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By 菅原裕子

こどもの『生きる力を発芽させよう』というテーマで12回にわたって執筆いただいた菅原ゆう子さん。大変、好評だったため、引き続き、今度は『親の生き方』をテーマに執筆していただくことになりました。

子育てしながら自分の新たな面を発見したり、成長させられたりということがありませんか?今回は、そんなことを考えながら読んでいただければと思っています。・・・SweetHeart

 

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《プロフィール》
リーダーシップ、組織開発、コミュニケーションスキル、コーチングのコンサルタントとして述べ3万人以上の研修を全国各地で実施。経営陣から絶大な支持を受ける。また、親や先生に向けた研修「ハートフルコミュニケーション」を開発。最近では各地PTA、地方自治での講演も好評。著書に『聞く技術・伝える技術』(オーエス出版・2001年2月発刊)がある。

文部省認可生涯学習開発財団認定コーチ 労働省認定産業カウンセラー
URL: http://www.heartfulcommunication.com

《ご挨拶》
親として私達には二つの仕事があります。ひとつは自分自身の中に眠る潜在力を開発すること。そしてもうひとつは、子どもの「生きる力」を発芽させ、彼らが自分でいることを誇りに思えるようサポートすること。この時、親と子の両方の「生きる力」が育ちます。
親と子の生きる力を引き出し、日々のコミュニケーションにおいて親がどう子どもを受け止めるかを学べましょう。

 

第11章 心のもやもやを消すための未完了、完了キャンペーン

≪日常の小さなイライラ≫

落ち着いて物事が考えられない。何を選べばいいのか分からない。何を重要に考えていいのか分からない。自分の基準が定まらない等と感じることはありませんか? また日常的に、何かすっきりしない、小さなイライラを感じる、心が重い、心がざらつく、やらなければならないことがあるようで落ち着かない、気持ちがすっきりしない等という事はないですか。 これらははっきりとしたこれと言う原因がある場合と、これと言う原因があるわけではないが、何故かそう感じてしまう場合があります。これと言う原因がはっきり分かっていればその対処は可能ですが、そうではないときはどうしたら言いのでしょう。

≪日常の未完了≫

訳の分からないもやもやは日常の未完了から来ています。私達は毎日の生活の中で様々な未完了を残しているようです。例えば、人との会話の中で言いたい事があったのですが、つい言えなくて「ま、いいや」と我慢してしまう。とても大切なことから、小さなことまで、それがどんな重大なことであろうとなかろうと、言いたいことを完了しなかったのです。人にとても親切にされて心から感謝したのに、十分にその気持ちが伝えられなかった。感謝が未完了になってしまいました。人から借りた本がずっと借りっぱなしになっていて、催促されないまま今更返せなくなってしまっている。貸したお金が返ってこないまま、気にはなっていても返してと言えずに日がたってしまった。がんばっている息子に一言「がんばってるね。お母さん嬉しい」が言えなくて、「やればできるじゃない。頑張ってよ」と言ってしまって後悔している。 何年も前の引越し荷物が、荷解きしないまま放置されている。気になる押入れの整理が出来ていない。あみかけのセーターがそのままになっている。 もらった手紙に返事を書いていない。 机の上が整理できていない。やめようと思いつつ、タバコがやめられずにいる。

あなたのまわりで、完了できていないことはなんでしょう。私達は、生活の中に未完了が生じると、そしてそれが未完了のまましばらく放置されると、それに対する思いを自分の心の「開かずの間」に投げ込みます。見たくないので、見なくて済む様どこかに隠してしまおうとするのです。「開かずの間」に閉じ込められた未完了たちは、しばらくはおとなしくしていますが、次々と投げ込まれて居場所が狭くなるにつれて、心の中で暴れ始めます。それが先に上げたイライラだったり、落ち着きのなさだったり、考えが深まらない事の原因になっているのです。

≪対処法―未完了を定期的に完了する≫

そこで、私が若い頃に教わったこれらの症状の対処法をお伝えしたいと思います。「未完了、完了キャンペーン」の実施です。教わってから今日まで、私はずっと定期的に実施しています。 まず紙を一枚取り出してください。そこに思いつくまま気になっている未完了を書いて、キャンペーンリストを作ります。最近私がやったキャンペーンのリストです。

  • 玄関先の花を植え替える。(2週間以上気になっていた)
  • SOHOの机とパソコン台の位置を入れ替える。(動線が悪く長いこと気になっていた)
  • 請求書をまとめて整理する。(引き出しに押し込まれていた)
  • ○○さんに電話をして、様子を聞く。(ちょっとしたことで音信が途絶えていた友人。面倒で避けてきた)
  • 放ってあるメールに返信する。(面倒で避けてきた)
  • 古いジーパンを捨てる。(なんと20年も大切にしてきたもの。ついに穴があいてそれでも捨てられないでいた)
  • 父に手紙を書く。

リストが出来たら、さあはじめましょう。あれこれ考えないで、とにかくひとつずつ片付けていきます。上記のリストは、朝はじめて、15時くらいには完了しました。 私たちの日常は忙しく「そのうち」と思っているうちに、出来ないでいることがたくさんあります。2‐3ヶ月に一回はこのキャンペーンの実施で「開かずの間」をなるべく空っぽにするように心がけています。そうすると身近な小さい未完了がなくなり、イライラがなくなり、もっと大きな未完了に向き合う元気が出てきます。そして、いつも機嫌良く過ごすことが出来るようになります。

 

第11章 自分の考えを深める

人が深い考えを持っているかどうかは何で決まるのでしょう。長く生きたかどうかとか、そこでどれだけの経験をしたかどうかによってきまるのでしょうか。それもあります。年上の人、年配の人と話すと心が落ち着く体験をすることがよくあります。年齢と共に考えを深め、自分を良く知っている人との会話は癒しとさえ感じるものです。ですから、日々を重ねることはとても大切なことですが、実は、考えの深さや人としての深さは、必ずしも年齢や経験によるものだけではありません。それは、どの位日常で考えを深める努力をしたかと大きな関係があります。

