長男の卒業式

昨日は、長男のIntermediate Schoolの卒業式でした。(小学校が5年までで中学が3年までなので、日本に比べると中学の卒業式が一歳若いことになります。)

卒業式は、快晴の中、近所のハイスクールのフットボール競技場で行われました。$17で学校を通して買ったおそろいのガウンを着て、一人一人壇上に呼ばれ卒業証書をもらっていきます。(左の写真に写っているのは、全卒業生の内の半分で、ちょうど相対して、後の半分が座っています。)アメリカの卒業式だから、きっと、あまり統制の取れていない式になるのではないかと思っていたのですが、3日間も練習したというだけあって、なかなか整然とした卒業式でした。
卒業証書をもらう時に、ウヤウヤしくおじぎというのは勿論なく、学長から片手で受け取り片手で握手です。中には、おどけて学長に抱きつく子もいました。

そして週末の今日からは、色々な友達の家で行われる卒業パーティーに渡り歩くことになるようです。息子は、今のところ金曜日、土曜日、日曜日と毎晩6時頃から10半位までパーティーの予定が詰まっており、私は、いつものごとくタクシードライバーと化すことになります。

赤い月


日本では、既に映画にもなりテレビドラマ化もされたということで、かなり出遅れていますが、久々に時を忘れさせてくれる本に出会いました。作家なかにし礼氏の母親がモデルになった小説です。(その後、映画版を見たのですが、まったくガッカリさせられるものでした。是非是非、本の方を読んでみてください。)

日本の中国侵略、大戦への突入という時代の大波に乗り満州国で大成功を納め栄耀栄華を手に入れたように見えた主人公波子が、日本の敗戦とともに一夜にして財を失い、大陸に放り出されながらも二人の子ども達を守り抜くために生きる姿は、読みながらドキドキしてしまいます。
この本を読みながら、私は、SweetHeartで、推薦してきた、今も80歳を過ぎて、ご自分の体験を語り続けている井筒さんの自伝「大陸の花嫁」の情景が常に重なっていました。というのは、なかにし礼氏の母と、井筒さんは、全く同じ時に同じ場所で生きた女性だからです。

二人ともロシア軍の突然の侵攻に遭い、子どもとともに恐怖に怯えながら逃避行をしますが、波子の逃避行は、持てるものとして札束をどっさりと隠し持って軍用列車で行われます。井筒さんの逃避行は、日本軍に見捨てられた貧しい民の1人として乳児を抱えながら極寒の果てしない大陸の荒野を徒歩で行われます。

「赤い月」の中で、波子たちの乗った特別避難列車が、途中、ボロボロの衣服をまとい、同乗させてくれとすがりつく開拓農民達を振り払って走り去る光景がありますが、正にこの場面は、人間が極限状態に置かれた時に、どうなってしまうのかということが辛らつに描かれていると思いました。

そんな二人の違いを読み比べながら、この本を読むと、さらに人間、時代、命、お金、生き方、さまざまな面から考えさせられます。

しかし、この二人の大きな共通点は、二人が生きて日本の地を再び踏むことができたこと。そして、それは、「生きたい。」という強靭な意志と「この子を死なせてなるものか。」という母としての強さが可能にしたということです。強い意志の力は、時には生死をも分かつのではないかと信じられる二人の人生です。女は強し、母はさらに強し・・・力も与えてくれる本です。

運命の足音


五木 寛之 (著)

昭和20年12歳。広大な中国大陸に孤児となり取り残小さい弟の手を引き、地獄絵のような状況の中を日本に引き揚げてきたされた五木寛之氏の自伝です。その記憶はあまりに辛く、長く語ることも振り返ることさえもできなかった著者が、時を経て初めて振り返った過去の中で人の心、人生の選択と決断、生と死、運命などについて綴った非常に深く考えさせられるエッセイです。

おすすめ本で紹介している「大陸の花嫁」は20代のごく普通の女性が母としての立場から語り、「赤い月」は位の高い者からの目で、そしてこの「運命の足音」は当時12才の子どもの目から、戦争、引き揚げが語られています。どの立場から語られていても、悲惨な歴史の1ページです。