこらえて夫と一緒に登った。その日の夕方、あるレイキ グループのミーティングに参加し、レイキをしてもらった。翌日、足の痛みはなくなり、手術の予定はキャンセルされた。 (私の入っているレイキ グループの仲間)
 
    15歳の息子が、ひざの手術を言い渡された母親。ふと、本棚から息子が生まれる前に買ってみたレイキの本を手に取り、読み出した。すると、息子もその本を読み始め、母親にレイキをして欲しいと頼んできた。母親が試してみると、ひざは治り、手術の予定はキャンセルされた。 (私の入っているレイキ グループの仲間)
 
  当時、70歳だったおばあちゃんは、お腹に大きなガンができ、摘出手術を受けることになった。医師から、手術後は放射線治療と投薬が必要で、それでも余命は長くて6ヶ月だと言われた。元看護婦としてガン病棟で働いていた彼女は、たくさんの友達や親しくなった患者さんたちが、放射線治療や投薬を受けながら、苦しみの果て死んでいくのを数え切れないほど見ていた。彼女は、医師に言った。「手術は受けます。ですが、その後の治療は、一切、受けません。私は、死は恐れてはいません。どうぞベストを尽くして手術をしてください。」 そう宣言する彼女に、同席した家族は泣きながら治療を続けるように頼んだ。だが、彼女は、毅然とした態度で、病院側が提出を要請した「何があっても、すべては自分の責任です」という書類にサインをした。手術後、彼女は自学自習で食事療法を学び、毎日、散歩をすることを心がけた。現在、81歳。医師が、毎回健康診断をするたびに、その良好な検査結果に驚きながら、「長生きします!」と太鼓判を押しているという。  (親友)
 
思い出すと、本人から直接聞いた実例が、まだまだボロボロと出てきます。かかわった人たちは、年季の入ったプロもいますが、初心者プロもいるし、ヒーリングのことをまったく知らない人もいるし、ただ本を読んだだけという人もいます。
 
いったい何がおきているのでしょう?病気をしたり、怪我をしたとき、この話を思い出すと、何かのメッセージがこころに届くかもしれません。。。

ーーーここからは彼女のREIKI日誌ーーーーーーー

「ひざが痛くて痛くて。仕事のせいかしら。」と、同僚ののんちゃん。8時間の立ち仕事の上、重い道具を運ぶポジション。痛くなっても不思議はない。
「どのぐらい痛むの?」
「もう2週間ぐらい。」
 その晩、初めてレイキを遠隔で送りました。

 翌日。
「送ってくれた?! 左足がピリピリして、そのあと、つったような感じになったの。」
「送ってみたわよ。レイキ、本当に効いたんだ。すごいなぁ。。で、治ったの?」
「ううん、ちょっと良くなったような気がするけれど、まだ痛い。」
「じゃあ、もう一度、今晩、送るね。」
 数日後、再会したとき。
「寝てたんで、レイキ、来たかどうだかわからなかったんだけど、朝、起きて歩いていたら、『あら? 痛くないわ』って。試しにね、屈伸運動してみたの。そしたら、ぜんぜん痛くないのよ。」
 そういって、のんちゃんは、目の前で元気に屈伸運動をしてみせてくれた。
 こぼれる笑顔を見ていて、ああ、レイキを習ってよかった。って、こころから思いました。
 
 一週間後、
「のんちゃん、ひざの様子はどう?」
「うん、すっごくいい。」
「良かった。(ほっ!)」
「あのね、お願いがあるんだけど。」
「なあに?」
「頭が良くなるように、レイキ送ってもらえません?」
「えっ? 頭が良くなるって、どういうこと?」
 一瞬、考え込んだのんちゃん、
「とにかく頭が良くなりたいの。だから、レイキ、送ってください。お願いします。」
「そう言われても。。。」
 のんちゃんの真剣顔に圧倒されて、それ以上、質問もできず、とにかく送ってみると返事をしてしまいました。

 その夜。
「頭を良くすると言われてもねぇ。のんちゃん、今でも一目置くほどに頭がいいのに、なんでそんなリクエストをしたんだろう。何かあったのかな。とりあえず、送ってみましょう。」
 この、とりあえずが、よろしくなかったらしい。
 翌日、のんちゃんに会ったとき、何も言ってこなかった。なので、あえて私も何も聞かないことに。。。
(私用メモ) この件については、「経過、結果、わからずのレイキ事例リスト」に追加。
 
 
さらに数日後。
「マジェンダさん、もう一回、お願いしていい?」
「うん、どうしたの?」
「腰、お願いします。」

 のんちゃんの腰痛については、半年前に初対面してすぐに聞いていました。マッサージの仕事を副業していて、施術中は腰にベルトを巻いていないと、仕事後、腰ががたがたになってしまうほどひどいそうです。なぜそのことを知っているのに、レイキをしてあげようと言わなかったのかというと、
「いくらレイキをしても、生活や考え方を変えなければ、一時的に治っても、また元に戻ってしまう」と聞いていたからです。