前回考えを持つこと、そしてその考えを整理することについて述べました。そして考えを深めると言うのは、そこに感性が大きくかかわってきます。考えは私達の価値基準に左右されます。それはいくつかの考えの中からどれかを選ぶかと言うプロセスです。例えば前回のテーマからの例「学校(幼稚園)は行かなければならないのか」という問いを例にとって見ましょう。[当然行かなければならない][生きたくなければ行かなくても良い][行かないと世間体が悪い][行きたくないところへ言ってもいいことは起こらない]等など考え方はいろいろです。その中から私達はひとつの考えを選び、そのひとつに「イエス」を言った時、それが自分の考えになるのです。そしてそれを選ぶプロセスに感性が大きな影響を与えます。

感性は言葉にならないもの、感覚、感じ方、直感と非常につかみ難いものですが、実は私達の考えというのは、その論理性よりはるかにおおきな影響を感性から受けます。つまり、 なぜそうなのかという理由より、何故だか分からないけどそう感じる、という感覚的な物の方が強い影響を私達に与えるのです。そして、又感覚的なものは強い影響を与えるだけではなく、いざと言う時、論理的なものより頼りになることが多いのも事実です。誰にもそんな体験があるのではないでしょうか。理屈ではうまく説明はつかないのですが、直感でこれと決めたことがまさに正解だったと言うことが。私は考えを深めるひとつの方法として、感性を磨くこと、そしてそのために直感をうまく使うことをお勧めします。

直感をうまく使うためには、自分の感覚を鋭くしておくことが重要です。心をリラックスし、感じることを自由に感じられるよう心がけます。

そのための心がけについていくつかあげてみましょう。 身体−ベストな状態を保つ ベストと言うのは痩せてきれいと言う意味ではなく、持久力としなやかさがある状態です。どの状態がベストかを知り、その状態を保つよう自分をコントロールする。それはシンプルに暴飲暴食を避け、日常の中で身体を良く動かすと言うことです。特別なことをする必要はありません。

食べ物−ジャンクフードを避ける   ファーストフードやスナック、揚げ物やアミノ酸が添加された口当たりの良い食べ物なるべく避け、和食を中心にする。

テレビ   特別見たいもの以外テレビを避けて、その時間を読書やラジオ、音楽などより想像力を使うものにあてる。

会話   楽しい相手と会話を持つ。話しているとわくわくし、ひらめきがあるような相手と定期的に会話する。そういう相手がいなかったら、まずその人を見つけることからはじめる。そんな相手と会話していると、感性が研ぎ澄まされていきます。

リラックス   自分なりのリラックス方法を見つける。中でも瞑想は、身につけることはそれほど難しくない技術で、しかも練習すれば短時間で大きなリラックス効果が得られます。   ストレスがたまった時、暴飲暴食や買い物などで解消するのではなく、リラックスすることで解消する術を学ぶ。

環境   住んでいる環境を整えます。人から見てどうかではなく、自分が気持ち良くすごせる環境を作ります。溜め込んでいるごみは捨てましょう。家の中から不必要なものは排除し、気持ちの良いところに住みます。

自分の感じ方を信じる   以上のやり方で自分自身を良い状態にしておくことができた時、あなたは自分のひらめきを信じても良いでしょう。体調が悪かったり、リラックスしていないと良いひらめきはやってきません。良い状態を作れば、ひらめきを信じても大きく外れることはありません。

準備ができたらひらめきがやってくるのを待ちましょう

 

第10章.自分の考えを持つ

一人の人間として、また一人の親として、何につけて重要なことは自分の考えを持っていることです。古き良き時代の私達の暮らしは、家長を頂点とし年寄りも一緒に暮らして、折に触れ先人達の考えに触れ、最終的には家長の考えや判断を当てにすることが出来ました。ところが核家族化が進み、またその中でも一人一人の個立化が進むと、さまざまな状況でどう判断し、どう物事を決めるかを人から学ぶ機会がどんどん減ってきました。つまり身近なところからの有益な情報があまりないのです。

ところが、そのかわり情報化の波は私達に膨大な量の情報をもたらします。しかもその情報は、当然のこととは言え一貫性がなく、どれを信じれば良いのか分からない人にとっては混乱のもと以外の何物でもありません。そんな体験はありませんか。人によって、また情報源(本・雑誌・テレビetc)によって言うことが全て違い、いったいどうしていいか分からない。

そこで重要となるのは、自分の考えを持つことです。理想は基本的に自分の考えを持ち、それを確認するために、外部からの情報を使うというやり方です。自分の考えを持っていれば、その考えを軸足にさまざまな見方を検討することが可能です。ところがその軸足を持っていないと、そのたびに情報に振り回されて迷うことになります。とくに子育てにおいては、いままで考えることのなかった様々なことに、はっきりとした見解を表明しなければならない状況に出くわします。

良く質問を受ける事柄のひとつが不登校です。先日も幼稚園での講演の折に質問を受けました。「子どもが登園をいやがるがどうしたら良いのだろう」というものでした。こういった事に出くわすと、親ははっきりとした考えを持って事にあたらないと、子どもの将来に影を落とすことになりかねません。「そんな事は分かっている。だけどそもそも、その自分の考えなるものを持っていないから悩むんだ」と思う人がいるでしょう。自分の考えを持つというのは多少の訓練が必要です。

ここでひとつ、不登校を例にとって自分の考えをまとめる訓練をしてみましょう。

子どもが学校(幼稚園)に行きたがらない

  • 自分が子どもの頃はどうだったか。

自分は喜んで行っていたかどうか。もし、自分も学校は好きではなかったとしたら、子どもの気持ちは良く理解できます。自分は学校が好きだったという人は、子どもを通して別の見方を学ぶチャンスです。

  • 学校(幼稚園)は行かなければならないのか。

何のために学校へ行くのか。行かなければどんな都合の悪いことが起こるのか。いやいやでも行く価値はあるのか。学校へ行くメリットとデメリットをいろいろな観点からリストアップして見ます。?

