新年明けましておめでとうございます。二〇〇九年今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今回は新年にふさわしいインスピレーションに富んだ友人のエッセイを掲載します。
かつてSweetHeartの会報版を一緒に立ち上げた久保淑子さんから届いたエッセイです。久保さんはシングルマザー。ホームスクールで育てているお嬢さん二人を連れて数年前にカナダのバンクーバーで暮らし始めました。そして、彼の地で出会った男性と結婚。
そんな実行派で怖いもの知らずの彼女が最近、「この人に付いて行こう」と思える79歳のフラワーデザイナーのお師匠さんに出会いました。(ちなみに久保さんは花の経験はゼロ。)
「淑子さん。美しくおなりなさい。」
「貧しくても心はいつも貴族でいなさい。」
という数々の名言を口にする波乱万丈な人生を送った魅力的なお師匠様との出会いのお話です。
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お師匠様はフラワーデザイナー
<韓国人の同僚の家を訪問>
8月の誕生日で1世紀の半分の折り返し地点に立ちました。2月から働き始めたお土産屋さんが9月末に店じまいとなったことから、仕事探しを始めました。そのときに思ったのが、これからの人生、美しいことにかかわる仕事をしたい!候補は、絵画、花、写真~。でも何をどう始めたらいいのか見当もつかない。どうしよう??
そんなある日、同僚の韓国人主婦が、「来月、韓国に帰国するのでマンションを売るから遊びに来てね。」と誘ってくれました。出会ってからまだ数度、でも、肝っ玉母さんみたいでとても気さくな彼女だったので、帰国すると聞いてショック。でも気を取り直して彼女の家へ行きました。すると、「実は、母が一軒家に住んでいるんだけど、そこも売りに出しているの。見に行きませんか?」と再度のお誘い。行けば、そこは山の上の高級住宅地。79歳のお母さんは、日本なら4階建てに匹敵する居間の中にバルコニーがある大邸宅にたった一人で住んでいました。
内装も調度品も極上品で、家のあちこちにスケールの大きな花が飾られていました。聞けば、フラワーデザイナーとのこと。
子ども時代に韓国で日本人学校に通っていたことから、日本語が話せるお母さんは、こう話してくれました。
「もしフラワーデザインを習いたければ教えてあげましょうただし、私も本気で教えるので厳しいですよ。私の弟子達は頭痛薬を飲みながら習っていたぐらいです。」
フラワーデザインは面白そうですが、薬が必要と聞いて、なら受けたくないと思いました。でも、同僚にお試しレッスンを勧められ、その後、長女と、同僚の若い日本人の女の子を誘ってコサージュ作りに参加あしました。
コサージュ作りは初体験で面白かったですでも、なぜか韓国の歴史や政治についてかなり重々しく、かつ何度も繰り返し同じ話を聞かされ、全員、当惑。それで、誰もが今回これっきりで終わりと思っていました。ところが、思い込みの強いお母さん=先生は、
「お花の好きな人なら、フラワーデザイナーになれます。私はこれからあなたたちを立派なフラワーデザイナーに育てます!」
長女は、さっさと降りてしまいましたが、優柔不断な私と、お花に興味のあった同僚は、そのあと続けることになってしまいました。
<優雅な少女時代、苛酷な18歳時代、その後の遍歴>
先生は、百済の貴族の大富豪家で誕生。百済は、その昔、韓国の芸術の中心地で、日本にもたくさんの技術者が来て大きな影響を与えたそうです。
小学校の頃のニックネームは、座布団。彼女が椅子に座ろうとする度に、お抱え座布団係が飛んで来て、さっとお尻と椅子の間に座布団を差し入れたからだそうです。
第二次世界大戦前の韓国は貧しく、靴もない、お弁当もない子ども達の間で、毎日、お弁当持参の彼女は、ひどいいじめにあい、学校へ行くのが辛かったとのこと。
18歳の時、大金を積んでアメリカ留学に行く予定でしたが、(当時の韓国では異例のケース)あと一ヶ月というときに、国内でクーデターが発生。真夜中、寝ていると、突然、部屋に男たちが乱入し、牢屋に連れて行かれ、コンクリートの上に正座させられ、殴られ、監禁されてしまいます。その後、建国の父である大統領の写真を脚で踏みつけるように命令され、果敢にも拒否。すると、海岸へ連れ出され、喉元に銃を突きつけられます。
