思うことの最近のブログ記事

子供たちが大きくなるにしたがってスポーツや友達との付き合いで、食事の時間がバラバラになってしまうことも増えてきました。でも、どんな時間でも、ただチンするだけでも一応温めてあげて、こどもが食べている間は、一緒に座ってお茶を飲みながら、今日あったことなどを聞いたりします。(と言っても子供たちは早食いなので5分ほどで終わってしまうのですが。)

それは短い間でも私が大切にしている時間ですが、夫から見ると私が子供を甘やかしているように見えるようです。

でも、私にしてみると半分は意識的にしていますが、あとの半分は自分お母がそうしてくれたことを、ただ当たり前だと思ってやってきました。

子供たちのアメリカ人の友達の話を聞くと、ほとんどの子は、土日を除くと毎日お母さんがちゃんとした食事を作ることが、あまりないようで、毎晩コンビニのサンドイッチという子もいました。必ずしもお母さんが働いていて時間がないというわけではなく、スポーツ観戦などは熱心に夕飯時だろうとなんだろうと、何時間でも見ているお母さんたちです。

アメリカ人のお母さんたちは、子供たちへの愛情表現はとてもダイレクトだけれど、だからと言って子供に暖かい食事を作ってあげるのはまた別の次元のようです。だからアメリカでは、子供のランチと言えばピーナッツバター&ジェリーで、手間暇かけて"愛情"弁当などというものは、存在しないんだろうなと思います。

でも日本人にとっては(もちろん全員ではなく一般論として)、たとえハグやキスがなくても食事がひとつの大切な愛情表現なのではと、なんとなく以前から考えていたのですが、1年ほど前NHKで放送された日系アメリカ人として初のアメリカ閣僚となったノーマン・ミネタ氏の半生をドキュメントした「渡辺謙 アメリカを行く "9・11テロに立ち向かった日系人"」という番組の中の、ミネタ氏の言葉に、やっぱりそうか!と思う一言がありました。

ミネタ氏は第二次世界大戦中、日本人収容所に入れられていた経験を持ちます。ミネタ氏がその時の過酷な体験を思い出しながら語っていたことなのですが、「日本人の家族というのは言葉でコミュニケーションはあまりしないが、一家団欒で一つの食卓を家族で囲んで食べることでアウンの呼吸のようなもので家族同士の心を通わせている。けれど、収容所では毎日大きな食堂で収容者全員で食事をとらされていたので、家族としてのプライバシーはなく、一家団欒の場が失われてしまった。それが日本人の家族の繋がりに大変影響を及ぼし、困難なできごとだった。」というような内容でした。

terau.jpg確かに日本のホームドラマでは、一つの食卓を囲んでコミュニケーションを取ってる風景が非常に多いですよね。その昔なら寺内貫太郎一家。いつも食事風景でした。去年放映された「梅ちゃん先生」でも、主演の堀北真紀ちゃんが、食事のシーンが多い日は、お腹がいっぱいになって大変だったとインタビューで答えていました。私の中にも、無意識の内に、そんな食事文化が浸透していたんだと改めて思いました。

ちなみに、ノーマンミネタ氏は911が起きた際に運輸長官を務めており、テロ直後、米国史上初めて民間航空機をすべて緊急着陸をさせています。また、その後、民間人が旅客機に搭乗する際の検査をイスラム系に対して厳しくしようとする社会の動き「人種プロファイル racial profiling」に対して、ミネタ氏は戦時中、日系人という人種によって選別され収容所に入れら、アジア系ということで差別された苦い経験から、同じような過ちを二度と繰り返してはならないとして、断固、人種や肌の色、国籍、宗教による区別に異を唱え、違法化しました。

今まで、飛行機に乗る度に、なんで明らかにテロリストじゃなさそうな人たちまでチェックされるんだ!効率悪い!と思っていたのですが、実は、その裏には、日系人の苦しい過去の経験があったのだと知り、納得できるようになりました。

ところで、もうすぐまた日系人の人権回復に寄与した一人Fred Korematsu氏の記念日です。
Facebookが今日、上場されましたが、Facebookは実にさまざまな社会現象を起こしていますよね。

たとえば、Facebookで元カノや元カレ、ハイスクール・スイートハートとコンタクトして、そこから数々の不倫、離婚が生まれています。企業が新規雇用する前にFacebookをチェックするのは当たり前になっています。

今日ラジオ番組で聞いたのが、20代のFacebook鬱(ウツ)。他の友達のエキサイティングな出来事に満ちたFacebookを見て、それに比べて自分の人生は・・・と悲観して落ち込むのだそうです。

