気分は「お嬢さん」以上「大人」未満

読売新聞の中の鈴木美潮さん(民法のアナウンサーさん?)のdonnnaというブログは私が定期的にチェックしている唯一のブログです。
http://www.yomiuri.co.jp/donna/do_070615.htm
特に6月15日の『気分は「お嬢さん」以上「大人」未満』という日記には同世代として、とっても考えさせられました。つまりこの世代、女子大生ーブーム→バブリーなOL時代を経て、いまだにJJの延長(お嬢様風雑誌の延長)の雑誌を読み、「おばさん」「年をとった」という自覚に乏しいというのです。

確かに、そうだなーと思いました。私も、なんとなく精神年齢的には30代そこそこで止まった感覚があります。

数年前に日本で待ち合わせ場所にやってきた友人(40代、独身)が、開口一番「さっき電車を待っていたら、『奥さん、この電車は○○に行きますか?』」って聞かれたんだけど「奥さん」なんて呼ばれてショックだった〜。私って、そういう年齢だったんだー。」と言うのです。

まさか「お嬢さん」と呼ばれるとは期待していなかったとは思いますが、特に、独身で子どもがいないと、その辺の他人から判断して呼ばれる一般呼称の変化で、初めて自分の年を感じてショックを受けるということはあるだろうな、と思いました。

私の場合、どんな時に実年齢を感じるかと言うと、自分が若い時にアイドルだった芸能人を20数年ぶりにテレビやビデオで見て、「うわ、老けたなー。」と思う時、そう言いえば自分も同じような年齢じゃない、と思う時です。でも心のどこかでは浦島太郎のように自分だけは年を取ってなくて、回りの人が全員20年タイムトラベルして老けてしまったと思っていたりするんですよね。海外に長く住んでいると、特にこの感覚は強くなると感じています。

上記、Donnaの日記の最後には、こんな素朴な疑問が書いてありました。「不老長寿と言う言葉があるくらいですから、若くいられることは、もちろん幸せなのだとは思いますが、一方、人間の寿命自体は、そう飛躍的にのびるものでなし。このまま「若さ」の延長上にいることは、果たして本当に幸せなのか、とか、あるいは、いつまでもこんな「幸せ」が続くはずないよなあ、とか、ひばりさんの歌を聴きながら、もろもろ考えてしまうのでした。」

最近の義理の父を見ていての私の答えは「若さの延長上にいようとすると幸せではない。」です。義父は、現在70代ですが若い時は、それはそれはハンサムでした。(写真を見ると。左上のページは義父母の結婚式の時の写真)大学時代はバスケの選手でマイアミ・ビーチでライフガードをして、King of the beach!女の子にもてまくっていたそうです。

その義父も寄る年波には勝てず、容色の衰えは隠しようもないのですが、義父はそれをどうしても受け入れられないようなのです。髪などは、まだまだフサフサしているのに、一本抜けたと言っては嘆きまくり落ち込んでいます。特に、日本以上に若くあることに大きな価値感を置くアメリカ文化においては、自分の実年齢と容色の衰えに向き合い受け入れることは、とても難しく、うまく自分の心の中で折り合いがつけられない場合は、実際の不幸感にさえつながっているように思うのです。

最近、一年の経つのが坂を転げるように、どころか、垂直の崖を落っこちるように早く感じるのですが、義父を見ながら、自分自身、どうやって淡々と年を取っていけるのかと考えさせられています。

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