「私たちの国を作った父をあざむくことはできません。どうぞ殺してください。」
幸いにも難を逃れますが、その後、何年も山の中に隠れ住む苛酷な時を過ごします。
何年かたち、やっと日の当たる生活が送れるようになり、韓国ではトップの大学の政治学科に入学。そして結婚。相手は、大物政治家で、国会の議長で次期大統領との声もありました。ところが、またクーデターが発生。夫は東国sあれ、大富豪だった彼女は、一夜にして平民の生活に激落。いままでお抱え運転手付き、秘書数名、女中5,6人という生活で、現金も扱ったことがなかったのに、いきなりバスで移動することになり、ものすごく戸惑ったそうです。
その後、日本にお花留学。物心つく前から好きだったお花の技術に磨きをかけ、韓国の女性たちに教えれば、その女性たちがアメリカに行き、花やで働けば、そのお金を祖国韓国に送ることが可能に違いない。そうすれば、韓国は少しでも貧困生活から脱出できる。そんな使命感を心の中に強く持ったそうです。そのあとは、家3軒を売り花修業。まわりからは、金持ちの奥さんの道楽と言われ、屈辱感にさいなまれます。
その後、アメリカ、イギリス、ドイツ、オーストラリアと各国を回って修業し、韓国に帰国。40歳代ぐらいのときに、名門ホテルとデパートのロッテが、施設内をフラワーデザインで飾ることに決め、韓国中のフラワーデザイナーの履歴書を集めます。そして選ばれたのが彼女。仕事で大成功をおさめ、韓国フラワー産業の生みの親となります。世界フラワーデザイン展覧かでは、国際審判として誰も試みないという最も無図化しデザインに挑戦し、拍手喝采を浴びます。
60歳のときに、苦労を強いられてきた韓国を去り、カナダへ移民。数年後に、今回訪ねた大邸宅を自分でデザイン。当時は、山には彼女の家しかなかったそうですが、夜、ひとりで山の頂上に立ち、神様に「(もう2度と韓国に生まれたくない。だから)どうぞ、私の種を(将来)韓国に蒔かないでください。」と、お願いして号泣したそうです。
カナダに移民直後、お金のことには無知だったことから、同じ韓国人に騙されて、3億をフイにしてしまいます。裁判で訴えたけれど、相手が計画的に自己破産したため一文も戻ってこず、そのあとは、人が怖くなり、友達もつくらず家にこもり続け、19年という長い月日が流れます。
ところがある日、カナダに来て、弟子をひとりも育てずこのまま朽ち果てるのかと思ったとき、それではだめだと気がつき、立ち上がろうとしました。そんなとき、私の同僚である娘さんを通して私たちは出会ったのです。
これってとても運命的な出会い!先生との出会いのきっかけになった娘である私の同僚は大金持ちのお嬢様で、他人のしたで働いたことはありません。お土産屋さんで働きはじめたのは、夏前、たまたま先生が目の手術をするためにダウンタウンに来たとき、時間をもてあましてお土産屋にフラッと寄ったのがきっかけ。
先生は、貴族の娘が「働いていた」ことが韓国に知れ渡ったら自分の名誉にかかわると大喧嘩して大反対。でも、食道楽の娘は、店のスモークサーモンに惹かれたとのこと。働く経験をしてみたかったという好奇心で、働き始めてしまいます。そして、そのとき出会った私のことを、「お母さんと気が合いそう」と、太鼓判を押してくれたのです。
<エピソード集>
どんなに厳しい先生かと覚悟していましたが、愛情ある厳しさで、私たちふたりの相性は良く、授業を楽しく受けています。
○小柄で、きびきび動く先生。23歳のときに韓国で、お抱え運転手に習って運転技術を取得。バンクーバーでは、特注のゴールドの模様が入った大型クラッシックカーの伽出ラックを乗り回している。
○先日、一緒にでかけたときのこと。助手席は荷物がいっぱいなので、わたしは後部席に座っていた。発車直後、先生がいきなり助手席に置いたカバンに手を突っ込んで何かを探し始めた。
先生「あら~。わたしの眼鏡、どこに行ってしまったのかしら。」
私「先生!運転しながら眼鏡を探さないでください!ヒャー!両手をカバンの中に入れたらダメです。キャー、ぶつかる!!」(あと10cmで駐車中の車にぶつかりそうだったのを急ハンドルで回避)
先生「でもね、眼鏡がないと見えないのよ。」
私「先生!車を止めて探してください。キャ!対向車が!!」
先生「ああ、あったあった。私ね、音楽を聴いて運転するのがすきなの。人間は、目が楽しい、耳が楽しい、鼻(香り)が楽しい、口(食事)が楽しくなければダメよ。」