  • 子どもが学校へ行かないとしたら、子どもに何をさせるか。

人は幼少期に何をする必要があるか。そもそも幼少期はどのようなときなのか。この事が分かればそもそも学校へ行く必要があるのかどうかが見えてきます。

  • 学校へ行かない代わりに、子どもにいろいろ体験させる方法は何か。

家にだけ居させることが良いことか。他に行くところがあるとしたらそれはどこか。家庭が学校の機能も果たせるとしたらそれはどんなやり方か。

等の事柄について、考え、本を読み、インターネットで情報を取り、体験者の話を聞き、自分の考えをまとめます。基本的な考えがあれば、そこから考え方を成長させることが可能です。

「子どもが今日学校へ行かないと言っているのに、そんな事をして悠長に自分の考えをまとめてる暇なんてない」を思う人がいるかもしれません。もしあなたがその人なら、あせらないでください。子どもは休ませておいて、自分の課題として取り組んで見ましょう。12ヶ月もすれば少しまとまってくるのではないでしょうか。その都度まとまったことを子どもにも聞いてもらうというのはどうでしょう。

そして、ひとつの考えを持つためには援助してくれる人も必要です。パートナー、夫、妻、コーチ、共通の価値観をもつ友人など「それで大丈夫。一緒にやっていこう。いつも一緒にいるよ」とメッセージしてくれる人を側においておきましょう。心の支えになります。

ここでは不登校を例に取りましたが、子どもが育つプロセスではもっとたくさんのテーマがあります。その一つ一つを避けずに、考えをまとめてみましょう。

 

第9章.思春期の子どもと暮らす

 思春期とはいつ頃のことだと思いますか。広辞苑によると「二次性徴が現れ、生殖可能となる時期。11歳‐12歳から16歳‐17歳ごろ」となります。私が娘を観察したところによると、小学校4年、10歳ごろから変化が見られたように感じます。それまで服装や髪型に無頓着だった彼女が突然、髪型を整え始めたのが始まりでした。そして彼女はまもなく17歳。この年齢の子どもと一緒に暮らすのは、まるで毎日ジェットコースターに乗っているようなものだと多くの親は感じているのではないでしょうか。悩まされている親も多いと思います。

10歳ぐらいまでの子どもとの暮らしは、かなり親によってコントロールできます。ところが10歳を過ぎる頃から事情が変わってきます。精神的にも肉体的にも成長しつづける彼らは、親の予想を越えた考えを持ち、親がやったことのない行動にでます。まして世の中が激変する今日この頃、昨日の常識が明日は非常識と言う毎日です。情報はあふれ、子どものほうがそのあふれる情報を手にする術を知っている状況の中では、親は事前に何が起こるかを予測することは難しいのが現実です。課題はいろいろありますが、犯罪に関するような問題は別の機会にお伝えしたいと思います。ここでは日常、誰にも起こり得る身近な問題を取り上げましょう。とは言え、犯罪とそうでない日常の問題が、紙一重で見分けが難しいと言うこともあります。

 思春期の子どもと暮らす心得 その1

自分にもそんな時期があったことを思い出す

「私はあんなにひどくなかった」と反論を受けそうです。現に私の友人の一人はそう言いました。誰にも自立の時はあり、それぞれどんな反応を示すかは人によって違いますが、必ず自分を親から切り離すための心の葛藤を乗り越えています。自分のことは良く分からないものですが、やはり思春期の頃、訳のわからないイライラや焦りを感じたのではないでしょうか。私の場合はイライラや不安が強かったように思います。「そんな事で!」と自分でも思うようなことで腹を立てたり、将来はどうなるのだろうと不安に感じたりしたものです。娘が私の意味のわからないことでイライラしていたり、乱暴な言葉使いをしても「そういう時期なのか」とこちらがかっとなったりすることはありません。ですから、あまり彼女の態度が良くないときは、冷静に話し合えるので不必要な感情のぶつかり合いを避けることが出きるのです。不必要な感情のぶつかり合いを避けることができれば、問題を大きくすることがないと思います。この頃の子どもの感情的な不安定さによる問題は、まわりや親がそれに対して感情的に反応して増幅されるのではないかと思います。

 思春期の子どもと暮らす心得 その2

いつかは落ち着くことを知る

自分がかつてはそうであったことを思いだし、冷静に対応することが出来たら、次ぎにいつかは落ち着く日がくることを知ってください。親からの精神的自立が進み、将来が見え初めてくる頃、彼らは落ち着きを取り戻します。だからそこ親は自分が子どもにとってのコーチであることを意識し、子どもの自立をサポートしなければなりません。実は親がコーチの役割を果たしているとき、根本的に子どものイライラは起こりにくい環境が出来ているのです。また、将来に夢を持って、進路を決めている子どもほど不安が少なく、自分の夢のほうに向かって努力出来ます。

 思春期の子どもと暮らす心得 その3

子どもを良く知り、観察を欠かさない

問題のない健康的な思春期を送っている子どもにも、時として犯罪を犯してしまう可能性が常にあることを知っている必要があります。例えば、援助交際や盗難(万引き)などは身近に起こり得る問題です。もし、あなたの子どもが万引きをしたと警察から電話があったらあなたはどうしますか。私の友人の話です。彼女はある日その電話を受けました。彼女が住む町からはるか離れた町からです。彼女は知っていました。高校生になる息子が、思いつきと好奇心と友人達との軽い会話の中で万引きに参加したことを。万引きで警察に連行されると言う不名誉なお仕置きを受けることで彼は充分学び、二度とそのようなことをしないことを知っていました。彼女は彼に自分でそのお仕置きを充分体験して欲しいと思いました。警察は親が迎えに来れば、重大な犯罪ではないので、即刻解放しますと言ったのですが、彼女は迎えに行かないことを選択したのです。彼は十分お仕置きを受けました。彼女は息子をよく知っていました。そしてその状況をよく観察し、一番いいと思うことを選択したのです。でも彼女のような選択は、日ごろから子どものことをよく知っていないと出来ないことです。どんなによく知っていても、どんなに観察していても、子どもに関しては何でも知っているというのは不可能です。でも、親はいろいろな状況でもっとも適切な選択をする必要があります。それをするに十分な観察は欠かさないようにしましょう。 

