このページはフレームページでご覧になってくださいClick |
子どもには、絶対に英語ペラペラになってほしい…と願うパパ、ママはたくさんいると思います。ここで紹介するのは、日本に住みながら、または、アメリカで暮らしながら実際にバイリンガル教育を試みたパパ、ママ達の成功例、失敗例も含めた経験談です。
「バイリンガル情報掲示板」では、毎日活発にバイリンガル教育に関する論議が行われています。是非、訪れてみてください。 またインターナショナルスクールに興味のある方はこちらも参考にしてみてください。インターナショナルスクールQ&A
88888888888888888888888888888888888888888888888888888888
バイリンガル教育お薦めの本
by SweetHeart
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
子どもに読ませたい一押し英語絵本
SweetHeartへの訪問者の皆さんが選んだビデオとDVD(思春期前に学んだ場合と、思春期後に学んだ場合では「話し言葉」を司る言語中枢における使用部位が変わる)
脳には言語獲得に大切な役割を果たす二つの部位がある。その一つはBroca言語中枢で、この部分が損傷すると「話し言葉」に障害が起こることを発見した学者の名前を取って名づけられた。そして、もう一つがWernicke言語中枢で、この部位は「聴いた言葉の意味を理解する」役割を持っている。思春期前(大体12才前)に第二言語を学んだ場合には、両言語ともにこのBroca言語中枢と Wernicke言語中枢の同様のエリアを使用するが、思春期以降に獲得した第二言語の場合には、Wernicke言語中枢に関しては同様のエリアを使用していたが、Broca言語中枢においては、それぞれの言語で別のエリアを使用していることが発見された。
このことが、第二言語をネイティブ同様に習得し「話す」ための限界年齢となんらかの関わりがあるかもしれないと言われている。
アメリカ現地校ESLの選び方使い方
by萩原裕子
*ESL(English as Second Language-英語圏以外からきた子ども向けの語学支援プログラム)
まずNational Clearinghouse for Bilingual EducationThe George Washington University Center for the Study of Language and Education通称NCBEの冊子“If your child learns in two languages” からの抜粋によって、現在アメリカ国内でのBilingual Educationに対する考え方、現状、これから求められるべきことなどをまとめてみたいと思う。
アメリカのBilingual Educationは、 「 州規定やガイドライン 」「 自治体の要望」「 同一母語の学生の数」「 学生の母語での指導が可能な資格を持つ教師の数や適切な教材の有無 等」によって、全米を網羅するスクールディストリクトがそれぞれの指導要領を持っている。プログラムの種類としては、
1. Two-way Bilingual Education
2. Bilingual immersion or Dual Language Immersion
3. Late-exit or Developmental Bilingual Education
4. Early-exit or Transitional Bilingual Education
5. Sheltered English 6. Structured Immersion or Content-based ESL
7. Pull-out ESL
がある。
この中で1〜4までは指導が英語と母語の両方で行われ、5〜7は英語のみで行われる。さらに、1〜3は最終的な目標がバイリンガルの養成であるのに対し、4以降の目標は、英語の獲得である。4の場合母語は英語の環境にスムーズに移行するためにのみ初期の段階において必要とされる。5と6は英語のみの指導ではあるが、1日中そのプログラムの教室で授業が行われる。