選曲は若い子向けのポップミュージック。ガンガン音楽が鳴り響くキャデラックの高級皮のシートの中で、私は緊張しながら安全運転を祈っていた。
○クラスの後、迎に来た夫の車で、先生の車に案内されて、クラフトショップへ行った。ところが先生の運転は、遊園地のミニジェットコースター並み。
夫「同じスピードで走ったら、スピード違反の切符を取られるよ。ああ、いなくなってしまったよ!」
なんとか見当をつけてクラフトショップに着くと、先生が車から降りてきて、
先生「後ろを見たら、あなたたちの車がいなくて、どーしようかと心配したわ。」
私「夫、先生の運転の速さに驚いていましたよ。」
先生「あら~。でもちゃんと制限速度内だったわよ。」(15キロはオーバーしている)私、家を出るときに慌てて眼鏡を忘れてきたの。夜だとよく見えないから緊張しながら運転したわ。」
先生「韓国にいたとき、テレビでフラワーデザイン教室をしたの。そしたら、生徒さんのご主人が、私の美しさに見とれて、お花どころじゃなかったんですって。」
実際先生の若かった頃の写真を見ると、美人コンテストに出たら楽勝間違いなしのカリスマ美貌。堂々と美人宣言するが、事実なだけに憎めない。
○先生の講座のアシスタントを半日務めた日。「疲れたわよね。大変だったでしょ。」と言いながら食事をご馳走してくれた。79歳の先生にそういわれて、誠に恐縮。そのあと、「ちょっと待ってね。」と言って、私を地下の駐車場の車の中に置き去りにしたまま、どこかへ行ってしまった。なかなか帰ってこないので心配していたら、私のために、わざわざ韓国のお団子を買いに行ってくれたのだった。感激。
先生「よしこさん、幸せにおなりなさい。」
レッスンの度に心から何度もこの言葉をかけてくれる。ご自分が、超セレブとどん底の間を何度も行き来したことから、自分の弟子が幸せになるのを、心底いつでも祈ってくれている。
先生「韓国にたとき、いつも不幸な人達が私の周りに集まってくるの。ある女性は、夫を愛人に取られてしまい、ショックでいつでも自殺できるように薬を持ち歩いていたわ。だから彼女に言ったの。今すぐ、アメリカへ観光ビザで行きなさいって。」
生徒「でも、先生。私、英語ができません。」
先生「英語はどうでもよい。アメリカへ行ったら、まっすぐ花屋へ行きなさい。そして、いままで習ったことを見てもらいなさい。そうしたら、あなたを雇ってくれます。」
先生の言葉をひたすら信じ、その女性はフラワーデザイン用の道具を持って渡米。人は募集していなかったけれど、ある花屋でフラワーアレンジを見せると、すぐに雇用され、その後は、素敵な男性と出会って結婚し、移民することができた。
先生「私と出会った女性は、必ず幸せになります。淑子さん、あなたもよ。」
先生「貧しくても、心はいつも貴族でいなさい。」
先生「いつでも美しくしていなさい。私と一緒にいれば、あなたもだんだん美しくなるわよ。」
ファッション雑誌から抜け出してきたような美しい服をいつも着ている先生は、見ているだけでも楽しい。色白の肌は79歳なのに50歳台並。特に手入れはしていないというからすごい。一方、すでに1ヶ月一緒にいる私の姿かたちは、申し訳ないことにまったく進歩が見られない。(夫の古着がワードローブの私。いきなりオシャレになるようにと言われてもかなり無理がある。)フラワーデザインで稼げるようになったら、服を新調しなくては。でもいつの日やら。
ある日、普段、着ない服を売ることにした先生。
先生「気に入った服があれば、優先的に売ってあげるわ。」
私「嬉しい!」
あとで聞いたら、イギリスで購入したバーバリーのコートとマンとセットは、30万円だそう。90%割引でも買えない!
先生「政治は人を裏切る。でも、花は決して人を裏切りません。」
先生「人生の中で、尊敬できる師匠をひとりでも持つということは幸せなことです。」ここまで言い切られても、先生は可愛いと思えてしまうのは、人徳か。
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先生の名言集:
「美しくおなりなさい。」
「いつでも美しくしていなさい。」
「幸せになりなさい。」
「貧しくても心はいつも貴族でいなさい。」
「人間は、目が楽しい、耳が楽しい、、鼻が楽しい、口が楽しくなければダメよ。」
「政治は人を裏切る。でも、花は決して人を裏切りません。」
「人生の中で尊敬できる師匠をひとりでも持つということは幸せなことです。」