あるモデルさんのサイトで「病気にならない人は知っている」という、とてもキャッチーな題名の本を紹介していたので(以前、紹介した新谷先生の「病気にならない生き方」の二番煎じ的な題名ですが・・・)日本のAmazonサイトでReviewをチェックしてみました。
27件のReviewで4つ星で、かなりよさそうな感じです。著者はアメリカ人だったので、じゃ原文の方が安いからアメリカAmazonで買おうかとチェックしてみると、え?26件のReviewで星はたったの2個半!!
この違いは何?
この本の著者は、そもそも医者じゃないそうなのですが、彼の提唱する健康法はたとえば、、「メーカー品を食べない」、「養殖魚、豚肉、貝を食べない」、「蛍光灯は使わない」「水道水は飲まない」などなど、かなりの健康おたく的な内容です。
日本のReviewを読むと「信頼出来る本だと直感と経験で判断しました。」とか「目から鱗」とか「ロジカルでないけど信じたくなる」という意見が多いのですが、対するアメリカのReviewは、「論理的じゃないから信じられない」という意見が圧倒的です。
およそ同じ数のReviewがついていて、これだけ格差があるのは、国民性が出ていて実に面白いと思いました。
一般にアメリカ人は論理的思考を重んじ医学的、科学的に実証されていないこと、白黒はっきりしていないことはまず疑ってかかり、日本人は学問的に証明されていないこと、グレーゾーンの事柄でも、それなりの理由を提示されると納得してしまう。
日本人のこの特質は決して悪いことばかりではないけれども、裏目に出ると、非常に乗せられやすく、集団狂気でパニックに陥りやすく危険だと思います。
たとえばTV番組に乗せられて、全国で「あるある納豆騒ぎ」が起こる・・・古くは平成米騒動、さらに古くはトイレットペーパ騒動など、正に日本人的だと思います。
ちなみに騒ぎの元凶となった納豆の食べ方の守らなければならない黄金法則3つ。
1:納豆は2パック食べる。
2:朝・晩の2回に分けて食べる。
3:よくかき混ぜて、20分間以上放置してから食べる。
1,2は、まだ良いとして3はどう考えても、論理的じゃありません。これを信じて全国で多くの人が納豆を必死にかき混ぜて20分放置していたと思うと・・・悪いけど笑えます。
というわけで、お勧めの本というテーマからは完全に逸れてしまいました。すみません。とりあえず、この本は、Reviewが最低ではあるけれどもNatural Curesという名前でベストセラーになったそうです。買おうか買うまいか迷うところです。
「確かに!」と膝を打ちました。
半年前、約4年振りに帰国して、自分の変化に驚いたことの一つが、新聞(日本経済)の沢山の記事に対して、『ホンマカイナァ〜』と感じることでした。
例えば、「子育てと仕事を両立する女性は、子供の看病に伴う欠勤などの理解を得る為に、子供のいない同僚に、日頃から自分の子供の話をして親しみを感じててもらう等の工夫が必要」という特集記事を読んだ時。『そんな話、楽しいと思う人、いる?』と疑問。
最近では、「子供たちが、知識が乏しい友達のことを指して、『お前、さては、”ゆとり”だな』と表現する。」という記事を読んだ時。『笑えるけど、出来すぎてる。大人(編集者)が作った話では?』と疑問。
日経新聞は、日本の新聞の中では一番、左にも右にも振れていなくて読みやすいと以前は感じていて、内容に強い疑問を持った記憶はあまりなく、4年振りの自分の変化に驚いています。私の英語力では英字新聞を読むのは億劫で、新聞なし(情報なし)の生活を滞米中は憂いていたのですが・・・。4年間の米国生活体験を経て、自分の中に大きな変化があったようです。無意識のうちに『だまされへんで!』とたえず緊張(訓練)していたのかも、とも思います。
(ちなみに、私は関西弁を話しませんが、上記二つの心の中のつぶやきは何故か、関西弁がぴったりなので使いました。)
悪い言葉や暴力?が横行する(許される)日本の幼稚園にギャップを感じてとまどっていた私に、先生方が口を揃えて、「日本はまだまだ平和ですから。アメリカなどでは、平和を維持する為にマナーやルールをきっちり決めて守る必要があるのでしょうけれど・・・。」とおっしゃって、それには一理あるなと思った私でした。平和ボケの一面といえるかもしれませんが。
数年後、同新聞を読んで「ふむふむ」と頷くばかりの”素直な?自分”に気付く日が来るでしょうか。興味深いところです。
関西人じゃないのに「ほんまかいな〜」と合いの手を入れてしまう。わかります(笑)私もそうです。
私も疑わないにしても鵜呑みにはしない姿勢とういのはアメリカで身に着けたように思います。
人がパニックに陥る場合、多くは間違った情報を鵜呑みにした人が、それを別の人に伝えて、最終的には集団パニックになるので、まずは何かの情報が入ってきたら、それは本当だろうか?と疑ってみることが大切だと読んだことがあります。