日本の食卓風景と愛情表現

子供たちが大きくなるにしたがってスポーツや友達との付き合いで、食事の時間がバラバラになってしまうことも増えてきました。でも、どんな時間でも、ただチンするだけでも一応温めてあげて、こどもが食べている間は、一緒に座ってお茶を飲みながら、今日あったことなどを聞いたりします。(と言っても子供たちは早食いなので5分ほどで終わってしまうのですが。)

それは短い間でも私が大切にしている時間ですが、夫から見ると私が子供を甘やかしているように見えるようです。

でも、私にしてみると半分は意識的にしていますが、あとの半分は自分お母がそうしてくれたことを、ただ当たり前だと思ってやってきました。

子供たちのアメリカ人の友達の話を聞くと、ほとんどの子は、土日を除くと毎日お母さんがちゃんとした食事を作ることが、あまりないようで、毎晩コンビニのサンドイッチという子もいました。必ずしもお母さんが働いていて時間がないというわけではなく、スポーツ観戦などは熱心に夕飯時だろうとなんだろうと、何時間でも見ているお母さんたちです。

アメリカ人のお母さんたちは、子供たちへの愛情表現はとてもダイレクトだけれど、だからと言って子供に暖かい食事を作ってあげるのはまた別の次元のようです。だからアメリカでは、子供のランチと言えばピーナッツバター&ジェリーで、手間暇かけて”愛情”弁当などというものは、存在しないんだろうなと思います。

でも日本人にとっては(もちろん全員ではなく一般論として)、たとえハグやキスがなくても食事がひとつの大切な愛情表現なのではと、なんとなく以前から考えていたのですが、1年ほど前NHKで放送された日系アメリカ人として初のアメリカ閣僚となったノーマン・ミネタ氏の半生をドキュメントした「渡辺謙 アメリカを行く ”9・11テロに立ち向かった日系人”」という番組の中の、ミネタ氏の言葉に、やっぱりそうか!と思う一言がありました。

ミネタ氏は第二次世界大戦中、日本人収容所に入れられていた経験を持ちます。ミネタ氏がその時の過酷な体験を思い出しながら語っていたことなのですが、「日本人の家族というのは言葉でコミュニケーションはあまりしないが、一家団欒で一つの食卓を家族で囲んで食べることでアウンの呼吸のようなもので家族同士の心を通わせている。けれど、収容所では毎日大きな食堂で収容者全員で食事をとらされていたので、家族としてのプライバシーはなく、一家団欒の場が失われてしまった。それが日本人の家族の繋がりに大変影響を及ぼし、困難なできごとだった。」というような内容でした。

terau.jpg確かに日本のホームドラマでは、一つの食卓を囲んでコミュニケーションを取ってる風景が非常に多いですよね。その昔なら寺内貫太郎一家。いつも食事風景でした。去年放映された「梅ちゃん先生」でも、主演の堀北真紀ちゃんが、食事のシーンが多い日は、お腹がいっぱいになって大変だったとインタビューで答えていました。私の中にも、無意識の内に、そんな食事文化が浸透していたんだと改めて思いました。

ちなみに、ノーマンミネタ氏は911が起きた際に運輸長官を務めており、テロ直後、米国史上初めて民間航空機をすべて緊急着陸をさせています。また、その後、民間人が旅客機に搭乗する際の検査をイスラム系に対して厳しくしようとする社会の動き「人種プロファイル racial profiling」に対して、ミネタ氏は戦時中、日系人という人種によって選別され収容所に入れら、アジア系ということで差別された苦い経験から、同じような過ちを二度と繰り返してはならないとして、断固、人種や肌の色、国籍、宗教による区別に異を唱え、違法化しました。

今まで、飛行機に乗る度に、なんで明らかにテロリストじゃなさそうな人たちまでチェックされるんだ!効率悪い!と思っていたのですが、実は、その裏には、日系人の苦しい過去の経験があったのだと知り、納得できるようになりました。

ところで、もうすぐまた日系人の人権回復に寄与した一人Fred Korematsu氏の記念日です。