 のんちゃんにレイキをしても、マッサージの仕事を続ける限り、レイキが効を発するとは思えない。のんちゃんが腰痛を訴えるたびに、こころの中で繰り返し自分に言い聞かせていました。
 でも、きょうは、ご本人からの切実な依頼ということで、その晩、レイキ。
 数日後、遠くにいたのんちゃんが、私を見て、飛んできました。
「すごいわ! すごいわ! ねえねえ、見て見て!」
 そう言って、腰に両手を当てて、ぐるぐる回し始めました。
「いつも朝、ベッドから降りるとき、アイタタタ!ってなるの。でも、今朝、起きたとき、あ、痛くない!って思って、ほら、今も、ぜんぜん痛くないの。」
 自信をもってぐるぐる腰回しを続けるのんちゃんの笑顔が止まらない。

 症状が改善するかどうかは、本人の自然治癒力次第なんだ。私が、最初から、治らないって決め付けていたのは、間違いだったんだ。のんちゃんから教わった、大事なレイキの基本でした。

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※代替医療はあくまでも自己責任と判断のもとにご利用ください。

映画レ・ミゼラブル

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kakumei.jpgいま、映画レ・ミゼラブルを見終わったのですが、久々に感動の涙を流しました。最近のハリウッド映画は、カーチェース、暴力シーン、必要以上の性的描写が多く食傷気味だったのですが、レ・ミゼラブルは豪華絢爛なハリウッド映画と本場NYのミュージカルの醍醐味を見事に合体させた素晴らしいできだと思いました。

ミュージカルの方は数年前に見て、それはそれで感動したのですが、その時に把握しきれなかった各登場人物の心の動きが映画の方が、ずっとよく理解でき(ミュージカルも映画も構成や歌はほとんど同じなのですが、多分それぞれの俳優の表情がアップにされることと、ヒュージャックマンを始めとする俳優女優陣の演技と歌のうまさ、映画ならではの作り込んだリアリティーのある場面のために感情移入がしやすいからかもしれません。)

唯一、難を言うなら、最後まで執拗にジャンバルジャンを追い詰めるジャベール役のラッセル・クローが、全くはまり役ではなかったことと、彼の演技が今一つだったことです。

P.S.革命家の俳優さんが可愛かった!(写真)。

Never, Ever Give Up

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説明は要りません。見てください。

私が初めてヨガに出会ったのは20代前半。先輩がヨガの先生で、彼女の自宅スタジオに1週間に1度、1年くらい通っていました。でも、別に特に得ることもなく、その後の人生でも、気が向くとストレッチ感覚でジムでやっているクラスに参加する程度でした。

でも3年ほど前に、なんとなく「またヨガでもやってみるか。どうせやるなら、本格的に・・」と思い、検索してみたところ、歩いて2分のご近所さんがヨガを自宅で教えているのを発見。これまで、15年以上ご近所さんだったのに、まったく面識のない方だったのすが、1度目のレッスンから彼女の教えるヨガにほれ込んでしまいました。

彼女は現在60才。でも、彼女の取るポーズはとても美しく、こんな風になりたい!と思いました。

以下のビデオは、なんと現在93才のヨガの先生の動画です。「人生はシャンパンを飲むようなもの」「学ぶことがたくさんあり過ぎて人生の時間が足りない」などなど素敵なことをたくさん言ってます。

ところで、去年日本に行った時に受講したヨガの先生が87才でした!このYoutubeの先生にまったく負けないどころか、もっと若々しくて声に張りがあり、肌もぴちぴち、体も柔軟、ふくよかで、笑顔が美しい方でした。こんな風に年を重ねられたらいいなーとつくづく思ったのでした。

ご年配の方の話題ついでに、以下は102才の日野原重明先生のFace Bookに毎日ひとつアップされているインスピレーションです。

★健康法を探すより日々に張り合いや目標を見つけましょう。
★生きている限り自分で自分を育てていかなければなりません。

100才過ぎてFacebookを始めた先生、すごいですよね。末席ながら私の母も人生ずっと金槌だったのが60才で水泳を始めて泳ぎをマスターし、70過ぎてからPCを始めて、今では趣味の折り紙教室では最高齢にも関わらず会計担当でエクセルを使いこなしています。人間やればできるんですよね。

今年も年が明けて、あっと言う間に、なんと1か月が過ぎて、もう2月です。日野原先生は、毎年ひとつ何か新しいことを始めるそうですが、私は今年の年初めに目標を立てそこなってしまったので、一つ何か考えてみようと思います。

gadget1.jpg
今日、買ってきた2点。優れものです。最初の写真は
Chef'n Twist'n Peel Garlic Peeler
ガーリック片を入れて蓋をしてくるっと回すとガーリックの皮がきれいに剥けます。半信半疑でやってみたら、感動の向け具合でした。