それに対して7は英語のみの指導に加えて、一日のうち決まった時間だけの取り出し授業によって指導が行われ、残りの時間は一般のクラスですごすことになる。いずれの場合も子供のレベルに合わせたより平易な英語での指導に加え、理解を助けるためにジェスチャーや、視覚教材が多く使われる。各プログラムに関してのより詳しい説明は、冊子をごらんいただきたい。
このように、プログラムは多種多様であり、目指すゴールも違うので、自分の子供が通う学校がどのようなプログラムで指導を行っているかを知ることは大切である。また、補習校や全日校が各学校のプログラムに関して把握していることも本来なら必要なのだと思う。同じディストリクトであっても予算や学生、教師の人数によってプログラムが変更される可能性も高いので、常に新しい情報を得ることが必要だろう。
これらのプログラムはすべて「英語を学習言語として活用できるまでには時間が必要だ。しかし、だからといってそれを学ぶ間にほかの知識の獲得が停滞するような状態であってはならない。新言語を学ぶ間にも、学習面での発展は必要である。」という理念のもとに成り立っている。
同冊子、“What does research say about learning in two language” の章の中には、
言語は学校での指導の構成要素として重要である。
日常会話習得にはだいたい1〜2年かかる。テレビや遊びの中で身についていく。
学習言語習得に関しては日常会話習得よりも時間がかかる。それは学習言語が日常言語に比べより複雑であり、概念的な理解が必要であるうえ、表情やボディーランゲージで補われる部分が少ないためである。学年があがるほど学習内容が難しくなるので、年長の児童ほど大変さが増す。学習言語習得にはだいたい5〜7年かかる。 としたうえで、 「会話ができるようになったというだけで、早すぎる段階で一般クラスに移動させられる場合が多く、英語のみの環境の中で苦労するケースも多い。教師が言っていることが理解できなければ生徒は学ぶことができない。英語のみで行われる一般のクラスの授業の中では生徒は英語そのものを学ぶことはできない。生徒の母語を介した指導や、特別のプログラムのもとでの指導が提供されるべきである。」と述べられている。
語学として英語を学ぶこととは違い、英語を学習の手段として活用できるようにならなければいけないという認識を、教える側も学ぶ側も持つ必要があると思う。そのためにはやはり特別なプログラムが必要なのである。親があせってバイリンガルやESLを早く抜けさせたがるケースもあるようだが、専門家の指導のもとで英語を学習言語としてきちんと身につけることはとても大切だと思う。また、「概念はひとつの言語で理解できていれば、それを他言語に置き換えても理解できる。第二言語に知識を移行するためには、その意味を表す言葉がわかればよいだけである。」と述べ、獲得に時間がかかる学習言語習得の期間であっても、母語で知識は習得でき、それを将来第二言語に置き換えることが可能であることをを示唆している。それは同時に、たとえ第二言語で習ったことであっても、それがきちんと理解されていれば、後にそれを母語へ置き換えることも可能であるということでもある。
一昔前のアメリカでは、マイノリティー言語の生徒の母語に関しての配慮というものはまったくなかった。教師たちは英語を上達させることだけを指導の目的としていたから、教室内で母語を使うことに関する罰則があるなど、家庭内でも極力英語を使うよう指導してきた。しかし最近では、バイリンガル教育の研究が進み、母語の維持発達が第二言語獲得に重要な役割を果たすこという認識ができ、母語を重視するようになってきた。それは言語の問題だけではなく、文化やアイデンティティーの問題とも関係があり、外国人子女だけではなく、たとえばネイティブアメリカンや、イヌイット、ハワイアン、黒人英語などアメリカ国内にも守るべき言語や文化があるという認識が出てきたということでもある。
外国人子女に関して言えば、マイノリティー言語を母語とする子供たちが、自分の母語や文化に誇りを持ち、その言語を維持した上で始めてバイリンガルが成り立つというように考えられている。この考え方がすべての教師に普及しているとはまだまだいえないが、少なくともバイリンガル教育に携わる教師の間には浸透しつつあるといってよいであろう。