でもFacebookを書く人の多くは自分の生活のハイライト部分しか書きません。写真も一番良く撮れているものしか載せません。

それはテレビや雑誌に映っているアイドルとアイドルを売り出す会社と視聴者の関係と似ていると思います。つまり自分のFacebookは自分というアイドル(虚像・イメージ)を売り出すための媒体です。自分が人々に見られたい一定のイメージに近づけるために、自分の生活のハイライト部分のみを掲載していきます。でも見る側は、ついつい、それが、あくまでも編集されたその人のプロファイルであるということを忘れてしまうのです。

息子に聞いたら、フォモ(FOMO=Fear Of Missing Out)という言葉があるそうです。たとえば、退屈なパーティーに参加していて、退屈しのぎに友達のFacebookをチェックすると、彼(彼女は)は今現在、とても楽しいパーティーに参加していると写真つきで書いている。これは大変!そっちのパーティーに顔を出さなくっちゃ!と急いで、そっちのパーティーに行く。または退屈していなくても、他の人の参加しているパーティーの書き込みを見て、そっちの方がより楽しそうだと、そっちのパーティーに行ってみる。実際に行ってみると、書いてあるほどには、楽しくないことも多々あるそうですが、そうやって、「より」楽しいことをするチャンスを逃してしまうことを常に恐れていると同時に今現在自分のいる場所や状況が楽しめない心理に落ちっているわけです。なんだか気の毒な世代です。

ほのぼの親子

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おととい昨日と一泊でシカゴの知り合いの結婚式に夫婦で参加してきました。結婚式が終わってすぐにChicago O'Hare International Airportに向かったのは午後7時。ここの空港は世界で一番離着陸が多い空港と言うだけあって、空港は人、人、人、人、まるでラッシュアワーの新宿駅のようです。座席もびっしり人で埋め尽くされていました。

私たちも席について、周りを見渡すと、隣に座る夫も含め、ほとんどの人がうつむきながらIphoneやIpodを操作しています。(Ipadで本を読んでいる人も決行たくさんいて、その普及率にも驚きました。)

そんな中、後ろの方に座っている東洋系のお父さんと17~18歳くらいの娘さんと息子さんが、向かい合わせに座って真ん中に置いたスーツケースを台にして、ずっとトランプに興じている姿が、なんともほのぼのしていて印象的でした。

若い頃、十数人でスキーに行って、徹夜でトランプの大富豪大貧民をして大いに盛り上がった日々を思い出しました。

数人の友達が、こどもたちのスリープオーバーをのぞくと、それぞれが携帯をいじっていると言っていましたが、年よりくさいですが、本当に私たちは便利さと引き換えに色々なものを失くしてしまったように思います。

ooono.gif"Dancing with the Stars"でのセクシーなダンスで視聴者を魅了して以来、ご無沙汰のApolo Anton Ohno君。今年の冬季オリンピックには出るんだろうか?と最近チラリと思っていたのですが、しっかり健在のようです!

CNNの記事によると、Ohnoのオリンピック出場は今期で3回目になるそうです。厳しい練習に長年にわたって耐え抜く選手はそうは存在せず、2期にわたってオリンピックに出るのも相当な困難なのに、3期にわたってオリンピックに挑むのは稀有のことらしいです。

是非是非今年も頑張って欲しいです。ついつい日本人の血が流れる選手を応援したくなってしまいます。

 

崖から真っ逆さま

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sundial.jpgあるラジオ番組の「時間と人」についての話題から思ったこと・・

紀元前300年頃、古代ギリシャで初めて日時計が広場に設置された頃、当時の哲学者ソクラテスだったかアリストテルだったかが「日時計が置かれて以来、時間に追われているようで忙しくて仕方がない。」というようなことを言ったそうです。

日時計の時代の紀元前でそう感じたのなら、現代やいかに!!

日本の友人が、メールで「年を重ねると坂を転がるように時間が早く進むように感じると言うけれど、最近は崖をまっさかさまに落ちるように時間が早く過ぎていく。」と書いていました。本当に一年が過ぎる感覚に加速度がついていて怖いほどです。

つい数ヶ月前に年が明けたばかりなのに、もう11月?の感覚から、今ではつい昨日、年が明けたと思ったらもうホリデイシーズン・・・という感じです。このまま行くと、ある日、目覚めた時に、「え?私はもうお婆さん?」そして「え?もう死の床?」なんてことにならないかと怖いです。

時間と言うのは皆に平等に一日24時間あると言いますが、人それぞれの一日、一時間が過ぎる感覚は全然違います。自分自身の感覚だけでも日々違いますよね。

気の置けない友達とのおしゃべりの楽しい時間などはあっと言う間に過ぎるように感じ、退屈なパーティーに参加した時とかの時間は実際に異常に長いと感じるのですから、時間とは面白いと思います。また子どもの時は一日が確かにもっと長く感じていました。この感覚って一体何なんでしょう?

