あるラジオ番組の「時間と人」についての話題から思ったこと・・
紀元前300年頃、古代ギリシャで初めて日時計が広場に設置された頃、当時の哲学者ソクラテスだったかアリストテルだったかが「日時計が置かれて以来、時間に追われているようで忙しくて仕方がない。」というようなことを言ったそうです。
日時計の時代の紀元前でそう感じたのなら、現代やいかに!!
日本の友人が、メールで「年を重ねると坂を転がるように時間が早く進むように感じると言うけれど、最近は崖をまっさかさまに落ちるように時間が早く過ぎていく。」と書いていました。本当に一年が過ぎる感覚に加速度がついていて怖いほどです。
つい数ヶ月前に年が明けたばかりなのに、もう11月?の感覚から、今ではつい昨日、年が明けたと思ったらもうホリデイシーズン・・・という感じです。このまま行くと、ある日、目覚めた時に、「え?私はもうお婆さん?」そして「え?もう死の床?」なんてことにならないかと怖いです。
時間と言うのは皆に平等に一日24時間あると言いますが、人それぞれの一日、一時間が過ぎる感覚は全然違います。自分自身の感覚だけでも日々違いますよね。
気の置けない友達とのおしゃべりの楽しい時間などはあっと言う間に過ぎるように感じ、退屈なパーティーに参加した時とかの時間は実際に異常に長いと感じるのですから、時間とは面白いと思います。また子どもの時は一日が確かにもっと長く感じていました。この感覚って一体何なんでしょう?
子育てに関しても同じ感覚があります。子どもがテリブル2あたりから幼稚園までの頃は、毎日、今日は子どもと何をして時間を過ごそう・・・と一日が長~~く感じたものです。特に、炎天下や寒風吹きすさぶ公園で頑として帰りたがらない長男を遊ばせていた頃は、30分でさえ長く感じたもんです。
でも、その長男がミドルスクールに入った頃、つまり手が離れ始めた頃から、子どもの成長に加速度がついて行ったように感じます。
ミドルスクール初日にスクールバスで女の子に一目ぼれして、帰って来るなりバックパックをドアから投げ入れて、自転車にまたがって、その女の子の乗るスクールバスを追いかけて行った鮮明な独立への第一歩。
そしてあっと言う間に8年生、卒業。ハイスクールの4年も矢の如しで、今年の9月には大学の寮に入るために家を出て行きました。本当に、この間は嘘のように早かったです。
幸い?次男が大学に行くまではあと5年あまり。速く過ぎてしまうのがわかるからこそ、この間の成長をできるだけゆっくりと楽しみたいと思っています。
「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」秀吉の辞世の句
「人間50年、下天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。」信長
何百年、何千年経っても、人間の感覚とはそう変わらないものなのでしょうか。もしくは激動の人生の送った人には、特に時間は短く感じるのかもしれません。
同じラジオ番組の中で、もう一つ面白いことを言っていました。どうやって統計を取ったのかはわかりませんが、感覚的に時間が最も速く過ぎる国は東京で、二番目がドイツの都市(どこか忘れました。)。なんでも、生活の中のハイ・テクノロジー度が高ければ高いほど時間は短く感じられ、その反対であればあるほど時間はゆっくり過ぎると感じられるのだそうです。