以上三点が日ごろ私が気をつけていることです。こんな配慮をすることで、彼らに振り回されず、彼らの青春を一緒に楽しむことにしましょう。

 

第8章 否定的感情との付き合い

先日ある小学校の講演に招かれたときの話です。5年と6年の父母を対象に企画された講演です。早めに到着した私は参加者の皆さんが到着するのを講堂の隅で待っていました。するとやはり早めに来たらしい一人のお母さんが講堂に入ってきました。「こんにちは」と声を掛けると驚いたように小声で挨拶を返してきました。椅子にかけるといきなり持っていたショッピングバックから毛糸だまをとりだし、せっせと編物を始めます。「編物ですか」と尋ねる私に「編物でもやって手を動かしていないと気が紛れなくて」と私のほうを見る事もなくそう答えます。私のその日の講演は「ハートフルコミュニケーション」親のためのコーチングセミナーです。成長する子どもに対して、親は保護者以上にコーチとして子どもの潜在力や生きる力を育てるための考え方や技術を提案する講演です。そんな話をするためやってきて、出会った最初の人がそのお母さんだったのです。まず私は、そのお母さんの子どもを気の毒に思いました。初めて会う人にさえこんな態度を取る人です。きっと、心を許した子どもにはもっと不幸な顔を見せているのではないでしょうか。見知らぬその子の幸福を願わずにはいられませんでした。

昨日、友人からメールが届きました。フルタイムで働く彼の妻が最近荒れているというのです。子どもの前でかなりお酒を飲み、楽しいお酒ならいざ知らず、酔った勢いで会社や同僚の愚痴をくどくど並べ立てるそうです。二人の寝室に入り、自分が聞くから子どもの前ではそのような態度は差し控えて欲しいと頼むと彼女は荒れ狂います。彼女も自分を持て余しているのではないかと彼は心配します。

このような否定的な感情をもてあましている人達に出会うと、世の中のほとんどの人達はどうやって「いやな気分」や「落ち込み」「憎しみ」「嫉妬」「恨み」を処理しているのだろうとつくづく考えてしまいます。子どもは親が何を感じているかに敏感です。幸せにも不幸にも。そして、親の気分の影響を受けやすいものです。落ち込みはほとんど自分を責めているときに感じます。自分がふがいない、情けない、自信がない、充分でないなどと感じると落ち込んでしまいます。憎しみや嫉妬、恨みは人に向かいます。ところが、その思いが誰に向いていようと、自分の中で感じている否定的感情は全て自分を破壊する力を持っています。「私はダメだ」「あいつが憎い」「あんな人は不幸になれば良い」などと思うとき、問題は深層心理で起こることです。意識の深いところで、私達は主語を認識しません。つまり、「私」も「あいつ」も「あんな人」も全て自分のこととして認識されてしまいます。「憎しみ」は自分に対する憎しみになり、人に対する嫉妬は自己否定になってしまうのです。そしてそれは身近なところでともに生きる子どもにも破壊的な影響を与えます。

自分と自分の身近なところで生きる人達のために、否定的感情との上手な付き合い方を学びましょう。そこで私の処理法をひとつ披露します。私はいつも想像の中に、私の相談に乗ってくれる人を持っています。その人は家族であったり、友人であったりと何人もいます。誰を相談相手に選ぶかは問題によって変わります。共通しているのは、私はその人達が大好きです。彼らは私を癒してもくれますし、時には厳しいことも言ってくれます。あなたの想像の中に相談相手を育ててみませんか。彼らはとっても頼りになります。そして、次のようなプロセスで否定的感情の処理を手伝ってもらいます。

@まず、否定的感情に気づく事から始まります。「腹を立てている」「落ち込んでいる」「不幸せ」などと感じていることをはっきり気づきます。そして声に出して言います。A何が自分にそう感じさせているかを突き止める。「あの人に言われた一言」「子どもの成績」「お金の苦労」など自分をいやな気分にさせたきっかけを思い出します。Bそのことについて心の中で相談相手と話し合います。とことん話し合います。その相談相手が何を言うかをよく聞いてください。「よしこれで皆に気分良く会えるぞ」と思うまで。気分が変わらないときは、あなたが相談相手に選んでいる人が間違っているのかもしれません。心の中の相談相手を何人も持てると良いですね。

 

第7章 親離れ・子離れ

ハートフルコミュニケーションの活動のひとつとして、ハートフルコーチ養成講座を開講しています。ハートフルコミュニケーションで提案しているさまざまな概念やものの見方を議論し,自分自身の体験と照らし合わせながら「コーチとしての親」「子育てを楽しみ、自分の人生の充実を計る生き方」を一緒に考えます。同時に、ある時期、子育てや自分の人生革命の伴走者を求める人達のコーチとして活躍していただきます。今年の講座には4人の方が参加中です。Aさんはすでに子育てを終え、現在まだまだメジャーではない素晴らしい才能を世に送り出すためのさまざまなプロデュースを企画しています。Bさんはフリーのアナウンサーです。2年ほど先に出産を望んでいて、それまでにできる限りの準備と、同時にコーチとして若いお母さん達の援助が出来ることに燃えています。Cさんは子育てとキャリアを両立してきたいわゆるバリバリのキャリアウーマンでした。(過去形です)この春、今後の自分のキャリアは自分自身でデザインしようと会社を退職し、小さな船で大海原に乗り出したばかり。楽しそうです。Dさんは3歳と5歳の子育てと格闘しながら、自分の今後の生き方を模索し、コーチとして活躍しながら修行を積んでいます。