子育てに関しても同じ感覚があります。子どもがテリブル2あたりから幼稚園までの頃は、毎日、今日は子どもと何をして時間を過ごそう・・・と一日が長~~く感じたものです。特に、炎天下や寒風吹きすさぶ公園で頑として帰りたがらない長男を遊ばせていた頃は、30分でさえ長く感じたもんです。

でも、その長男がミドルスクールに入った頃、つまり手が離れ始めた頃から、子どもの成長に加速度がついて行ったように感じます。

ミドルスクール初日にスクールバスで女の子に一目ぼれして、帰って来るなりバックパックをドアから投げ入れて、自転車にまたがって、その女の子の乗るスクールバスを追いかけて行った鮮明な独立への第一歩。

そしてあっと言う間に8年生、卒業。ハイスクールの4年も矢の如しで、今年の9月には大学の寮に入るために家を出て行きました。本当に、この間は嘘のように早かったです。

幸い?次男が大学に行くまではあと5年あまり。速く過ぎてしまうのがわかるからこそ、この間の成長をできるだけゆっくりと楽しみたいと思っています。

「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」秀吉の辞世の句
「人間50年、下天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。」信長

何百年、何千年経っても、人間の感覚とはそう変わらないものなのでしょうか。もしくは激動の人生の送った人には、特に時間は短く感じるのかもしれません。

同じラジオ番組の中で、もう一つ面白いことを言っていました。どうやって統計を取ったのかはわかりませんが、感覚的に時間が最も速く過ぎる国は東京で、二番目がドイツの都市(どこか忘れました。)。なんでも、生活の中のハイ・テクノロジー度が高ければ高いほど時間は短く感じられ、その反対であればあるほど時間はゆっくり過ぎると感じられるのだそうです。

agness.jpghttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090630/crm0906301832030-n1.htm
こんな記事が出ていました。児童ポルノ禁止法改正案の審議で参考人として意見を述べるアグネスの姿が出ていました。

アグネスのアイドルの時代から見てきて、彼女の人生の節目節目に関する記事を目にする度に、アグネスはえらいなーと、いつも思って来ました。

アイドルを辞めてカナダへの留学(亡きお父さんの願いだったそうです。)

芸能界に戻ってから再び地位を確立するまでの苦労。

子連れ出勤で論争になったころ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%82%B9%E8%AB%96%E4%BA%89

そしてユニセフの地道な活動。

アメリカのマドンナやアンジェリナ・ジョリーのような派手な活動ではないけれど、コツコツと続け、社会にメッセージを送り続ける姿にいつも敬服の念を抱いてしまいます。

日本が輸出国になって恥ずかしい、他の先進国に歩調を合わせて法案を改正するという姿勢ではなく、「子どもたちが被害者にならないために、何をしたらいいか」を何よりも優先に考えて厳しい改正法案を作って欲しいと思います。

隣のライバルー人間の悲しいサガ

私の住んでいるS区と隣のM区の学校は、何かにつけて対抗意識を燃やしています。フットボールの対抗試合が近くなると車の窓に"Beat S"、"Beat M"などと白い簡易ペイントで書いた車も見かけるようになります。

最近ではS区の中学生がM区の中学生に喧嘩を売られ乱闘の末一人が鼻の骨を折った、などという実しやかな噂まで耳にしました。

念のため書いておきますが、S区もM区もごくごく普通のアメリカ郊外の似たような町です。

大体S区とM区が争う理由など、何もないのです。唯一の理由は「お隣同士」という理由のみ。(仮に昔に何かあったのだとしても、今ではその理由は忘れ去れているのに、お互いにいけ好かないう意識だけが代々引き継がれて残っている場合もあるのかもしれません。)

日本でも隣町の中学生の不良同士が喧嘩騒ぎなどという話は、何度も耳にしたことがあります。

町境、県境、そして国境を隔てて理由なき対抗意識を持つのが人間の悲しい性なのかもしれません。または両面のコインで、人間は一定グループへの帰属意識を強く持ちたいと思っているものですが、そう強く思えば思うほど、他のグループを嫌ったり、競争意識を持ったり、排除しようとする力も強くなってしまうのかもしれません。