NCBEの冊子の中でも、バイリンガル教育が成功している学校の例として、「外国人子女の母語や文化、バックグラウンドを尊重し、教師の側もそれを積極的に学ぶ姿勢がある学校」が挙げられている。またマイノリティー言語を母語とする児童の親たちは、学校とのかかわりを持ちづらいケースが多いので、「英語を母語としない外国人の親たちが積極的に学校とかかわることを学校側も奨励し、サポートしているような学校」が成功している学校だとも述べられている。
つづく
バイリンガル教育と母語の重要性
by萩原裕子
《第二言語獲得のための母語の重要性》
Bilingual Educationにおいて母語の尊重、および重要性を提唱している言語学者の中に、Jim Cumminsがいる。彼はトロント大学の教授であり、バイリンガル教育に関する文献を多数記している。彼は、マイノリティー言語を母語とする子供たちにとって、第二言語獲得のためにいかに母語が重要であるかを多くの調査をもとに提唱してきた。
同大学教授の中島和子は、このCumminsに賛同し、自分の理論と同時に彼の考え方を日本に紹介し、多くの著書を出している。アメリカでは1980年代以降になってこのCumminsの理論に賛同する研究者が増えてきていることも確かである。ただし、これはあくまでも研究者レベルであり教育現場に必ずしもこの考え方が浸透しているわけではない。しかし彼の考え方は徐々に広がりつつはあると思う。私もこの「母語の重要性」に関しては基本的には賛同している。Cummins にしても、中島和子にしても母語維持の重要性を説く一方で、Bilingual Educationの長所も多くあげている。しかし、日本の言語学、異文化間教育などにおける、研究者レベルでの話はともかく、文部省および教育者関係のレベルでこの理論が必ずしも正しくない捉え方で一人歩きし、それが一般的な考え方として扱われていることに私は疑問を感じる。Cumminsが言うところの「母語の重要性」はあくまでもBilingual Educationが行われるという前提に立っている。バイリンガルというゴールを目指すから、そのために母語が重要な役割を果たすということである。Cummins以前においては、第二言語をいかにスムーズに獲得するかのみが研究され、それを学ぶ間の母語の維持に関してはほとんど考えられていなかった。
それでは確かに第二言語の獲得はできても、母語は衰退し、時には消失してしまうこともあるだろう。現実に、家庭の中でさえ、親と子供の言語が別々になり、コミニケーションがとれないというケースも存在する。だいたい、第二言語が獲得できても第一言語が消失してしまったのではバイリンガルではありえない。その点でCumminsの考え方は正しい。
《母語の重要視イコール、バイリンガル教育の否定ではない》
しかしだからといってBilingual Education を彼が否定しているわけではないのである。それがいつの間にか、「第二言語の獲得よりも母語の維持のほうが重要」「第二言語獲得のために母語が未発達になるリスク」「バイリンガル環境の中でのバイリンガル教育のリスク」というようにずれてきてしまった。「バイリンガル教育における母語の重要性」の「バイリンガル教育の中で」が忘れ去られ、「母語の重要性」だけを取り出し、第二言語の獲得に関しては「日本の教育の中で、ネイティブの教師からでも授業を受ければそれで第二言語が獲得できる」という程度の認識になってはいないだろうか。
たとえアメリカに住んで、Native English speakerから英語の指導を受けたとしても、ただ単に英語を学ぶだけではバイリンガルにはなりえない。英語を道具として活用し、英語を使って何かを学んだり、考えたりできるようになるための訓練こそがバイリンガル教育である。第二言語を学習言語として活用する教育法をimmersionという。
中島和子が「補習校は週末イマージョンだといえる」と述べているのは、多くの補習校が国語の授業のみならず、算数や社会科などほかの授業を行っているからである。生徒の中に英語のほうが強い子供も多くいるであろうから、彼らにとってはただ単に国語の授業で漢字や文章を学ぶだけではなく、日本語を使ってほかの科目の授業を受けることにより、日本語を道具としてほかの事を学び考えることになるわけである。
≪日常会話習得と学習言語習得にかかる時間のギャップ≫
