先日、US Airwaysがハドソン川に不時着して乗客155人全員が助かったというニュースが耳目を集めましたが、最近のNEWS WEEK誌に、この事件と絡めて惨事における生存者に関する興味深い比率が出ていました。それは10-80-10という比率で、惨事の際に10%の人はリーダーとして他の人々を導こうとし、80%はリーダーに粛々と導かれて脱出し、残りの10%はパニックに陥り取るべきでない行動を取ってしまい生き残ることができない、というのです。
今回のUS Airwaysの全員生還の奇跡は、空軍出のベテラン・パイロットだからこそ成し得た偉業だとは思いますが、もしかしたら、他も報道されなかった10%のリーダー的ヒーローが乗客の中にいたのかもしれません。
以前、メルマガで書いた「大惨事から生還する方法」を掲載しておきます。
2005年「大惨事から生還する方法」TIME誌より
("How to Get Out Alive" by Amanda Ripley, TIME Magazine, Monday, Apr. 25, 2005)
<天災、人災による大災害が後を絶たない今日この頃、是非とも心に留めておきたいレポートだと思いました。>
運悪く不意の災害に見舞われた時、人の取る行動は三つのカテゴリーに分かれる。落ち着いて行動できる人は10~15%、我を失って泣き叫ぶ人は15%以下、残りの大多数は、ショック状態に陥り呆然として何もできない状態になってしまう。(Aviation,Space, and Environmental Mecicine誌で発表されたイギリスの心理学者ジョン・リーチの研究による)
National Institute of Standards and Technology(NIST)が9/11の生存者900人に行ったインタビューの結果から、飛行機衝突の衝撃後から避難を始めるまで平均6分かかっていたことがわかった。
人によっては30分も避難せずにいたのはなぜか?およそ1000人の人がコンピューターを消したり、身の回りのものを集めたり、知り合いに電話をしたりしていて逃げ遅れた。また、このような時こそ迅速に階段を駆け下りているはずなのに、ビルの外に出ることのできた約15,410人が、階段を一階分下りるのに1分もかかっていた。避難路を研究するエンジニアの予測の2倍かかっていたことになる。
事実、ビルの73階から生還したエリア・ゼデノさんは、「不思議なことに全然焦る気持ちが起こらなかった。ビルの揺れ方、音響からして、本当は焦りまくっていいはずなのに、まるで意図的に自分の心が音をシャットアウトしてしまったようだった。」と述べている。また、飛行機衝突の衝撃でビルが激しく南側に傾いてさえいたのに、すぐに避難しよういう本能的な衝動は起こらず、周りの人間も皆、今起こっていることが信じられないというような様子で避難行動を起こさなかったという。彼女の場合ラッキーだったのは、「何が起こったの?」と尋ねる彼女に、一人の同僚が「ビルから出ろ!」という叫び声が戻ってきたことだった。彼女は、ただその命令に従って避難を開始したのであって、あの時、その声が聞こえなかったら、自分でも今頃どうなっていたかわからないと語っている。
人の脳は一つの複雑な情報を処理するのに8~10秒かかるが、一度にあまりにたくさんの情報の洪水に遭った場合、本来なら脳の処理スピードを高めようとしてもいいはずなのに、あたかも車が低速ギアに切りかえた時のような状態になってしまう。それはなぜか?
食肉獣の餌食になろうしている動物は、無意識のうちに体が麻痺してしまう。そうすると食肉獣は、獲物が病気だと思って、リスクを避けるために放してしまうことがあるという。同様の行動がレイプの犠牲者にもあるという調査がある。つまり本能的な行動が緊急時の生存を却って脅かしてしまっていたのである。
1997年、離陸を待つパンナム機にオランダのKLM機が衝突、大炎上。KLM機の乗客583人は全員即死、パンナム機396人の乗客のうち326人が死亡し航空史上最悪の大惨事となった。後の調査によると、KLM機が衝突した後も多くの生存者がおりパンナム機が火炎に飲み込まれるまでの間に少なくとも60秒の猶予があったというのである。ところが、多くの人はショック状態で呆然となり、ただ座ったまま火に飲まれてしまった。生存者の一人であるフロイさんは、「(衝突の後)私の心は空白になり、何が起こっているのかさえ聞こえなかった。」と語っている。夫ポールさんの逃げろという言葉に引きづられるように煙の中を夫の後に続いたという。飛行機から飛び降りる直前に後ろを振り返ると友人が、ただ呆然と座っている姿が目に入ったという。
非常時によって、人が三つのカテゴリーの、どちらに入るかは、非常時でない普段のその人の行動からは予測できないという。それでは、本能を打ち消して冷静な行動を取れるようにするには、どうしたらいいのか?それは、普段から非常時のための心の地図を描いておくことである。
ちなみに、パンナム生存者の上記のポール氏は、こどもの頃、映画館で火事に遭った経験があり、それ以来、必ず不慣れな場所では避難路、避難口を確認していた。事故の当日も、離陸を待つ間、最寄の避難口をチェックして妻にも教えていたという。またTower1の49階から衝撃直後に避難を始め助かったマヌエルさんは、前年に自宅が火事になり、子どもの頃はペルーで大地震に遭遇、その後もロスで数回地震に遭った経験があった。
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大惨事から生還する方法2 2008年 TIMESより
2001年9月、飛行機がワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ日、ビルの最も大きなテナントであった証券会社モーガン・スタンレーの社員2,687人が災難を逃れました。
それはモーガンスタンレーのSecurity DirectorであるRick Rescorla氏おかげでした。
Resorla氏はベトナム戦争で数々の勲章を授与された人物で、優れた危機管理能力を身に着けていました。1988年にパンナム飛行機の爆弾事件があった後後、Resorla氏はビルのセキュリティーに対して不安を抱き、ビルの所有会社であるPort Authority of NYに安全対策のための企画書を提出していました。でも、それに対する管理会社側からの回答はありませんでした。
そこでResorla氏は、社員に本当に緊急の際にはPort Authorityの指示に従わないように指示し、自ら先頭に立ち、社員たちに頻繁に抜き打ち避難訓練を行っていました。
取引のために一秒も気を抜けない証券マンたちにも有無を言わせず電話を置きコンピューターを離れさせ訓練に参加させました。
そして911の朝。Resorla氏はタワー1が燃えているのを目にしました。Port Authorityからは、その場に待機するようにとの指示が来ました。しかし、Resorla氏はマイクロフォンと無線と携帯を手に全社員に即刻避難することを命じました。
全ての社員はどう動けばいいのかを把握していました。会社に証券取引の研修に消えていた250人の訪問者達もすぐ最寄の階段へ案内されました。
社員が避難している間、Rescorla氏は踊り場でスピーカーを手に落ち着いて行動するように指示し続けました。社員たちはまるで彼の言葉で魔法にかかったかのように静かに黙々と階段を折り続けました。
その合間にRexcorla氏は奥さんに電話をし「泣くんじゃない。皆を安全な場所に避難させなければならない。もし私に何か起きても、私がこれ以上の幸せはないと知っておいてほしい。」と告げました。彼は大多数のモーガン社員が避難したのを確認した後、取り残されている人がいないかを確認するために、もと来た階段を上っていきました。
モーガン社員の犠牲者は13人。その中の一人がRescorla氏でした。
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こちらも参考にしてみてください。
http://www.sweetnet.com/earthquake.htm
災害事の電話について、防災用品リスト、災害後の子ども精神的ショックを軽減するための手引きについて掲載しています。