日本Vs韓国、ドイツVs.フランス、イランVs.イラク。お隣同士でいがみ合っている国がたくさんあります。これは国同士の覇権問題もあるのでしょうが、隣同士仲の良い国を見つける方が大変なのではないでしょうか。

ロミオとジュリエットはお互いの家、モンタギュー家とキャピュレット家の諍いの末に若い命を散らしたわけですが、シェークスピアはそんな人間の愚かさを見抜いていたんでしょうね。

社会に教えられた幸せ

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一流企業のサラリーマンを辞め、禅僧になった方のコメントから。

ある本の中にあった、以下のような考え方に衝撃を受け、仏教に興味を持ち、やがて僧侶になってしまったそうで。


☆☆幸せとは☆☆

社会には「これが幸せですよ」というモデルがあって、私達はそのモデルに取り組みがちで、そのモデルに乗れば幸せだ、と。「でもそうじゃないでしょ」と仏教は言っていると思います。「それは、あくまでも社会から教えられた幸せであって本当のあなたはどうなの?」と。

☆☆

【社会から教えられた幸せモデル】

特に今の世の中メディアの影響が大きいかな、と私は思います。テレビや雑誌ではいわゆる「社会の幸せモデル」をガンガン突きつけてきます。たとえばメディアで紹介される社会的に成功した人達の話題、インタビュー、テレビや映画に映し出される虚飾と幻想の世界。

知らないうちに幸せとは、こういう場所に行って、こういう生活をして、こういう食べ物を食べて、こういう洋服を着て、こういうバッグを持って、こういう学校に入って、こういう職業について・・・・そうすれば幸せだと洗脳されているような気がします。特に、現代人、そして子ども達は、ありとあらゆる情報が渦巻く情報のトルネードの中にいて、自分の本当の幸せとは何なのか見えなくなっているし、一歩立ち止まって考える時間さえないのではないでしょうか?

息子達を見ていても、まったく何もしない、ぼーっとしている時間がほとんどないと感じます。空いた時間があれば、テレビを見るか、ネットをするか、Ipodを聞くか・・・必ず何かのメディアで埋めています。

ある時、ふと気づけば全ての時間が消え、年老いていて、ぼくの(私の)時間は一体どこに行ってしまったの?ということになるのではないでしょうか。

あー正に Michael Endeの本 「モモ--時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」の世界ですね。

 噂と言うのは怖いものです。昨日、次男が「ママ、バーニーがもうテレビ放送されていない理由を知ってる?」「ある子がバーニーの足を踏んづけた際に、バーニーがFワードを言ったからなんだよ。」

私、「うーん。それはあり得ないんじゃない?だってバーニーは生中継じゃなくて、一旦録画したものを流してるんだから、たとえFワードを言ったとしても編集されるでしょ。」

「じゃ、ブルーズクルーズのスティーブが麻薬中毒ってのは知ってる?これは本当だよ。」

この話は、あり得ない話ではないとは思ったけど、この際Hoax(でっち上げ)についての対処方法について教える良いチャンスだと思ったので、

「そんなふうな、まことしやかなデマのことをHoaxと言うんだよ。そいういう話は、すぐに信じないこと。そして他人に吹聴する前に、きちんと自分で、それが本当に事実なのかどうかを調べて、噂の広げ役にならないことが大切だよ。」

と諭したのでした。

実際、やはりこの二つの噂は完全なデマのようでスティーブに至っては、気の毒なことに長年、ヘロイン中毒だとか、実は死んでるとか、否定しても否定してもぶり返されているそうです。

災害時の流言について、以前、書いたメルマガに書いた再掲載します。

災害時には、しばしば情報が錯綜したり混乱したり事実無根の流言が飛び交います。そこで、ちょっと流言飛語ということに興味を持ち調べてみました。心理学者のオールポートという人が、流言の広まり方には、ある法則があると言っているそうです。それはR=i×a

R(Rumore)=i(the importance of the subject to the individual concerned )×a(the ambiguity of the evidence pertaining to the topic at hand) 

つまり「噂の広まり方」は、「自分が関心のある事柄の重要性」×「その事柄に関する証拠の曖昧さ」というのです。


過去の流言で人々がパニック状態に陥った例:

<昭和金融恐慌 >
1927年、大蔵大臣の失言により、全国各地で「銀行が危ない」という噂が広がり、取り付け騒ぎになり、昭和金融恐慌へと発展していった。

<関東大震災で・・・>
「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」との流言ひごにより、多くの朝鮮半島出身者が虐殺された。

<伊豆大島近海地震>
1978年伊豆大島近海地震の後、静岡県災害本部の出した余震注意情報が1時間足らずの間に「震度6の大地震が3時間以内に必ず来る」という噂に変貌、住民大パニックに。

<トイレットペーパー騒動>
石油供給不測から紙不足が騒がれ、しまいにはトイレットペーパーを求める群集がスーパーに押し寄せ大騒ぎに。

紙は石油から作られるため、トイレットペーパーが無くなるのではないか、または値段が高騰するのではないかと思い込んだ大阪の主婦達が周りの人に伝え始め噂が大きくなったことが原因とか。

<1993年平成米騒動>
これは記憶に新しい人も多いと思いますが、米の凶作から米を買い求める長蛇の行列、国産米の異常人気、自由米の高騰。


特に、インターネット時代、いまや流言は世界を一瞬の内に駆け抜けます。想像すると恐ろしいほどです。これを読んでいる方の中にも過去、どうも眉唾のチェーンメールのようなものを受け取った方も少なくないのではないでしょうか?

たとえば、私が友達や知り合いなどから過去受け取ったものには、こんな実しやかなものがありました。

○「ある少女が特殊な血液の持ち主だが、手術のため輸血が緊急に必要で、その特殊な血液の持ち主を探している。自分がその血液の場合
は大至急××病院に連絡してください。そして、このメールを友達にも回してくださいね。」(日本の知り合いから。)

○「デザイナーのトミー・フィルフィガーがオプラの番組(女性に人気のトークショー)インタヴューで、「私のデザインする服は白人向けのもので、有色人種には似合わない。」と発言したそうです。トミー・フィルフィガーのブランドをボイコットしましょう。このメールを友達に回してくださいね。」(これは去年アメリカの友人から来たメールで、すぐになんか変と思いネットで出所などを調べたところ、すぐに事実無根と判明。)

○「アメリカン・アイドル(スター誕生のような番組)でリッキー・マーティンのShe Bungsを最高のカッコ悪さと音痴で大失笑を買いつつ大人気となりメジャー・デビューしてしまったウィリアム・ハン君(香港出身)が、やっと実は自分は笑い者になっているという真実に気づいてしまい、その過酷な事実に純粋な彼の心は傷つきドラッグを過剰摂取して急死。」(夫が会社で聞いてきた噂話で、出所はネット上のデマ記事。ウィリアム・ハン君を知らない方はこちら・・・笑えます。)http://www.youtube.com/watch?v=Zcc8dTqflh8

このように、例を挙がればいとまがないわけですが、私たちは、それではどうしたら流言、そして流言が招くパニックを避けることができるのでしょう?

立命館大学(www.ritsumei.ac.jp/)の公開講座の記録の中にいくつかの方法を発見しました。

(1)無用なうわさを防ぐには

○すぐに伝えたくなるような時にこそ、一呼吸おいて考える。
○考えもしないのにホントだと思うことこそ要注意。
○決まり文句に注意;うわさには「決まり文句」がある。

昔話が「むかしむかし......」で始まるようにうわさ話にも目印がある。それ
は「友だちの友だち」「必ず伝えましょう」「すぐに伝えて」のようなものであ
り、そういうフレーズが話の中に出てきたら、一呼吸おくことが必要である。

(2)パニックを防ぐために個人的に努力できること
1.深呼吸(息を吐くことから始めよう)
2.鏡をみる(自己意識を高める)
3.準備する(避難訓練をあなどるな)
4.信頼おける機関に問い合わせる

男の魅力

kuruuni.jpg今日こどもたちを歯のクリーンアップに連れて行って待合室で待っている間に、いつものごとく週刊誌の一気読みをしてきました。

雑誌の中に2006年のPeople's Sexiest Man(Peopleという週刊誌が毎年選ぶ定評のある賞)に選ばれたジョージ・クルーニ(George Clooney)の若い時の写真が載っていたのですが、彼ほど年齢とともに男前が増した男性もいないと思いました。

George Clooneyは1961年生まれの45歳。テレビの人気番組だったERのレギュラーとしてブレークしたのが33歳の頃です。それ以降、映画俳優にアップグレードして、毎年恒例のPeopleマガジンのSexiest Manに2度も選ばれています。ちなみに2度選ばれたのはブラッド・ピットとジョージ・クルーニの二人だけです。

写真を見てください。左が今、右が若い時の写真ですが、今の彼の目尻に刻まれた皺がまたなんともセクシーではありませんか!?

