津波サバイバーママの断腸の思いの決断

津波サバイバーの話が、毎日のように報道されています。どの話も衝撃的な話ではありますが、一人のオーストラリア人のお母さんのサバイバル・ストーリーをCNNで見て「私ならどうする?」と考えてしまいました。

オーストラリア人のジリアンさんは、津波が襲って来た時、二人の息子を両手に抱きかかえていました。一人は3歳くらい、一人は6〜7歳くらいです。兄の方も、まだ泳げません。お兄ちゃんは、お母さんにしがみつきながら“Mommy, Don’t let go of me. ”「ママ僕を離さないで。」と言いました。でも、お母さんは、人生の中で一番辛い決断を一瞬の内にくだしました。『二人抱えていては、全員死んでしまうu。お兄ちゃんの方が離しても生きるチャンスは大きい。』と。そして、しがみつくお兄ちゃんの指を引き剥がしました。

彼女と下の子は、その後バーの椅子にしがみついて生き残りしました。そして、お兄ちゃんは・・・
なんと、ホテルのドアにしがみついて生き残り、家族全員が生きてオーストラリアに戻ることができたそうです。

この話を、長男にしたら「僕だったら、ママを一生許さない!」と力をこめて言っていました。日本人の友達は「私だったら、二人の子を抱えたまま死ぬ。」と答えた後、「こういう発想って、やっぱり日本人の一家心中の心理かしら?」と言っていました。でも、いざとなったら案外、子ども達は、うっちゃって一人だけ生き残っていたりする可能性もなきにしもあらず・・・。と考えつつ神戸震災に遭った友達のことを思い出しました。

彼女は、地震直後、気づいてみると脇に寝ていた二人の子を置いて自分だけ庭に一人で立っていたそうです。後から子煩悩なご主人が二人の子と一緒に外に出てきたそうですが、「自分が、どんなに薄情な人間か思い知って愕然とした。」と言っていました。さて、貴女ならどうすると思いますか?

息子3人を戦争で亡くして

昨日ピアノの調律に来てくれた方が、たまたま日本人でおしゃべりに花が咲きました。50代位の方でしたが、北朝鮮から帰ってきた曽我さんの話になった時、こんな話をしてくれました。

「私の母は、戦争で3人の兄を亡くしているんです。とても優しい兄達だったそうです。私たちは、当時山口県に住んでいたのですが、兄が九州の小倉という所から出兵することになりました。母と祖母は南方に送られるという兄に一言でも別れを告げようと一昼夜、汽車に揺られて小倉に向かいましたが、ようやく着いた時に兄は既に出征した後だったそうです。兄の一人は、終戦当時生きていたそうですが、上官の生きて帰るのは恥だと言う有無を言わせない命令で兄は自決させられたそうです。

その後、遺骨になって帰ってきた兄を迎えに行くために母と祖母は喪服を用意していたそうですが、名誉の帰還なのだから喪服は着てはいけないというお達しがあり、喪服さえ着られなかったそうです。その母も今、80を過ぎていますが、今、曽我さんが国の犠牲者として国賓扱いで戻ってくるのをテレビで見ると喪服を着て出迎えられることもなかった兄のことを考えて、時代が違うのだからと自分にいくら言い聞かせようとしても、どうしても腹立たしく不条理なものを感じるそうです。」

この話を聞いて、私たちの世代は曽我さんの帰国の様子を見て素直に喜んでいるけれど、50年以上も前にことにはなるけれど国の犠牲になって若い命を落としていった人達、家族を亡くした人達にとっては、苦しい記憶が戻ってくるんだ、そういう見方もあるんだ、と考えさせられた。