これらのメンバーの親離れ・子離れを「自分の親と、子どもとしての自分」という立場で分かち合ったときの話を披露します。皆で「あの時が最終的親離れ・子離れだった」という体験を話し合いました。私とAさんは自分のほうから親離れをしたタイプです。例えば私は18歳で家を離れました。親に仕送りをしてもらい学校に通ったのですが、アルバイトを見つけて働き始めると、仕送りを半分に減らしてもらいました。母は学業と仕事の両立に心配しましたが、それが私の自立の最終仕上げである経済的自立の始まりでした。BさんとCさんは親のほうからの子離れを体験した人達です。Bさんの親は彼女が大学に入学するため東京に引っ越すとき、彼女に一枚の書きつけを手渡して言ったそうです。「あなたを学校にやるために山を売り、家にはもう何も残っていません。まだ、弟もいるしあなたにはこれからは自分でやっていって欲しい。必要なお金は自分で稼いで自分の生活を立ててくれ」何よりそれを書付にして渡されたことがショックだったと、彼女は話してくれました。彼女が東京で最初にしたことは仕事を探すことだったそうです。だからこそ、彼女は働くことをとても大切に考えています。Cさんの場合も経済的な自立でした。就職して、始めての給料が入金された貯金通帳を見せると「あら、ちょっと通帳貸して」と母親は彼女の通帳を持っていきました。気づくと翌月から彼女の部屋代、光熱費等全てが彼女の口座から引き落とされるようになっていたそうです。Dさんの親離れだけがちょっと違いました。彼女は親の過干渉で育てられた人です。幼い時から全ての選択を親がして、彼女が何かを決めることのない生活でした。幼い頃の精神的自立も二十前後の経済的自立も意識できないまま、その後の自分が体験する生き難さに悩んだと言います。

次に「親としての自分の子ども」の自立の話になったとき、Aさんは専門学校を卒業した息子から、通勤距離圏内でありながら勤め先の寮に入ると宣言されたことを話しました。「この子はもう帰ってこないんだな」と実感したといいます。そしてそれがこんなに自分を自由にしてくれるとは夢にも思わなかったと。羽根の生えた彼女は、まだもう一人いる息子と夫を残し,毎月海外に出かけます。

自分がどんなやり方で親から自立したかを思い出してみてください。あなたの今を肯定する材料になるでしょう。そしてそれはまた、子どもをどう自立させていくかの心構えにもつながっていきます。そして、はっきりとした自立を体験していない人は、今がその時かもしれません。

第6章 やり直し

やり直しにかかる時間

「子どもがもっと小さいうちにこのお話を聞いておけば良かった」 講演などで良く聞かれる言葉です。ハートフルコミュニケーションは体験型講演です。一方的にお話を聞いていただくだけではなく、子どもをどう受け止めるかを体験していただきます。そのちょっとした簡単なコミュニケーション技術に「え!こんなに簡単に心を開かせることが出来るの」と参加者の親達はびっくりします。そして後悔にも似た言葉を漏らすのです。「もっと小さいときからこれをやってやれば良かった。もう遅いでしょうか?」この質問に対する私の応えはいつも「人間いくつになっても遅いと言うことはありませんよ」です。ただし、子どもが大きくなるにつれて子どもが自然に親に心を開く状態にするのは時間がかかります。幼いうちはほんの一瞬親が対応を変え、それを習慣付ける努力をすれば非常に短期間で子どもと心が通うのを感じることが出来ます。つまりやり直しにかかる時間が少なくてすむのです。ところが大きくなればなるほど、その時間は長くなります。仕方がありません。長い時間をかけて子どもの心を受け取らずに来た分、やり直しも時間がかかるのです。

 

心を通じ合わせるためのコミュニケーション技術

子どもが心を開き、親子で心を通じ合わせるのに技術が必要かという議論があるかもしれません。私の応えは「イエス」です。親がコミュニケーション技術を知らないがゆえに、子どもが小さい頃から親に受け止められずに育つとしたら、それは一人の人間の深い孤独感を育てることになります。そしてそれを防ぐのは、ほんのちょっとした技術を知っているかどうか、それを使うことが出来るかどうかです。

子どもとの関係をもっとよくしたい。子どもにとってもっと良い親でありたい。より良いコミュニケーションをもちたいと思いながら、なかなかやり直しに取り組まない親達がたくさんいます。ある小学4年の男の子を持つお母さんのケースです。とても素直な良い子でしたが、ここしばらく「お母さんに言っても仕方ないから」といろいろなことを話すのを避けるようになりました。お母さんは「男の子は大きくなってくると親にものを言わなくなるのよね」と何事もなかったかのようにその状態を見送っていました。ところが講演での体験で彼女は始めて自分が子どもの話を聞いていないという事実と直面したのです。子どもは盛んにお母さんにサインを送っていたのですが、お母さんはそれを真剣に受け止めていなかったのです。やり直しの第一歩が事実と向き合うことなのです。事実と向き合うことは時には大変な勇気を必要とします。だから、そこには何の問題もないような振りをして、問題を大きくしてしまう例が少なくありません。親が自分自身を育てなおしたいと思うときも同じです。楽なほうへ楽なほうへと逃げずに、「何が自分にこうさせるのだろう」「何があれば自分はもっと充実していると感じるんだろう」と自分にはいまだ見えていない事実に気づき、それと向き合うことが必要です。ほんのちょっとした勇気がそれを可能にします。

私達親は子育てに悩みます。でもそれは子育てそのものより、そこで体験する自分の自信のなさや、決断力のなさ、愛することへの不安が子育てを通して表面化するだけだと私は思います。もし、子どもを持たなかったら出会わない自分の弱さと出会っているのでしょう。だから、子育ては子を持った人にのみ許された自分育てのチャンスなのです。このチャンスを利用してやり直して見ませんか。

 

 

