隣のライバルー人間の悲しいサガ

私の住んでいるS区と隣のM区の学校は、何かにつけて対抗意識を燃やしています。フットボールの対抗試合が近くなると車の窓に”Beat S”、”Beat M”などと白い簡易ペイントで書いた車も見かけるようになります。

最近ではS区の中学生がM区の中学生に喧嘩を売られ乱闘の末一人が鼻の骨を折った、などという実しやかな噂まで耳にしました。

念のため書いておきますが、S区もM区もごくごく普通のアメリカ郊外の似たような町です。

大体S区とM区が争う理由など、何もないのです。唯一の理由は「お隣同士」という理由のみ。(仮に昔に何かあったのだとしても、今ではその理由は忘れ去れているのに、お互いにいけ好かないう意識だけが代々引き継がれて残っている場合もあるのかもしれません。)

日本でも隣町の中学生の不良同士が喧嘩騒ぎなどという話は、何度も耳にしたことがあります。

町境、県境、そして国境を隔てて理由なき対抗意識を持つのが人間の悲しい性なのかもしれません。または両面のコインで、人間は一定グループへの帰属意識を強く持ちたいと思っているものですが、そう強く思えば思うほど、他のグループを嫌ったり、競争意識を持ったり、排除しようとする力も強くなってしまうのかもしれません。

日本Vs韓国、ドイツVs.フランス、イランVs.イラク。お隣同士でいがみ合っている国がたくさんあります。これは国同士の覇権問題もあるのでしょうが、隣同士仲の良い国を見つける方が大変なのではないでしょうか。

ロミオとジュリエットはお互いの家、モンタギュー家とキャピュレット家の諍いの末に若い命を散らしたわけですが、シェークスピアはそんな人間の愚かさを見抜いていたんでしょうね。

雨の鎌倉&スーパー主婦

 


kamakura.jpg【鎌倉デビュー】

数日前にも書いた通り、日本は新型インフルエンザで集団大パニックを起こしている時ではありましたが、そんな中、短いながら里帰りを果たし、親しい友人達と鎌倉に行って来ました。

鎌倉にはずっと行きたいとは思っていたのですが、毎年、日本に帰るのは皮膚呼吸ができないほど蒸し暑い真夏で、クーラーのある所以外は、どこにも行く気力がありませんでした。

今年は短いながら初めてクーラーも暖房も要らないという時期に帰国することができ、念願の鎌倉を訪れることができました。

あいにくの雨だったのですが、「鎌倉は雨もまたよし。」新緑が雨に濡れて実に美しく印象的でした。アジサイも咲き初めていました。アジサイはアメリカにもあちこちの庭に咲いていますが、やっぱり日本で見るアジサイはどこか可憐です。

以前、日光を訪れた夫が、「日本の自然はたとえば木々の葉、一葉にしてもどこか繊細で、アメリカの自然のダイナミックさとは全く違うものがある」と言っていたのですが、その通りだと久々に日本の自然の中を歩いて思いました。

又、普段の鎌倉は観光客がゾロゾロと狭い道を列を成して歩き、あまり情緒がないとのことでしたが、その日は雨のおかげで観光客もかなり少なく、久々に日本の情緒をたっぷりと味わうことができました。

 

【スーパー主婦】

ところで、一緒に行った友人の一人は神奈川県の農家に嫁いでいます。農家の嫁は大変だと聞いたことはありますが、彼女の日常も半端じゃなく大変です。

朝は、5時ごろからまず飼っている鶏やら孔雀やらの餌やりから始まり、朝食は子ども達、夫、舅姑の朝ごはんの仕度。それぞれに時間が違うので味噌汁を温めること3回。

その後、掃除洗濯、季節によっての農作業。春先などは地下足袋履いて裏山の急斜面にはいつくばって登りながら筍堀をするんだそうです。(地下足袋を履くのは足の指で筍を探し当てるため(^^;

通称竹寺、報国寺でも竹を見ながら「あの竹は今年出た若竹。見分け方は・・・」「あっちは結構古い竹、なぜなら・・・」などと、さすが農家の嫁の解説は視点が違ってためになる、ためになる。

蚊に好かれる私が、いきなり顔を食われた時も、「あの貯め水の中にボウフラがいるから。金魚やおたまじゃくしを入れてやるといいのよ。」と私には考えも付かないスーパー主婦の常識コメントに、ただひたすら感心・感心の連続でした。

彼女の1年は、もちろん田植え、稲刈、野菜作りなんでもあり。今回も自宅の畑で朝取れたばかりという空豆をゆでて持ってきてくれました。(おいしかった~)

毎年、取れたお米は少し分けておいて、自分で米麹から作って、味噌も自家製。

その上、町の顔役なので、色々な町内会の雑事もこなし、こどもたちの学校の役員もやり。

夜も、家族それぞれの帰宅時間に合わせて3度の食事の準備。やっと家事終わると11時。そこから、趣味のブログをやって・・・

「一体、毎日睡眠時間、どの位よ?」

と聞いたところ、「4時間」との答え。ひっくりかえるほどビックリしました。

なんと言っても、結婚してから一度も寝込んだことがないそうです。38度の熱があってもお姑さんが「早く終わりにして寝なさい。」と言うんだそうです。

えらい!!!えらすぎる。同じ平成の御世に住んでいるとは思えません。

【上記スーパー主婦のブログー姫のつぶやき】

農家の嫁の日常生活が写真たっぷりで紹介されてます。

鎌倉プチ旅行の美しい写真をたくさん掲載してくれてます。この日もカメラマン役、運転手役、ツアーガイド役、全てをやってくれました。もう彼女に足を向けて寝られません。

http://plaza.rakuten.co.jp/hime3516/diary/20090523/  から見ると農家の嫁がプチ旅行に行くのも、どんなに朝から大変かがわかります。

社会に教えられた幸せ

一流企業のサラリーマンを辞め、禅僧になった方のコメントから。

ある本の中にあった、以下のような考え方に衝撃を受け、仏教に興味を持ち、やがて僧侶になってしまったそうで。

☆☆幸せとは☆☆

社会には「これが幸せですよ」というモデルがあって、私達はそのモデルに取り組みがちで、そのモデルに乗れば幸せだ、と。「でもそうじゃないでしょ」と仏教は言っていると思います。「それは、あくまでも社会から教えられた幸せであって本当のあなたはどうなの?」と。

☆☆

【社会から教えられた幸せモデル】

特に今の世の中メディアの影響が大きいかな、と私は思います。テレビや雑誌ではいわゆる「社会の幸せモデル」をガンガン突きつけてきます。たとえばメディアで紹介される社会的に成功した人達の話題、インタビュー、テレビや映画に映し出される虚飾と幻想の世界。

知らないうちに幸せとは、こういう場所に行って、こういう生活をして、こういう食べ物を食べて、こういう洋服を着て、こういうバッグを持って、こういう学校に入って、こういう職業について・・・・そうすれば幸せだと洗脳されているような気がします。特に、現代人、そして子ども達は、ありとあらゆる情報が渦巻く情報のトルネードの中にいて、自分の本当の幸せとは何なのか見えなくなっているし、一歩立ち止まって考える時間さえないのではないでしょうか?

息子達を見ていても、まったく何もしない、ぼーっとしている時間がほとんどないと感じます。空いた時間があれば、テレビを見るか、ネットをするか、Ipodを聞くか・・・必ず何かのメディアで埋めています。

ある時、ふと気づけば全ての時間が消え、年老いていて、ぼくの(私の)時間は一体どこに行ってしまったの?ということになるのではないでしょうか。

あー正に Michael Endeの本 「モモ–時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」の世界ですね。