日常会話の能力の習得と、学習言語習得との間にある時間的なギャップについては先に述べたとおりである。表情やボディーランゲージに助けられる日常会話は、概念的で表情に乏しい学習言語に比べれば理解しやすいしボキャブラリーの数もある程度限られている。子供は特にリスニング力が優れているので、大人が苦労しているのを横目にやすやすと会話しているのを見て、「うちの子の英語は完璧だ」と思うことは早計である。友達との会話に不自由しないからといって学習面で十分かというとまだまだ追いついていないというケースが多いのは事実である。学習言語としての英語を獲得するためには5〜7年かかるといわれているからだ。この日常会話習得と学習言語習得にかかる時間のギャップについては多くの研究者がほぼ同じ見解を持っている。
≪短期滞米における現地校就学は無駄なのか?≫このギャップについて親も認識を持つべきだということは正しい意見である。しかしこれをもって、語学面では、駐在という短期滞米の場合現地校へ子供を通わせることにはあまりり意味がないとか、会話ができても子供の英語は所詮子供の英語だから大人の社会で通用しないなどということを言って、その程度の英語のために母語喪失のリスクを負うことはないという結論を導き出すのはやはりバイリンガル教育に関する理解の足りなさを露呈しているとしか思えない。小学校低学年で現地校に在学し、その後帰国した場合知識としての英語はほとんど残らない。まるで英語をすっかり忘れてしまったように見える。中学生で英語を習い始めてもほかの子供となんら変わりがない。だから小さいころの現地校での体験も語学面ではあまり意味がない。これもまた学校教育の場からの見解としては外れていないのかもしれないが、言語学的に見ればやはり表面的であるといわざるを得ない。
学習言語が現地の子供のレベルに追いつかなくとも、現地校で勉強した子供の英語力は、英語を語学としてしか学んだことがない子供に比べれば、ずっと上である。滞米3年目ともなれば年齢に応じてかなり英語の本も読めるようになる。日本の中学校1年生の教科書であれば、小学校中学年でも読みこなせると思う。ハリーポッターは、Jr.HighでESLの教材として使われたそうだ。現地で大学まで進学するということであれば早いうちに学習言語のレベルをを現地の子供と同じにしなければ先行きが不安である。小学校の途中から現地校へ通い始めたのであれば、学習言語が完成するころには大学進学が目の前であり、それまでの成績が進路を左右するとなればハンデは大きいといえる。しかし逆に日本へ帰るのであれば,英語の本が読め、英語が聞き取れるというだけでも十分な価値があることを忘れてはいけない。
≪一度獲得すれば消失しない発音≫また、低学年の英語は現地にいる間はよくできていても日本へ帰ると跡形もなく消えてしまうということに関しても、それは英語の知識の面だけの問題であり、発音に関しては消失しない。赤ちゃんは生後数週間の間はすべての発音に関する可能性を持っているが、その後、身の回りにない発音に関しては、発声も聴覚的にもその能力が消失していくという。ただし年齢が低いほど発音の獲得に関する能力は高い。そして発音は一度獲得すれば消失はしない。そして、正確な発音ができるということはまた、その音を聞き取れるということでもある。日本語にない発音の中でも”th”の発音などは訓練しだいである程度カバーできるような気もするが、”R”と”L”の発音の違いなどは大人になってから獲得するのはそうとう難しいのではないかと思う。それ以上に日本語にない母音の発音、聞き取りに関しては大人には不可能なことのように思われる。それができないからといって日本の学校ではなんら困りはしないし、できるからといってそれが受験に役立つわけではない。しかし将来国際社会で活躍することになれば、非常に価値のあることなのではないだろうか。
≪バイリンガルとともに身につける柔軟性≫
そのほかにもバイリンガルも子供は思考の柔軟性、言葉の理解力などに関してモノリンガルの子供より優れているという報告がある。それに語学としてではなく自分の言語として言葉を身につけるということは、同時にその言葉を使う国の文化や考え方も理解しているということである。言葉と文化は密接に結びついている。これは単に学習を通してではなかなか理解できないことである。海外においてすら、これらのことより日本人学校の偏差値の高さに価値を感じるような日本の教師の考え方や、教育に対する姿勢を問題だと思えないところに大きな問題があるのではないだろうか。