他に、30代過ぎてからブレークしてトップ俳優になった俳優と言ったら先代ジェームズ・ボンドのピアス・ブロスナンがいます。ピアス・ブロスナンを昔、初めてテレビのレミントン・スティールという番組で見た時には「この世にこんなハンサムな男性がいるのか!!」と目が釘付けになってしまったのですが、若い時の彼はパーフェクトトにきれい過ぎてちょっと重みが足りない印象がありました。それが40代近くになってから、ただのハンサム、美形を越えてグッと男前が増しました。

女優の40代は、容姿の衰えとの熾烈な戦いを迎える年ですが、俳優はその点、全員ではないにしても40代で旬を迎える人もいるんだとジョージ・クルーニを見ているとつくづく思います。もちろん、20代ではとてもハンサムだった俳優が30代、40代でがくっと色彩を失くしてしまう場合も多々あります。この差は、なんなんだろう?と思います。

男の顔は履歴書というから、その人の本当の内面が出るのでしょうか?それとも俳優によって旬の時期が違うのでしょうか?ブラッド・ピットなどは20代が、あまりにチャーミングだったために、今も人気は変わらないけれど昔の色彩はないと個人的には感じてしまいます。(ブラッド・ピット、今、調べてわかったのですが、彼は1963年生まれで、既に43歳ジョージ・クルーニとは2歳しか違わないのですね。びっくり!)

それにしても、私の周りには40代以上で素敵な人が1人もいないのは、なぜ?!息子達の参加している様々なスポーツの観戦で、多くの30代後半、40代のお父さんを見かけるのですが(息子が大きくなってくると20代のお父さんを見かけなくなってくるわけです。)、ヘビーウエィトのお父さんがやたら多くて、正直スポーツ観戦の楽しみも激減です。

最近、独身になった40代の友人が「この年になると見てくれの良い男は、大抵性格に問題ありで、ハートを選ぶと見てくれがねー。」と言っていました。現実はきびしい!

言葉と文化

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私の夫は日本の古武道に傾倒しています。彼の敬愛するH先生は日本に住んでいますが、なぜかお弟子さんは外国人の方がはるかに多く、全世界に何千にものお弟子さんがいます。

外国で武道をやっている人は武道の技だけでなく武道の精神に非常に惹かれており、先生と自分の上下関係をとても大切にしています。

アメリカ人というと、先輩だろうが教師だろうが、上下関係なんて関係なくふるまうという印象がありますが(もちろん上司にへつらう部下はアメリカにもいますが)、H先生のアメリカ人のお弟子さんたちを見ていると、アメリカ人でもここまで「へつらう」ことができるんだ!!!と新鮮な驚きがあります。たとえば、先生の前に出ると、皆ほとんど下僕のごとく自動的に腰を直角に曲げて頭(こうべ)をたれてしまいます。「はは~~殿さま~~~」という雰囲気で、見ていておかしくなります。

よく先生への手紙の翻訳を頼まれることがありますが、その手紙の内容たるや、まるでシェークスピアの古文か?と思うほど仰々しく、回りくどく、へりくだった美辞麗句がずらずらと並んでおり、私は頭をひねってしまうことがありますが、英語にも目上の人に対する丁寧な言い方は、いくらでもあるんだなーと感じます。(米語は、日本語のように尊敬や謙譲の言い方がなくて、誰に対しても同じ話し方、書き方と思っている人もいるかもしれませんが、きちんとした人に聞くと、必ず「違いはある!」と断言します。)

面白いのは、アメリカ人の手紙で、どんなに先生に対してへりくだった言い方をしていても、必ず家族紹介の文面になると、「私には美しい妻と、頭のいい素晴らしい息子があります。」というようにアメリカ的になります。日本語にして、日本人が読むと、なんだか恥ずかしくなる文面です。Henryおじさんの、これを英語でなんて言うの?には、たとえば日本で「これから息子がお世話になりますが、よろしくお願いします。」とか「息子が大変お世話になりました。」を英語では何て言うんでしょう?などという質問がありますが、これは、反対に英語にそのまましてしまうと違和感を与えてしまうことになるのだと思います。

いずれにしても、相手の文化を踏まえた上での適切な場での、適切な言い方を知っていることは、それが知らず知らずに与える印象を考えると、とても大切だと思います。

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