キッチン・ガジェットの店で買ったのですが、今Amazonで見たら、3ドル安かったです。一緒に同じものを買った友達も、これはいいとのレビューです。

もう一つはJoseph Joseph Garlic crusher。普通のガーリック・クラッシャーは、にんにくを潰した後、中にこびりついて洗うのが大変ですが、これは、簡単に洗えるし、複数のガーリック・クローブを短時間で潰すことができます。

gadget2.jpg使い方は、まな板ににんにくを置いて、このクラッシャーを上からギュッと押し付けるだけです。すると皿状の凹んだ部分に潰したガーリックが出てくるので、スプーンでこそげで使います。

やはり一緒に購入した友人いわく、こちらは、「潰すのに力が要る」とのことでした。確かに、まな板の上ににんにくを置いて、上から思いっきりぐっと体重をかけてやる必要はありますが、結構、腕力に自信のある私には楽勝です。





子供たちが大きくなるにしたがってスポーツや友達との付き合いで、食事の時間がバラバラになってしまうことも増えてきました。でも、どんな時間でも、ただチンするだけでも一応温めてあげて、こどもが食べている間は、一緒に座ってお茶を飲みながら、今日あったことなどを聞いたりします。(と言っても子供たちは早食いなので5分ほどで終わってしまうのですが。)

それは短い間でも私が大切にしている時間ですが、夫から見ると私が子供を甘やかしているように見えるようです。

でも、私にしてみると半分は意識的にしていますが、あとの半分は自分お母がそうしてくれたことを、ただ当たり前だと思ってやってきました。

子供たちのアメリカ人の友達の話を聞くと、ほとんどの子は、土日を除くと毎日お母さんがちゃんとした食事を作ることが、あまりないようで、毎晩コンビニのサンドイッチという子もいました。必ずしもお母さんが働いていて時間がないというわけではなく、スポーツ観戦などは熱心に夕飯時だろうとなんだろうと、何時間でも見ているお母さんたちです。

アメリカ人のお母さんたちは、子供たちへの愛情表現はとてもダイレクトだけれど、だからと言って子供に暖かい食事を作ってあげるのはまた別の次元のようです。だからアメリカでは、子供のランチと言えばピーナッツバター&ジェリーで、手間暇かけて"愛情"弁当などというものは、存在しないんだろうなと思います。

でも日本人にとっては(もちろん全員ではなく一般論として)、たとえハグやキスがなくても食事がひとつの大切な愛情表現なのではと、なんとなく以前から考えていたのですが、1年ほど前NHKで放送された日系アメリカ人として初のアメリカ閣僚となったノーマン・ミネタ氏の半生をドキュメントした「渡辺謙 アメリカを行く "9・11テロに立ち向かった日系人"」という番組の中の、ミネタ氏の言葉に、やっぱりそうか!と思う一言がありました。

ミネタ氏は第二次世界大戦中、日本人収容所に入れられていた経験を持ちます。ミネタ氏がその時の過酷な体験を思い出しながら語っていたことなのですが、「日本人の家族というのは言葉でコミュニケーションはあまりしないが、一家団欒で一つの食卓を家族で囲んで食べることでアウンの呼吸のようなもので家族同士の心を通わせている。けれど、収容所では毎日大きな食堂で収容者全員で食事をとらされていたので、家族としてのプライバシーはなく、一家団欒の場が失われてしまった。それが日本人の家族の繋がりに大変影響を及ぼし、困難なできごとだった。」というような内容でした。

terau.jpg確かに日本のホームドラマでは、一つの食卓を囲んでコミュニケーションを取ってる風景が非常に多いですよね。その昔なら寺内貫太郎一家。いつも食事風景でした。去年放映された「梅ちゃん先生」でも、主演の堀北真紀ちゃんが、食事のシーンが多い日は、お腹がいっぱいになって大変だったとインタビューで答えていました。私の中にも、無意識の内に、そんな食事文化が浸透していたんだと改めて思いました。

ちなみに、ノーマンミネタ氏は911が起きた際に運輸長官を務めており、テロ直後、米国史上初めて民間航空機をすべて緊急着陸をさせています。また、その後、民間人が旅客機に搭乗する際の検査をイスラム系に対して厳しくしようとする社会の動き「人種プロファイル racial profiling」に対して、ミネタ氏は戦時中、日系人という人種によって選別され収容所に入れら、アジア系ということで差別された苦い経験から、同じような過ちを二度と繰り返してはならないとして、断固、人種や肌の色、国籍、宗教による区別に異を唱え、違法化しました。

今まで、飛行機に乗る度に、なんで明らかにテロリストじゃなさそうな人たちまでチェックされるんだ!効率悪い!と思っていたのですが、実は、その裏には、日系人の苦しい過去の経験があったのだと知り、納得できるようになりました。

ところで、もうすぐまた日系人の人権回復に寄与した一人Fred Korematsu氏の記念日です。

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