第5章 自分らしさの表現

その昔、松田聖子が超アイドルだった頃、街は聖子ちゃんカットであふれていました。また、安室奈美恵が若い女の子のカリスマ的存在であったとき、町にはたくさんの安室もどきが闊歩しました。男の子はと言うと、ズポンをずるっと腰の下のほうまでおろしてウエストあたりに下着のパンツを覗かせるあの格好が流行ると、街いく若者は全てジーンズのすそを引きずって歩き、心配性のおばさんは思わず息子のような男の子にかけより、ズボンをあげてやりたくなったものです。どの時代にも流行というものはあります。ところが最近のそれは、流行の服を身にまとって楽しむというよりは、他と同じでなければ不安を感じる傾向が強く現れているように感じます。そこには自分らしさを表現する努力より、人と同じでいてのけ者にならないことで安心を得ようとする涙ぐましいサバイバル意識を感じるほどです。

ある若いお母さんに相談を受けました。彼女は5歳の男の子と3歳になる女の子を育てていました。ご近所には同年齢のお子さんも多く、母親達の交流も盛んなようです。彼女の悩みはご近所の子どもたちの習い事です。まわりが競争のように次から次へと習い事を始め、その波に乗らないと自分の子どもだけが取り残されてしまうのではないかと不安になります。ところが彼女は、それほど幼い子どもにあれもこれもと習い事をさせる価値が見い出せません。にもかかわらず取り残される不安から他のお子さんについて教室から教室へと駆けめぐる自分が怖いと訴えます。

この若いお母さんも、皆同じ格好をして街行く若者も基本は同じです。世の中の流行を楽しんだり傾向を取り入れたりするではなく「他の皆がやっていること」に支配され、自分もそうしていないとまわりから取り残されてしまうのではないかと怖れているのです。つまり自分が何をしたいか、何をするかの基準が自分の中になく、それを外に求めた結果たどりついたのが、まわりと同じ格好や子どものお教室めぐりになってしまうのです。流行りの格好で街を闊歩する若者達にはまだ罪はありません。ところが、母親の不安からお教室に連れまわされる子どもはたまったものではありません。不安からのお教室通いですから、自分の子どもが他の子どもと同じように、あるいはそれ以上に出来ないと余計に不安は募ります。

私の友人の体験です。小学2年の子どもが工作が好きで、工作教室に行きたいとねだります。刺激になればと通い始めます。そこは親子が一緒に工作を楽しむというやり方で、子どもが製作している隣で親は一緒に時を過ごします。そこで出会ったある親子にいつも彼女は心を痛めます。他の子の作品と比べて多少でも見劣りがすると、その母親はそっと小声で子どもに指示を出します。「ほら○○君みたいにそこ赤にすれば」「○○ちゃんももう出来てるよ」それを聞くたびに、みなと同じ色で皆と同じ速さを求められるその子の心が音を立てて縮んでいくのが聞こえるようだと友人は言います。

まず親から自分らしさを大切にすることを始めましょう。なかには「自分らしさって何だろう」と考えてしまう人もいるかもしれません。そんな風に迷うとき、私は自分が幸せだと感じることだけに専念するようにします。楽しいと感じること、心地よく感じることです。不思議とそのときは競争も、誰かと一緒にでなければならない不安もありません。その瞬間を「これだ!!これ、これ。私が欲しいのは」とその瞬間を自分に根付かせてください。声に出して「これだ!!これ、これ。私が欲しいのは」。繰り返しているうちに自分らしくいられるときが増えてきます。そんな時です。私達が子どもにもその子らしさを認めてやれるのは。自分らしくいきることほど楽なことはありません。それほど幸せなことはありません。そう生きるために生まれてきたのですから。自分らしさの表現レッスンを始めて見ませんか。

 

第4章 可能性と柔軟性

さまざまなステップを持つ

「何が欲しいか、どうなりたいか」が分かって、現状がどうかの「気付き」がある時、その間を結びつけるのは具体的なステップです。そのステップは具体的な行動(何をするか)の場合もあれば、考え方(どう見るか)の場合もあります。これらのステップにたくさんの可能性を持っている人ほど、最終的に「欲しいもの」を手に入れます。つまり、欲しいものを手に入れる方法や、問題解決の方法をたくさん思いつく人ほど解決に近くなるのです。そして、そのすべての方法を一つ一つ試していきます。最終的に欲しいものが手に入るまで。

柔軟な発想を持つ

ところがその方法をいろいろと思いつかない人は、ひとつの方法だけにしがみつきます。そして、それがうまく行かないと「やっぱりだめだ」「何をやってもうまくいかない」と欲しいものや状態を手に入れるのをあきらめてしまいます。別の見方をすると、ひとつの方法にしがみついているから、ほかの可能性が見えないのかもしれません。こういう人は多くの場合「こうあるべきだ」という、非論理的な観念を持っています。(聞く技術、伝える技術、オーエス出版 第2章参照)非論理的観念とは、柔軟な発想を閉ざしてしまう考え方です。非論理的観念にとらわれている人は、自分にも他人にも決まったあるひとつのあり方しか求めず、それ意外は非常識と決め付けてしまうことが多いようです。生き方ややり方に創造性を生かさないのです。このような親に育てられた子供は、子供らしい自由な発想を許されず、枠にはまった子供らしくない「いい子に」育つ傾向が高まるか、反対にそんな親に反発する生き方を選んでしまいます。

いろいろな可能性を試すタイプの親

ハートフルコミュニケーションを学んで子育てに生かそうとする親が以上の2つのタイプに分かれます。前者のタイプは、例えば子供が朝一人で起きられるようにするために思いつく限りの方法を試します。(ハートフルコミュニケーションでは朝一人で起きることを例に、子供に責任を教えることをお伝えしています)起こさないと決めたのに、起きてこない子供を一人家に残し会社に出かけた親は、会社から学校の担任に電話をかけ「今日は遅刻していきますから来たら叱ってください」と寝坊の罰を受けるよう仕掛けたり。いろいろな方法を考えて試す親は多くの場合辛抱強い親がほとんどです。半年、一年をかけて一つ一つ親の望む事を子供に教えていきます。先日の講演には何回も参加してくださったお母さんが何人か来ておられました。そのお母さんの一人は「宿題しなさい」を言わなくても子供が自主的に取り組むようにしたいと思いました。あの手この手を使って4ヶ月かかったそうです。最近はお母さんが何も言わなくても、自分でやっているそうです。

