中学生にして、ある日突然ホームレスになってしまった麒麟という日本の若手お笑いコンビの一人、田村裕さんの自叙伝です。
惜しみない愛情をそそいでくれた母親は癌で他界、父親は失業、破産。ある日、いつもどおり学校から家に戻ると家は抵当に入っており、父親は失踪。途方に暮れるままに近くの公園の滑り台で寝泊りするようになります。公園で洗濯をし、顔を洗い、自販機の下の小銭を拾ったり、ハトの餌のパンくずを拾い、ダンボールや雑草を食べながら、誰にも気づかれずに学校に通い続けます。
読み終えて、ふと「誰も知らない」という映画を思い出しました(主演の14歳の少年が史上最年少でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したことで話題になった作品)。
母親が失踪し、取り残された幼い5人の子ども達が誰にも気づかれずに長期間、小さなアパートで暮らしていたという実話に基づいた映画です。
このように社会にの小さなひずみから、こぼれ落ちてしまい、そのまま誰にも気づいてもらえない子ども達というのが日本の社会にも案外多数いるのかもしれません。
田村少年は、やがて友達の家族に救われ高校にも通い、極貧生活ながらも、良い出会いに恵まれ、漫才師の道を歩むことになります。
苦境の半生の中で(お笑いの人だけあって、辛い体験を全て笑いに変えていて、本の流れは終始一貫して明るいです。)、彼が常に思っていたことが「天国にいるお母さんが、他人から笑われないような立派な人間になりたい」ということでした。たとえば、飢えた田村少年が、コンビ二で目の前のパンを万引きしたいという衝動から踏みとどまらせたのも母への思いでした。
母親の愛というのは、たとえ身は滅びても愛は子どもの心に残り、その後の人生を支えることもあるのだと思いました。