いろいろな可能性を試してみた結果、どれかがうまくいくのです。

ほかの可能性を試せない柔軟性のない親

ところがもうひとつのタイプの親は、欲しいものははっきり知っていても、それを達成する方法についてはあまり柔軟性がありません。ひとつやってみてだめなら、ほかの可能性を試さないのです。そして「うちの子はだめだ」とか「実行するとなると難しくて」とできない理由を語ってくれます。そして最後には必ず「どうしたらうまく行くんでしょう?」と質問をするのです。彼らはひとつの方法ですぐに結果を出したいのです。やり方に柔軟性を持っていない人ほど、結果として必ず欲しいものが手に入ると言う可能性を見ていない場合が多いのも特徴的です。そして、その傾向は子育てだけではなく生活全般に現れてくるようです。

 

気づくこと

自分に対して、また子どもに対して「何が欲しいの? どうしたいの?」と前進の方向を見つけるための質問をする効用については前回述べたとおりです。前回の文章を読んで頂いて、その内容に反対を唱える人はあまり多くはないと思います。それは前回のシリーズ12回に関しても同じで、内容のひとつひとつが変だとか、意味がないと思う人はあまりいません。ところが、内容に納得し、そうしたほうが良いと分かったからといえ、人はすぐにそうするか、出来るかと言うとそれはまた別の問題です。

講演をするとよく聞く言葉があります。「子どもとどう接すれば良いかは分かっています。ところが言ってはいけないと思いながらつい言ってしまったり、やっちゃいけないと思いながらつい手が出てしまったりするんです」「子どもの自己肯定観を育てるためにも、自分自身を肯定的に捉えるように努力しているのですが、何かあると自動的に落ち込んだり自分を責めてる自分がいるんです」つまり本を読んだり、人から話を聞いたりして、どうすれば良いかは分かってはいても、分かっているとおりには出来ないということです。

この葛藤は誰にもあることではないでしょうか。それは私たちがこれまで長年培って来た反応の仕方に身を任せている結果です。私たちは幼い頃から、いろいろな状況に反応して生きてきました。それを長年繰り返した結果、私たちには一人一人特有な反応の仕方が身についてしまいました。それはまるでコンピューター制御されているかのように自動的に私達をそのように反応させるのです。知識としてどうすればいいかは分かってはいても、それが行動として習慣になっていないと実行することは非常に難しいのです。そこで「分かってはいるのですが・・・」ということになってしまいます。特に感情的になった時には

その自動反応がよく出てきます。かっとなって、がっかりして、あまりの驚きに言ってしまった、やってしまった、と言うことは多いのではないでしょうか。また、そういった反応は身近な人たち、特に家族に対して出て来易いようです。他人に対しては最初からある程度の距離を置いているので、比較的冷静に対応できます。ところが、家族に対しては心を開いている分、そこには遠慮がありません。つい自動的に反応してしまい、後で後悔することになるのです。家族だから甘えているのだとはよく言いますが、家族だからこそ日頃から自分の反応の仕方に気をつけていなければ、相手をひどく傷つけてしまうことになるのです。

分かっていることや知っていることを行動に結びつける方法の第一歩が「気付くこと」です。

ひとつには今の自分の状態に気付くことがあります。今イライラしているとか、今嬉しいとか、わくわくしているとか、腹を立てているとか。訓練としては声に出していってみるのもいいでしょう。掃除しながら、洗濯しながら声に出して自分の状態を表現してみます。私は子どもに腹を立てたときなども、まず「お母さん、腹が立ってきたわ。あー、むかついてきたー」等と言ったものです。「あー、腹が立つ、腹が立つ」と言っている間は、子どもの心を傷つけるような不適切な行動を起こさずにすむものです。これは自分の感情を客観視することに役立ちます。感情を客観的に(ちょっと距離をおいて)見ることができれば、知識として知っていることを実行に移すだけの余裕が生まれます。多くの親たちが余裕を時間的なものと考えていることが多いのですが、それは必ずしも時間そのものではなく、その瞬間客観的に立ち止まることができるかどうかなのではないでしょうか。

 

2 「何が欲しい」のかをはっきり描く

私には魔法の言葉があります。何かに苦しんでいる時、迷っている時、焦燥感に取り付かれているとき、自信を亡くしている時、誰かに腹を立てているとき、どんな時でも自分が居心地の悪い思いをしている時、その気持ちを落ち着け、その問題とじっくり向き合うための魔法の言葉です。「何が欲しいの? どうしたいの?」私は必ず自分にこう訊ねます。

この魔法の言葉は、問題の渦中で出口が見つからずにもがいている私に、どちらに向かって進みたいのか、その問題を解決した暁にどうなっていたいのかを見せてくれます。その瞬間、私は問題に深く浸って感情に翻弄されている自分ではなく、その状態をちょっとはなれたところから客観的に眺めている自分を体験することが出来ます。その時です。 悩むこと以上に、その問題を解決しようと考え始めるのは。 自分が欲しい状態を目指して進むためには何が必要か、何をすれば欲しい状態を手に入れることが出来るかをプランし始めます。問題がなくなった訳ではありません。問題に対する姿勢が変ります。「この状態は嫌だ」ともがく変りに「どんな方法で解決しよう」と考えます。

この魔法の言葉は問題があるときだけでなく、常に自分の人生の軌道修正をするためには非常に有効な言葉です。どんな時も、自分が何を求めてどの方向に進もうとしているのかを自分に確認することで、今やっていることや考えていることが自分をその地点に連れて行ってくれるのかどうかを見極めることが出来ます。

自分自身に対して進む方向の確認を出来る親は、子どもとの対応の中でもそれを応用することが出来ます。例えば勉強しない成績不良な子どもに対して、ただ「勉強しなさい」と言って子どもから不必要な反発をかうのではなく、親がまず子どもの勉強に関して何が欲しいのかを冷静に客観的に見つめ、その結果を得るためにどんな方策を取ればいいのかを考えることが出来ます。うるさく「勉強しなさい!」と言って、成功を収めた親はいません。

また、子どもが問題を抱え、どうして良いかを決められないままにイライラしているような時にもこの質問は力を発揮します。私の娘が中学に入学して間もない頃、新しい環境にすぐになじめず不適応に悩んだ時期がありました。あれほど学校好きだった子が朝起きてきません。どうしたのかと様子を見に行っても、はっきりしたことは言わずただぐずぐずしています。学校に行きたくないんだとは思いますが、本人もそれを言ってしまうのが怖く、ただぐずぐずしています。「どうしたいの?」と声をかけると、しばらくの沈黙の後「今日は休みたい」と初めて娘は自分がそれを求めていることに気付き、言葉にすることが出来ました。その日は、娘の初めてのそして最後の不登校日となりました。病気でもなんでもないのに、ただ行きたくないと言う理由で学校を休んだことのない娘にとって、それを自分が欲していることをはっきりと自覚し、自分にその許可を出したのです。

 

子どもが幼い頃から、親にはよく理解できないことでぐずぐず言ったり、当り散らしたり、兄弟をいじめたりと言うことがあるとき「やめなさい」と目くじらを立てる代わりに「何が欲しいの? どうしたいの?」と聞く習慣をつけることをお勧めします。子どもが小さければ小さいほど、その質問には素直に答えることができます。そして成長するに従って、子どもは自分にその質問ができるようになります。そのためには、親自身が自分に対して「何が欲しいの?」と尋ね、その答えに従って方策を練る習慣を身に付けることが大切です。

 

ハートフルコミュニケーションのホームページ  http://www.heartfulcommunication.com

 

 

1 子育ては自分育て

 

「子育てに関して学べるのかと思っていたのですが、今日は自分について気付くことがたくさんありました」

 ハートフルコミュニケーションに参加した方々からよく聞かれる言葉です。子どもに対してどのように接するかは子育てに大きな影響を与えますが、親自身の生き方ははるかに大きな影響を子どもに与えます。子どもの話をどう聞くか、どう相づちを打つか、どう叱るか、どう伝えるかなどやり方を学ぶのは大切なことです。

ところが、子どもとの対応はいつも突然です。突然子どもは問題を持ち込んできますし、それに備えていつも準備をしておくのは難しいものです。私も人には「よく子どもの話を聞きましょう」と言いますが、子どもの突然の言葉に「何、言ってるのよ。そういうこと言ってるから、あんたは・・・」とやってしまうことはしょっちゅうです。

ですから、私たち親は正しいやり方を学ぶと同時に、正しいあり方を学ぶことが重要です。ここでいう正しいあり方とは、世間の常識に沿って正しく生きている人という意味ではなく、自分の納得のいく生き方を心から楽しんで生きている人の生き方を指しています。そんな親に対して子どもは、時として対応を間違えても寛容でいてくれます。そして、納得のいく人生を楽しんで生きている親は、子どもにいい影響を与えることができるものです。その観点から「親の生き方」について「ハートフルコミュニケーション」の続編を連載します。

 

親との関係

私たちが子育てを考える時、そこには私たち自身の親との関係が大きな影響を与えていることは無視できません。親と良好な関係を築いてきた人は幸運です。そんな親に感謝しましょう。そして親に、いかにあなたが彼らを愛しているかを伝えてください。反対に、親に対して否定的な感情を抱いている人は、自分のためにそしてあなたが育てる子どものために、その感情を変容させることが大切です。なぜならその感情はあなたの中で生きているのですから。あなたがそれを変えない限りは何らかの形でそれはあなたを苦しめ、子育てに影響を与えます。否定的な感情を生み出す源となった親を許すことは出来なくても(無理に許す必要はありません)、何故そうだったのかを理解できれば、自然に否定的感情は薄らいでいきます。親の何があなたに否定的な感情を抱かせたかはわかりませんが、ひとつだけ言える事は親に悪気はなかったということです。親はまたその親の影響下にあって、彼らの知っているやり方であなたを育てたのですから。

私の知り合いにこんな人がいます。彼女は親をこよなく愛し、親からもよく愛されました。ところがある時、母親がふと漏らした一言が彼女に大きな影響を与えました。「あなたが男の子だったら」男の子を求めていた両親は、それでも生まれてきた彼女を愛しました。ところがその一言が彼女を傷つけたのです。彼女は親に対して否定的な感情を持ってはいないと言います。素晴らしい親を完全には喜ばせることが出来なかった自分に自信がないというのです。こんな自信のなさも同じく変容させる必要があります。そしていづれの場合も、親によってそれを変えてもらうことはできません。今それを変える力を持っているのは自分だけなのです。

子どもは親が彼らを育てるプロセスで、親がもう一度自分自身を育てるチャンスを与えてくれています。子どもに「愛すること」を教えるその中で、親は自分自身を愛することを学べます。 愛すること2 「愛を教えるために出来ること」でお伝えしたことを思い出してください。子どもに対して否定的な言葉を使わないのと同じように、自分に対しても否定的な言葉を避けるようにしてください。実は私たちは内心よく自分を否定するようなことをつぶやきます。「またやっちゃった。だから私はダメなのよ」「どうしてこんなことも出来ないんだろう」「ほんとに馬鹿だな」 子どもに否定的な言葉を使うと、子どもが愛されていないと感じるように、自分にそんなことを言っているとやはり自分を好きになるのが難しくなります。

 

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